レオニスは死者を尊重できる人ですね。死者を悼む他者の心も。
彼がスベグを襲った時、殺す相手の苦しみが最小限で済むようにしていたと思います。
自分を仇と狙うウミドの意思も、ありのまま受け止めている。そういう道理の中で生きている人なんですね。
アリサの「嬉しいよ、ウミド」がじわっときました。彼女の素直な気持ちでしょうけど、善意をそのまま善意と受け止めてくれる人がいるって、心を健全に保つのに大事なことだと思います。
そう考えると、ウミドの心はレオニスにもアリサにも支えられているんじゃないかなと思いました。感情の方向性は真逆ですけどね。
作者からの返信
すずめさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
>死者を尊重できる人
>相手の苦しみが最小限で済むように
うわー!! そこまで読み取っていただけるとは、思ってもみませんでした。
レオニスはそういう人です。既にあること、あらねばならないことを無意味に否定はしません。
自分を含む剣闘士の恥は恥として認め、当然に関係ないウミドの気持ちは慮る。
大人の振る舞いとして、一つの正解ではないかなと思っています。
>嬉しいよ、ウミド
これも!
ちょっと長めのセリフの中にありますが、このときのアリサの感情はそこへ篭っていました。
食事を配るのは彼女の仕事で、やって当たり前と言われればそうです。でもその上で感謝や気遣いをもらえば嬉しいに決まってますし、それほどもらった経験もないアリサです。
ウミドはそこまで詳細に想像してはいませんが、大変に決まってると素直に考えたんでしょうね。
その言葉が少しだけアリサを救い、アリサの返答も少しだけウミドを救ったやりとりでした。
>レオニスにもアリサにも支えられて
ウミドにとって何一つ、誰一人として知らない場所なんですよね。レオニスはまあ知っているといえば知ってますが、敵認定なわけで。
そういう環境で含みや裏表を感じさせるような(善意だったとしても)言葉や態度があると、つらいですよね。
アリサは最初から、近所の若しくは親戚のお姉ちゃんみたいな態度ですし、↑で言っていただいたような善意の交換も行えるし、ウミドの心は随分と支えられているでしょうね。
それでもって真逆の人も、たぶん反抗期の子の親みたいな感じかなと思います。
こうすれば正解というのがない中、少なくとも出逢ったときより悪くはしていないはずです。
私がレオニスだったら──ってウミド以外のところですぐにリタイアですが。ウミドに対しても、どうもできなくて逆に落ち込んで終わりみたいになる気がします。
中洲川さんの話で特に気を付けて拝読していた、句読点ですが、勿論勉強にもなるとして、を、も、の後や、との前に、とか豊富に使い分けていていたく感心しました。私がいま書いているのは厄介かも知れませんが、殆どなくしてしまい、全文を通して読みながら再度打とうかと呑気に考えています。
所で、ウミドはかたき討ちもありますが、こちらにきてまだ謎もあるけれども、アリサのことが気になるようですね。神経は別に向いているので、色恋とかではなく。それに対して、レオニスは無駄に心を忙しくしない感じが受けられました。年齢差、やってきた文化の差もあるでしょうが。それから人と人の闘技についての経験かな。ん?でも火事起こしたんだよね。
新しい目次表記をするカクヨム様ですが、以前の章立てをすればそこで区切られる訳ではないので、サブタイトルに(一)と書いていくのもいいのも効果的ですね。慣れなくてよおおお、カクヨム様。シンプルな栞が欲しい。マイページはあまり使えてない。ありゃ。
作者からの返信
こゆきさん、こんばんは。コメントありがとうございます。
句読点は、学校の勉強や文章の書き方的な本に従うと、小説に於いては読みにくくなる悪いお手本ということになります。
私はとにかく声に出して(黙読としても息継ぎによる音の途切れを意識して)句読点をつけます。セリフでも地の文でも。
ウミドはアリサを気にしてますね。仰るように恋愛とかではなく、単に年齢が近いとか、アリサのほうから親しげに話してくれて話しやすいとか、それでいて頼りになるとか、そういうところからかなと思います。
レオニスは泰然自若、とまでは至っていませんが。あと十年くらいしたら、そう表してもいい人物になるかもしれません。
性格的なものもあるでしょうし、経験も関係しているでしょう。彼のひととなりも、まだこれから語られる部分で分かるのではと濁しておきます。
スベグの集落を焼き払いましたね。剣闘士としては奴隷よりマシという扱いで、主であるところのニコライ卿の命令には絶対服従──というところから、ご判断いただけるのではないでしょうか。
カクヨムはバージョンアップするごとに使いにくくなりますね。
ゲーム画面や街中で操作するATMやレジの操作画面などでも同じことですけれども、直感的に操作を理解できないものはいくら機能があってもガラクタ、ということが世に言われております。
各エピソードタイトルに番号を振るのは印象付けのためには悪手ですが、各エピソードにピッタリで印象深いタイトルを思いつけないなら、無理にタイトル付けするよりはマシかなと思っております。