第47話:十七歳の流転(7)
当月の試合もすべて終わった。ボルムイールの容体は知れないが、必ず生きて故郷へ帰るだろう。
いつか、東方領の山中というその村を訪ねてみるのもいい。
あと、ひと月。レオニスが百勝を飾ったあとは、きっとそんなこともできるはずだ。
その前に、やらねばならぬこともあるが。
六年余りの記憶が勝手に思い浮かぶ。寝床へ横たわったレオニスを眺めるせいだけれど。
勝利した日は好きな食べ物を要求できる権利も、行使しないままだ。ついでに用意してもらうウミドも密かな楽しみだったが、文句を言うほどでない。
負傷のせいだろう。「ちょっと気分が悪い」と言ったきり、なにを言うことも動くこともしない。
もちろん、眠っているなら当然だが。
傷に巻く布などは余分まで貰い、ウミドが手当てをした。血止めや化膿止めの薬草もあれば良かったが、贅沢は言えない。
ほかの剣闘士は自分でやらねばならないのを、それだけでも恵まれている。
見回りの兵が来る最後の回を過ぎ、ウミドはランプの火を消した。レオニスが眠っているなら、できることはない。
しかし念のために、巻いた布の具合いをたしかめようと思いついた。
「
ボルムイールに穿たれた、左肩の傷が熱かった。まさかヤケドまでしたのではと、ウミドは己の手を見つめる。
熱は傷の周囲だけでなく首すじも、額に触れても同じ。
「……おい、なんだこの熱は」
眼を瞑り、眉間に皺のレオニスに問う。返答を求めていないが、問わずにいられない。
毎度、試合のあとには大小の傷を拭ってやった。見た目になら、もっと派手な傷もあった。しかし熱を出すのは初めてだ。
解熱の薬草でも与えなければ、まずいかもと俯く。けれどここはスベグでなければ、野の平原でもない。
「──骨を引っ掛けられた感覚があったからな。見た目より傷が深いんだろうさ」
悩む耳に、ウミド以外の声が聴こえた。驚いたものの、誰がと疑う余地はない。
「お前、寝てたんじゃないのか」
「傷の手当てをした息子が、熱の心配までしてくれるんだ。きちんと眼に見とかなきゃな」
「誰が息子だ。ランプのオイルで焼き殺すぞ」
「そいつは怖いな。焼き加減の好みは聞いてくれるのか?」
寝言のバカ者は構わず、手拭いを取る。レオニスの部屋にある限られた中では、汲み置きの水で冷やすのがせいぜいだ。
「手加減したのをバレないために、わざと受けたんだろ? ざまあない」
「手加減なんか。ボルムイールは強かった、今までの誰よりもだ」
「じゃあ、なおさらバカだ」
ウミドの手にかかるまで、死んでもらっては困る。ボルムイールの頼みと、どちらが大事なのか。
絞った手拭いに苛立ちを篭め、レオニスの顔面に叩きつけた。
「濡らした布ってのは、まあまあ痛いんだぜ」
「うるさい」
暗がりにも、肌に血の気が引いて見えた。声にも力がない。
死んだら殺す、と言いかけた声を呑み込む。どうせまた妙なことを言われるだけだ。それより黙って、おとなしく眠らせたほうがいい。
「随分と待たせたな、次で百戦目だ」
「うるさいって言ってるだろ」
「大丈夫だ、これくらいの傷や熱じゃ死なない」
「だからうるさい」
それだけ言って満足したのか、レオニスはまぶたを閉じた。すぐさま、苦しげながらも寝息らしきものが聴こえた。
手拭いを取る。熱い、いくらか話すだけの間に、どれだけの熱を奪ったのか。
離れた桶で手拭いを洗い、緩めに絞ったものを強く振る。スタロスタロの冷たい風が、今夜ばかりはありがたい。
「オレとの約束は覚えてるんだろうな」
首すじへ手拭いを添えながら問う。すっかり寝入っていると確信の上に。
「当たり前だ」
しかし答えがあった。その声のあとは、またすぐの寝息だったが。
寝言か?
とは、ウミドの願望に過ぎない。どれだけ寝込みを襲おうとしても、まったく隙を見せなかった男だ。
ただ、その真偽はどちらでもいい。そう思い直し、ウミドはレオニスの脇へ腰を下ろした。
熱の落ち着くまで。あるいは朝まで。憎き男を睨んでいなければならない。
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