第27話:剣闘士の死合(7)

 大ネズミが積み上がる。死体の一つ増えるごと、ボルムイールの死を望む声が消えていった。


「斬れ!」

「斬れ!」


 代わりに、舞うような剣筋をもっと見せろと。歓喜と怒気を練り合わせたような叫びが、ウミドにはドロドロと粘ついて思える。


 ただウミドもその剣技とは関係なく、まばたきの間も惜しんで見つめた。

 なぜこんなことが起こるのか。スベグで育った十年以上の間に、見たことも聞いたこともない。


「大ネズミが人を襲う?」


 罠にかかったり、それこそ巣穴へ手を突っ込んだり。気の立っている大ネズミなら、咬みつくことはある。

 だがそれは反撃に過ぎない。咬みついたあとは、どうにか逃げようとする。ましてなにもしないボルムイールに、百匹をも超えようという数が一斉に飛びかかるとは。


 信じられないが、現実はそうなっている。こんな習性があると知れていれば、子供だけの大ネズミ狩りが許されたはずはないのだ。


「なにか……甘い匂い?」


 大ネズミの数も半分を割ったころ。演舞場の底を這う風に、嗅いだことのない香が混ざるのを感じた。

 芋粥を煮詰めたとき、花の蜜を鍋にかけたときとは違う。スベグの山々のどこを捜しても、きっとこんな匂いはない。

 獅子レオの居るときには気づかなかった。となれば、異なるのはボルムイールの存在だけ。


 長い腕が、文字通りに伸び伸びと振るわれる。大ネズミが減れば、速度と範囲が増していく。

 そのひと振りごと、怪しげな匂いの素が飛散するように思う。もちろんウミドの想像でしかなかったが。


 終わってみれば。人として大きなボルムイールが、獣として小さな大ネズミを殺戮しただけの光景が残った。

 あれだけあったら、十日は食えるな。

 料理は母のやるもので、ウミドの勘定が正確か判定できる者はない。


 ともかく食事の材料が増えるのは、もしかしてアリサには嬉しいことか。それなら回収して、直ちに血抜きをしなければ。

 ボルムイールやイーゴリのことを、いつの間にかウミドは忘れていた。


「ボルムイール!」

「ボルムイール!」

「美しく舞う人外の男!」


 名指しの歓声を中央で浴び、当人は立ち尽くしていた。それはもはやウミドにとって、血抜きを遅らせる害悪でしかない。

 慌てて駆け寄った兵が背中を押し、演舞場の外へ出す。「食えなくなるだろ」と、昇降台を出るのはウミドが最も早かった。


 けれども数匹を拾い、両手では間に合わないことを悟る。なにか容れ物をと見回せば、アリサが布の袋を差し出してくれた。


「さすが手早いね」

「早く血を抜かないといけないからな」

「血を? なんで?」

「抜かないのか。抜けば肉がくさくならないのに」


 隣り合い、拾う手を動かしながら。ウミドが当然と考えた言葉に、アリサは疑問の声で返す。


「──もしかして、食べるの?」


 少女の手が止まった。問う間だけで、またすぐに動き始めたが。


「食わないのか。山羊ほどじゃないけど、それなりにうまいんだぞ」

「食べられるんだ? ごめん、ネズミは汚いって聞いてて」

「いや、いい。食わないんなら、急がなくていいな」


 誰にでも食いたくない物はある。ウミドとて、どうしても食う物の足らないとき、地中に棲むうねうねとした白い虫を食うのは好きでなかった。


 一人あたり、十匹足らずを放り込んだ袋は重い。人間よりも軽いはずだが、袋の口を肩へ担ぐとよろめいた。

 黙々と二歩の先を行くアリサは危なげない。いつからかずっと、人間や獣の死体を片付け続けてきたのだろう。

 彼女の腕と自分の腕を見比べ、ウミドは胸に大きく息を吸った。

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