第33話:ウミドの誓い(1)
昇降台から離れると、
盛り上がる歓声は届くものの、さぞ分厚げな石の天井を通してでは、不愉快な言葉を解すこともできない。目の前にやることのない鎖付きの男どもは、これ幸いと寝転んでいる。
唯一、砂袋を載せての腕立て運動が眼にうるさいけれど。たかが一人、レオニスを視界から追い出すのは容易だった。
やがて、ひときわ大きな歓声が長く続いた。
また誰かが死んだのだ。それともガーヤーのように、と階段を眺めていると、さほどの間もなくアリサが見えた。
やはり医者とやらの出番は、そうそうないらしい。
「そういえば、お前の出番はいつだ」
「うん? 十日目だ」
今度は引き留められても、アリサの手伝いをしよう。ウミドはそう決めて、問うべきを問う。「応援でもしてくれるのか」などという寝言には、鼻で笑ってやった。
「終わったよ。パン、食べた?」
「うん、まあ」
「まあ?」
すぐにやってきたアリサに合わせ、勢いよく立つ。今日、朝のうちはレオニスを寝かせてしまったが、黙々と鍛える様子を見れば、このあとの監視は必要なさそうだ。
「ちゃんと食べたの?」
アリサの問いはレオニスに向いた。声より先、ひょいと放られた物が彼女の手に収まる。
「それが残りだ」
半分の半分になったパンを、少女の手が取り出す。「食べないと」と突き出されても、なかなか従う気にはなれない。
「腹、へってないんだ」
「本当に?」
オレの腹がどうでも、関係ないだろ。
なぜこんな疑いの声をかけられるか。なんだか悪いことをしたような気にさせられるか。
不満に思っても、そのままを少女に言うのは憚られた。しまいにはパンを戻した布袋を、腰の紐へ結わえられても。
「夜のメシまでに食べとくんだよ。食べてなかったら怒るからね」
「ええぇ?」
さすがに理不尽で、呻く声は漏れた。だが結局のところ「分かった」と言わされた。
「それでさ。さっきも言ったけど、ウミドはもう戻っていいよ」
「えっ。オレ、最後までやるって」
「いや、うん。嬉しいんだけど、いつもやってる人たちがさ。サボってるって言われるかもしれないし」
前のめりのウミドの肩を、アリサは両手でそっと押し戻す。
客の目にも触れる役割りだ。いつもやっている誰かが、というのは理解できた。
それでも、手伝うと決めていたのに。つかみ留めようとする手が、あまりにも遅れた。少女は手を振り、昇降台へ乗る。
声をかけられた鎖付きの男の一人が、同じく。
「ふう……」
天井へ消えたアリサの足下へ、思わずのため息を吹いた。
「
「なんでアリサを倒すんだ。やっぱりバカだな、お前」
咄嗟に応じて悔やむ。レオニスに答えてやる必要はなかったし、「そうか」と笑わす理由を作ってしまった。
しかし戻れと言われても、戻るべき部屋の主がここへいる。この地下の空間にも、鉄柵の箱や樽に木箱があるだけで、見て楽しげな物はない。
ならば暇つぶしに、彼女に叱られる原因をなくそう。そういう理屈がウミドの中では通って、パンの残りを貪った。
次には、そもレオニスの持ち物である布袋を叩き返そうと考えた。が、結び目を解こうとした手を離す。
あと、今できるのはなんだ?
一つの案は、レオニスに恨みのたけをぶつけること。いくらこの男がバカでも、延々と聴かせていれば堪えるに違いない。
ただそれはウミド自身の精神もやられそうだ、と自制した。
二つ目の案は、今夜の襲撃に備えて眠ること。
ウミドがなにをしようと、直に傷つけるのは不可能と悟った。それならこの闘技場にいくらでもいる人殺しにやらせればいい。
今までどれだけ勝ちを重ねていても問題ない。ウミドの策略によって、ほぼ確実と見込んでいた。
それはとても単純な方法だ。十日後という試合のときまで、レオニスを寝かせなければいい。睡眠を不足させて動くことの苦しさは、身を以て知った。
どう考えても、二つ目の案が最善だ。
残念ながら、憎き男が鍛える前で呑気に寝こけるなどできない、という欠点を除けば。
ゆえに三つ目の案を思いつき、採用した。実行には、まずレオニスに問わねばならない。
「おい、その砂の袋はどこにある」
スベグでは、意図的に身体を鍛えるという行為がなかった。山羊を追い、草原を歩き、ときに山々へ恵みを求めれば十分だった。
見様見真似、初めての行為に挑むことにした。
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