第30話:剣闘士の死合(10)

「次の試合は、一対一らしいから。ウミドは戻っても平気だよ」


 地下への階段を前、振り向かずにアリサは言った。レオニスを殺すと決めているのが、それほど気に入らないか。

 できれば彼女とは険悪でありたくない。だが譲れないものは譲れない、と言いたいウミドだったが、ため息で済ます。


「最後までやる。剣闘士ってものを見ておきたいしな」

「分かった」


 変わった趣向の試合が多く、手が足らなくなる。それがウミドの呼ばれた理由だったが、解消されたようだ。証拠として地下では、共に死体を運んだ男らがパンを貪っていた。

 そういえばアリサもウミドも、なにも食べていない。


「あいつらは休んでるのに、おま──アリサはメシも食わないのか?」

「あの人たちは、剣闘士の鎧なんかを着けてあげてるの。終わったら外すのもね。剣闘士の機嫌によれば、ついでに斬られることもある」


 だから運ぶだけの自分のほうが楽をしている、というらしい。それにしてもパンくらい、歩きながらでも食べられるだろうに。

 そう考えたのを口にしようとした。さっさと昇降台へ乗ったアリサを追いながら。

 するとその前に昇降台の縄を引く男が「げへへ」と、しゃがれて笑う。


「お嬢さんは客にも人気だからなあ。血じゃなく、お嬢さんを見に来てるのもいるくらいだぁ。そしたら、毎回出てやらなきゃいけねえだろぅ?」

「あ、ああ」


 急に言われて驚いたが、なるほどと首を縦に振る。目鼻立ちのはっきりしたアリサを、好むという人が多いと推測するのは容易だ。ウミド自身、彼女を嫌う理由を少なくとも姿形には見つけられない。


「お集まりの方々にご案内申し上げる。第四試合は、いよいよ剣闘士と剣闘士の戦い。一人は何者をも叩き潰す大槌使い、モォブ。一人はどんな相手も叩き割る大斧使い、ガーヤー。既に二勝を重ねた同士、どちらが勝ちますやら」


 あだ名まである割りに、今までより小さな歓声に聴こえた。昇降台が上昇しきって鉄柵越しに見れば、もう二人ともが演舞場へ居るのに。


「二回勝ってるんなら、結構強いんだろ。獅子レオと、大勢を相手と──一人と一人が初めてだからか?」


 先の試合の剣闘士は蛇と戦ったと聞いた。ボルムイールも大ネズミで、次は人数の不利を与えられるのが定番なのだろうと予想した。

 だがアリサは、否定の方向に首を振る。


「たしかにそうだけど、何勝目って数えるのはその次から。剣闘士に勝った回数だよ」

「へえ。それじゃ、なおさら強いってことだな」

「強さはよく分からないけど。二人とも太ってて、派手な戦い方をしないからかな」


 問うたことに、しっかりと答えてくれる。けれどもアリサの眼は、一瞬もウミドに向かない。しかし開始の合図がかかり、彼女の推論はどうやら正しいと頷けた。


 大槌使いモォブ大斧使いガーヤーも、口上どおりの得物を携える。片腕では到底、という重さが見た目にも伝わる槌頭と斧頭。

 背丈と同等の柄があるのも同じ。モォブは右の肩へ担ぐように抱え、ガーヤーは身体の前へ構えた。


 杭を打つには平たい面が広すぎる。木を倒すのに、前後に付いた大小の刃は向くまい。どちらも人を傷つけるための武器だ。

 両者で違うところを言えば、ガーヤーは胸と肩を革張りの武装で覆っていること。モォブは薄い布の上衣シャツを纏うのみ。


 最初に構える動作は、あまりにものろかった。彼我の距離、二十歩ほどをウミドなら往復できるくらいに。

 それからの二人は、のろいなどととんでもない。動かなかった。


「やる気あるのか!」

「さっさと決めろ!」


 ざわざわとするだけだった客席から、野次が飛び始める。

 はちきれそうな上衣シャツ、腹に載った胸当て。スベグにも似たような輪郭を持つ者はあったが、鍛えすぎていたためにだ。


「二人とも、どこかの街で酒場をやってたんだって。領主さまが代わって、税が払えなくて。勝てば家族のところへ帰れるかもって」

「税?」


 聞き返しても答えがない。届いたはずだが、まあウミドにもなんとなく察しがつき、問い重ねはしなかった。


「ここで出会ったから。もうどっちかしか帰れないんだよ」

「……だな」


 なにか決めごとがあって。背くつもりもないのに、仕方なく従えなかった。おそらくそんな話だろうとウミドは考えた。

 それで剣闘士などになり、命を賭けねばならない。自分の知らぬ税とは、果たしてどれだけ大事なものか。


 そんなもの、あるもんか。

 考えすぎた頭を、音を立てて掻き毟る。


「──ん。勝てば帰れるって言ったか?」


 髪に風を通したせいか、ふと気づいた。


「そういう話になってるよ」

「前に居たってことか」

「ううん、居ない」


 どういうことだ。

 思わず「はあ?」と、強めの声が漏れる。


「百勝すれば自由にしてやるって言われた人がね。でもそんなの、誰にもできるわけない」

「そりゃあ。毎日やったって、かなりある」

「一人が試合できるのは、月に一回だけだから。八年以上かかるね」


 八年。骨を砕き、肉を断つ殺し合いを、八年。

 想像しかけた己の思考を、ウミドは慌てて振り払う。それでも吐き気の込み上げるのを避けられなかった。

 アリサの言うとおり、絶対に達しない前提の約束ごとだ。ニコライ卿の不気味な笑声が、耳もとで聴こえる気がした。


「そんなバカな話、誰も本気にしないだろ」


 とは言えモォブやガーヤーは縋るしかないのだ。事情を知れば知るほど、アリサの平たい声が胸に重い。


「言われた当人はやる気だよ」

「当人? まだ生きてるのか」

「もちろん。あんたのすぐ近くでね」

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