第34話:ウミドの誓い(2)

 試合の一日目が終わったのは、陽が落ちて随分と経ってからだ。ずっと地下にいたウミドには知るべくもなかったが、終了を聞いて戻る途中、外の暗さに驚いた。

 自分でも思った以上に夢中だったらしい。想定以上に間違いなかったが、気づけば自覚もある。


 ウミドの握る武器がレオニスを捉えるのは、あわよくばという可能性をも踏まえて無理だ。

 だがそこはそれ。あの男の部屋にあるなにを用いれば、多少なりと恐れさすことはできまいかと考えていた。

 そんな物を使うのか、そんな風に使うのか。などと、レオニスの精神を磨耗させるにはどうすれば。ということばかりを考え続けた。


 ぐるぐると階段を上るのに、目の回る思いがした。睡眠の不足ももちろんだが、足の疲労と空腹によって。

 晩の食事も、いつもの頃あいをずっと過ぎている。あれだけ動いていたのに、今日もアリサが配るのだろうか。


 己の腹具合とアリサを同時に案じ、最上階へ辿り着く。と、夜色の闇に漂う風が違った。

 灯りといえば、奥で待つ兵のランプだけ。左右の鉄柵の中を、はっきりと見通せはしない。だがレオニスを、羨み呪う声がなかった。


「……」


 言葉未満の息が漏れる。誰かに腹を殴られたような、鈍い下腹の痛みや気持ちの悪さを伴い。

 一人分の、部屋とも呼べない鉄柵の区切りごと。ウミドは立ち止まり、ほんの一瞥をくれてやる。


「祈ってやったらどうだ? 俺はやらないけどな。お前が言うな、って迷惑がられるだけだろうし」

「祈る?」

「神さまにだよ。手を合わせるとか、なにかあるんだろ? 死んだ人を迎えてやってくれって」


 先を行くレオニスが、わざわざ戻った。両手のひらを合わせ、指を絡ませ、振って見せる。


「神さま? 死んだ人はスベグに還るだけだ。お前に奪われて、オレが死んだらどうなるかは知らないけど」

「ああ、そういう。ええと、それならウミドの居たのはあっちだ。山とか野っ原が見えないとダメか?」


 石壁の一方を指さしたレオニスは、さっさと部屋へ戻っていった。

 ダメかと言われても、スベグの山々が見えない場所へ初めて来たのだ。そんなときにどうするか、父なら知っていたかもしれないが。


 目を閉じれば、いつでも見ることはできる。どこへ埋めるかは、たいてい家族の誰かが聞いているものだった。

 それらの傍へ、闘技場で死んだ者を入れてやるのは抵抗がある。だから南の町へ近い平らな辺りへ、顔も覚えぬ彼らをウミドは埋めてやった。


「待たせて悪いね。今日は山鳥の丸焼きだよ!」


 しばらく経って。やってきたアリサは、いつもより余計に大きな声を張った。疲れるということを知っているか、と真面目に問いたいほど。


「アリサはもう食ったのか?」

「あたし? 心配してくれてるの? 嬉しいよ、ウミド。でもあたしたちのは、みんなに配ったあとの残りだから。あんたたちが食べないことには食べられない」

「そうなのか。じゃあ早く配って、早く食えよ。手伝えなくて悪いけど」


 食っていないのに、その元気は大したものだ。感心しながら、悪いなと心から思った。レオニスの言い分を認めるのは癪だが、彼女が信用できるのは間違いない。


「嬉しいよ。ありがとう、ウミド」


 溌剌とした笑みを自身の腹の音で飾り、それを自分で笑いながらアリサは戻っていった。ついでに監視の兵も。


「鳥を丸ごとって、みんなにあるのか。豪勢だな」


 スベグで鳥を食うことはあったが、罠にかかったときだけだ。集落の全員どころか、一つの家族みんなでというのもなかったはず。


「まあ初日だからな、景気づけみたいなもんだ。しかし試合に勝ったやつは、特別の部屋で食いたいものが食える」

「食いたいもの? なんでもいいのか」

「スタロスタロで手に入るなら」


 山羊狩りの遊戯ブズカシで屠った山羊の丸焼きが食いたい。焼き上がった脚を台に載せ、大人が切り分けてくれるアレを。

 手をヤケドさせながら頬張り、少し冷めたと思えば自分で火に炙る。あれほどうまいものは、ほかにない。


 この町で手に入ると制限付きなら、無理だろう。特別の部屋で火を焚いてもくれまい。

 興味を失ったウミドは、目の前の山鳥に集中した。山羊には劣っても、十分以上にうまい。それにもう一つ、割れば鋭利な刃物のようになる。




「さあて、今日はよその領地から来たやつなんかも出るはずだ」


 翌朝。なにごともなかったように、レオニスは伸びをした。

 事実、なかった。山鳥の骨の小刀を握ったまま、ウミドはいつの間にかの朝に啞然としていた。

 疲れて腫れた感覚のある眼を、ちょっと休めようと閉じた記憶はある。それからすぐ、直ちに、間髪入れず開いたはずなのに。


「行きたくないのか?」


 どれだけ考えても、昨夜を取り戻す方法には思い至らない。

 毎夜の襲撃の途絶えたことを、受ける側はどう感じているか。ウミドは渋々を装い、レオニスがなにをか言おうとするたびに「うるさい」と撥ねつけながら後に続く。


 試合を観るようなことを言っていたのだ、使わない昇降台に乗るのだろう。まさか客席ではあるまいし。

 そういうつもりのウミドだったが、レオニスは地下への階段を通り過ぎようとした。


「おい、下りないのか」

「んん? 曲がりなりにも連勝してるやつの、特権てのがある」


 最初に首をひねったものの、合点がいった様子の腹立たしい笑みの剣闘士が、ウミドの疑問に答えた。

 こっちだ、と訓練のときに演舞場へ出る通路の脇へ進む。並んでは歩けない狭い道だったが、二十歩ほどで広い部屋へ出た。


 詰めれば三十人も入れようか。行き止まりで椅子もないが、特権の意味はすぐに分かった。

 演舞場へ向く石壁に、あちこち穴がある。ウミドの頭も通らない、横長の四角い穴。試合の見物にはまったく十分と言える。


「暇なときには、こうして訓練もできる」


 言うが早いか、レオニスは逆立ちをした。その恰好から脚を水平に倒し、また上へ戻す。


「……つくづくバカだろ、お前」


 そんな真似ができるかとは言わず、ウミドも腕立て運動を始める。試合の開始には、今少しの時間があるはずだ。

 やがて百回がもうすぐというころ、「ご案内申し上げる」という大音声が響いた。


 今日は何人が死ぬんだ。

 そう思うと、この部屋へ居ることも息苦しくなった。けれどもレオニスが動かねば、ウミドも動けない。

 黙々と、腕の曲げ伸ばしにだけ集中したふりをする。


「おっ? 今日は先客が居るじゃねえか。このドゥラクをさておくとは、どこの阿呆だ」


 誰のダミ声か、記憶を手繰る必要もなく。ムダにバタバタと足音をさせたドゥラクが、何人かを引き連れて部屋に入った。

 そろそろ腕も限界に近い。ああ疲れたと腕を振り、意に介さぬそぶりをした。


「おいガキ、元気そうでなによりだ。このドゥラクに一つ面白い話があるんだが、聞けよ」


 なんでオレだ。バカはバカ同士で話してろよ。

 願う気持ちを汲んではくれず、ドゥラクはすぐ脇まで歩み寄る。

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