第28話:剣闘士の死合(8)

 大ネズミ入りの袋を、アリサは物陰に放り投げた。ほかの男の運んだものも既にある。

 獅子レオに殺された男たちの脇だ。隅へぎゅうぎゅうに押し詰められたそれらと、袋詰めの大ネズミと。それぞれ均等に視線を向けてから、ウミドも放った。


「うっ……」


 ふわっ、と景色が回る。膝の力も抜け、ウミドは四つん這いに倒れた。「大丈夫!?」と、駆け寄るアリサの気配と声。


「ああ、悪い。袋が変なほうに行っちゃったか?」

「ううん、それは平気だったよ。それより、あんただよ。気分でも悪いの?」

「いや全然。ちょっと目が回っただけだ」


 話す間に、見える景色が正常に戻っていた。そのほかというと、どこもおかしいと思わない。


「それがおかしいんだよ。元気な人は、なにもないのに目を回さない。ウミド、メシはちゃんと食べてるんだろうね」

「食べてるよ」

「夜は? 眠れないとか」


 大丈夫って言ってるだろ。

 アリサはウミドを立たせ、額に手を触れたり、腕や脚をさすってみたり。いつか熱を出したとき、傍を離れなかった母親を思い出す。

 心配をしてくれるのは分かるし、ありがたい。しかし、されるがままでいることを、熱くなるウミドの頬が許さなかった。


「眠れないんじゃない。眠らないんだ」

「ええ?」


 後退りつつだが、問いに答えてやった。あとは、と考えて礼をしていないと気づく。


「気遣ってくれてありがとう。でも本当に大丈夫だ」

「大丈夫って。眠らないってどういうこと?」

「そりゃあ分かるだろ、あいつを殺すためだ。オレみたいなガキがやるには、寝入ってるときしかないからな」


 アリサの、声にならぬ声。おそらくこんな反応だろうと予想のとおり。

 けれどもしばらく。「お嬢さん、次が始まっちまうぜ」と兵に急かされても、次の言葉が出ないのは予想を超えた。


「次だってよ。オレはどうしたらいい?」

「──あ、あぁ、うん。あたしと」


 一緒に来て、だったろう。消え入る最後のほうは、唇の動きで読み取った。

 地下へ向かいながら、何度も何度も。肩越しにアリサの眼がちらついた。


「なにも持たなくていいのか」

「うん」


 獅子も大ネズミも、鉄柵の箱も見えない。空の昇降台へ二人で乗れば、縄を引く男も一人でするすると上昇した。

 演舞場には、中央に一人の男が立っている。身を守る武装はおろか、ナイフの一本も持たず。


「お集まりの方々にご案内申し上げる。第三試合は、先月の試合にて毒蛇と対決し生き残った男。今回は武器を持った三人を敵に回し、見事生き残れるか」


 耳の奥を殴りつけるような大音声は、どうやって発しているやら。演舞場を撥ね回った音が、どこからと方向をも教えない。

 ご案内とやらのとおり、武器を持った三人が入ってくる。いつもウミドが演舞場へ入るのと同じところから。


 一人は剣、一人は手斧、一人は棍棒。胸を守る、揃いの装備も着けている。

 人間同士、命の奪い合いを見せものにするのはともかく。それにしたって、人数の多いほうが武器を持つとはずるい。と、ウミドは舌打ちを隠さない。


「あいつら、みんな剣闘士ってやつか。あんなので勝ったとか負けたとか、なにが面白いんだ」

「……ううん、剣闘士は一人。三人のほうは、やっぱりなにかやらかした人だよ。死罪にはならないくらいの」


 問うておいて、答えのあったことに驚いた。だが抑揚なく、火種のくすぶるようなアリサの声。

 燃え上がったら、どう宥めよう。なるべくなら、この少女を悲しませたくないとウミドは思う。


「もし三人が勝って、生き残ったら。その人が次の剣闘士だよ。この勝負を受けなかったら、よっぽどのお仕置きがあるんだろうね」

「じゃあ一人のほうは、三人相手でも勝てると思われてるわけだ」

「だね」


 始め、の声がかかる。三人は等間隔に、剣闘士である一人を囲んだ。

 じりじりと、囲みが縮まっていく。十歩の距離から、七歩、五歩。

 四歩の距離、剣闘士が石畳を蹴る。棍棒の男のほうへだが、姿を見失いそうなほど素早く。


 振り上げかけた棍棒は間に合わない。握る腕の肘を取られ、硬い物を折る不快な音が響いた。途端、冷めていた客席から歓声が上がる。

 昇降台と演舞場を隔てる鉄柵は上がったままだ。ウミドはその一本に縋り、額を押し当てた。

 腹が立つ。

 こんな勝負ごとをさせようという者が。見て歓ぶ者が。


「ねえ。嫌なんでしょ? 剣闘士なんてバカなことって思うんでしょ? それならやめようよ。レオニスを殺すなんて、殺してどうするのさ」

「仇を討つんだ。オレの父ちゃんと母ちゃんと、スベグのみんなの」


 当たり前のことだ。アリサでなければ、振り返って睨めつけた。

 だからこれ以上、ムダな言葉を重ねないでほしかった。


「……分かるけど」

「分かるんなら、そんなこと言わないでくれ。どうするもこうするも、あいつを殺さなきゃオレはどうして生きていいか分からない」


 頼みを聞き入れたでもあるまい。アリサは独り言めいて小さく、「剣闘士なんて」と繰り返した。

 本当に剣闘士なんて、だ。震える彼女の声に、ウミドはまったくもって同じ気持ちと言えた。


 罪から逃れるために人を殺す。敗北した相手から命令されたとおりに人を殺す。スベグからここまで、地面が繋がっていたはずなのに。

 なぜそんな理屈が罷り通るのか、さっぱり理解ができなかった。


「剣闘士──か」


 だが、それなら。ウミドもその理屈に従えばいい。これほど単純なことに、どうして気づかなかったと己を笑いたくなる。

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