第46話:十七歳の流転(6)

 この機に畳みかけるか。再び仕切り直し、確実に負傷を蓄積させるか。ボルムイールの取る道は二つに一つ、どちらでも勝利は確実だ。

 ──と思えた。少なくともウミドには、レオニスの死ぬ前に踊り込む選択肢が目の前へあった。


「叩き潰せ!」

「一気に殺せ!」


 怒気にも似た歓声が続く。いや、続きすぎる。

 最後の血飛沫から、既に十も数えられよう。だというのに、演舞場の二人は動かない。

 おそらく動けないのだ。ボルムイールの右腕、半月形と繋がるほうが、何度も筋肉を盛り上がらせ、揺れた。


 レオニスは、睨めるのみ。痛みを見せず、自由なはずの剣を動かしもせず。ただ悠然とそこへある。

 やがて、ボルムイールの手が半月の剣から離れた。その次、一瞬にも満たぬ僅かな間にレオニスは弾けた。

 破裂したとでも言わねば表しようのない、猛烈な勢いと速度で荒れ狂う。


 最初の斬撃がボルムイールの左腕へ。切っ先で細く紅い条を描き、まま石畳を割る。勢い殺さず、足下を刈る蹴り。転倒した双剣使いは転がって距離を取った。

 立ち上がる暇はない。飛翔したレオニスの剣が降り、首と胴が離れるのにあと何本かの指の距離だった。


 また蹴り。今度は斬撃をなぞるような、天空からの踵落とし。左の上腕を叩き、ボルムイールの手から緩い反り身の剣も離れた。

 それは逃亡を速めるための判断だったのかもしれない。回転を増したボルムイールは、つかみかかる手を逃れて膝立ちになった。


 レオニスの振り下ろしも三度目。石畳が大小の欠片を散らす中、ボルムイールは跳び退くことに成功する。

 およそ十歩を離れ、両者はようやく息を継いだ。

 見ていたウミドも同じく。不足した息を補うべく、どっと吐いて吸ってを繰り返した。


「はあ、はあ──」

「すごい。最初のときみたい」


 息を上げながらのアリサが漏らす。最初とは、レオニスが最初に戦ったとき。百人殺しを成し遂げた、そのときのことか。

 さもありなん。ウミドには、離れたここで、眼で追うのがやっとだった。直に戦うボルムイールは、レオニスの動作が見えていたのだろうか。

 だとしたら、人外と案内されるのも無理からぬ。心からそう思った。


「落とし物だ」


 歓声が止む。風の音もなく、レオニスが拾って投げる剣の音が妙に響く。

 ボルムイールは受け止めようとして、落とした。動きの鈍い己が手を眺め、眼を瞑る。その間に致命傷を受けるなら、それも良いと考えたのかもしれない。

 だが、レオニスは動かなかった。ボルムイールは顔を痛みに歪ませながら、緩い反り身の剣を拾う。


 構えるものの、剣が震えた。右手にあるべき半月形の剣もレオニスの向こう。

 最強の一角と持て囃された当人が危惧したとおり、人並み外れた長腕の双剣使いは死を待つだけとなった。


 死とは。この場において、眼に映る。

 松明の色を受け、薄く炎の色を纏う男。常には柔らかそうな小麦の色の髪は、針山と錯覚できた。

 闘技場のどの兵も携える、ありふれた剣が。命を刈るために最も適した、そのためのなにかに思う。

 石壁を隔ててなお凍えるような光景は、ボルムイールにどう見えているか。溜まった唾を飲み込むのにさえ、ウミドは慎重を心がけた。


「こ、来い」


 あと、ひと振り。レオニスが動けば、ボルムイールという灯は消える。そのときがいつ訪れるか、決断したのはボルムイール。

 やっと支える剣も垂れ気味に、空いた右手で死を招き入れる。

 レオニスの返答はない。強いて言うなら、大きく息を吐いた。


「殺せ!」

「もうやめろ!」


 相反する声が客席から飛び、むしろきっかけにして石畳が蹴られた。

 もう、そこまで勢い込まずとも。ウミドの胸に、そのような気持ちはある。だが倒すと決め、しんを晒した相手は徹底的に打ち砕く。

 でなければ思わぬ怪我を負う、と頷いた。


 緩い反り身の剣が撥ね上がり、遠く転がる。抱きつこうとしたボルムイールを、レオニスは押し倒した。

 小盾で顔を押さえつけ、剣の柄で胸を突く。だがしつこく、絡みつく長い腕が二人を密着させる。


「やっぱり三本あるよな……」


 そのうち、レオニスの剣を奪い合う恰好にもなった。もはやはたからでは、どれがどちらの腕か分からない。

 上下も入れ替わり、転がり。ウミドの見た何十勝の中でも、飛び抜けて不様な試合と言えた。


 だからこそ、まばたきさえ忘れた。ほんの僅か生じた隙間へ蹴りをくれ、膝立ちになったのがレオニスなのも見逃さなかった。

 すぐさま、引き寄せようとボルムイールの腕が伸びる。

 しかし早く、レオニスの剣が振られた。腰の入らぬ、やはり不様な一撃ではあった。


 けれど、ボルムイールにはそれで十分。よろめいて立つレオニスが三、四歩ほど後退り、尻もちで座りこんでも。指一本をも、動くことがない。

 剣を放ったレオニスは、代わりに腕を高く上げた。ようやく、静まり返った闘技場に声が戻る。


「そ、それまで!」

「レオニスさまっ!」

「いいぞ百人殺し!」


 数人の声が、じわじわと客席のすべてへ広がる。

 もし倒れたのがレオニスなら、自分はどうしていただろう。ウミドは目の前に存在した可能性に、何度となくため息を吐いた。


 駆けつけた兵の肩を借り、レオニスが引き上げていく。アリサはいつもと変わらず、引き結んだ唇をして演舞場の中へ向かった。

 ウミドも従い、伏したボルムイールへと近づく。

 力なく倒れた双剣使いは、ほかの男の何倍も大きく見えた。アリサと二人で抱えられるのか、などとどうでも良い心配に逃げなければ、直視できなかった。


「ウミド、早く」

「え?」

「医者だよ。早く運ばないと」

「ええぇ??」


 ぴくりともしない男が生きている。なにを根拠にと愚問をは口にしない。生死に関して、アリサの見立てが間違ったことはこれまでにないのだ。

 常には考えられぬ、あらぬほうを向いた脚を抱える。

 脚。両方の脚が折れている。

 間違いなく斬ったはず。だがどこを捜しても切断の痕は見えず、あるのは両足を横断するどす黒い一本の条だけだった。

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