第22話:剣闘士の死合(2)

 用は済んだのだろうに、イーゴリは演舞場を出ていかなかった。どころか肘置き付きの重そうな椅子を運ばせ、じっくりと居座りの恰好をする。


 おかげでねぐらへ戻った剣闘士は数人で、ほとんどが残った。しかし、やれやれとため息は聴こえるものの、居残った者が正解だったのかもしれない。

 しばらく、あれこれと異なる武器をボルムイールに与えていたドゥラクが、なにやらイーゴリに訴えたからだ。


「おいレオニス!」


 どんな会話があったか知れない。しかしイーゴリが叫んだのを、無関係と考える者もなかったろう。

 呼ばれたほうは昨日と同じく、砂袋を担いで演舞場の外周を回っていた。かなり遠い辺りだがすぐに砂袋を置き、歩いて戻った。


「なにか?」

「ワシが呼んでも悠々と歩くのは、お前くらいよ。強さの秘訣はその図太さか。んん?」


 責める言葉をニタニタと。横目に眺めるウミドは、半身に鳥肌を立てる。当のレオニスは少し肩を竦めただけで、感情も薄く眠そうにした。


「さあ、それが自分で知れれば楽ですがね」

「まあ良い。ひとつ頼むが、あの新入りの相手をしてくれ。試合しあう必要はない、あれの攻めを受けてくれればな」

「俺が? イーゴリどのの手の内を、わざわざ教えてくれようと?」


 表情にはさほどだが、意外という声は明らかだった。


「うむ。まあ、いつかお前と当たるとして、ずっと先のことよ」

「そりゃあ」

「では良いな? ほかの者にも、見て学ぶ機会になろうが」


 応じるという言葉もそぶりも、ウミドには認識できなかった。だがすぐ、ドゥラクがボルムイールを、取り巻きの数人がレオニスを、演舞場の中央へ連れていく。


 何十歩も先、大きな吐息が聴こえるようだった。だがイーゴリの言うように、見物の剣闘士からは期待の声が上がる。

 本番以外でレオニスの腕が見られること。新人の技量がどれほどか、楽しみと。


「双方、不都合はないか」


 代わって声を張るのはドゥラク。レオニスもボルムイールも、同じ木剣を掲げて応じた。ただしボルムイールの左手に、もう一本が握られる。


「長剣を左右にって、満足に振るえるのか?」


 誰かが問う。すぐに事実が知れるのだ、恥を掻くリスクを拾ってまで答える者はない。強いて答えたとするなら、ドゥラクだろう。


「始め!」


 合図と同時、レオニスは棒立ちから左足を退かせた。木剣の切っ先は、地面から心持ち上げるのみ。

 なにをするのもご自由に、とウミドには見える。受けるだけと言われたのだ、それで良いのかもしれないが。


 ボルムイールも引き摺っていた木剣を上げる。右も左もそれぞれ肩へ担ぐようにして、慌てて動く様子はなかった。

 どうであれ、互いの距離はおよそ五歩。足を地に着けたままでは届かない。


 ──いや、届かぬはずだった。

 ボルムイールが右脚に体重をかけたのは、ウミドにも分かる。それから左の腕を、前に投げ出したのも。

 どこまで届いたかとなると、速すぎて見えない。気づいたときには、元通りに肩へ担がれていた。


 しかし間違いなく、足は地面を離れなかった。滑らせて進んだということも。だというのに、レオニスは上体を僅かに躱した。

 木剣が引かれたあと、不思議そうに己の肩の付近を眺めもする。


「どうしたレオニス、腹でも痛むか!」


 くっくっと笑いつつ、ドゥラクは叫ぶ。応じて右腕が上げられたのは、問題ないという合図らしい。

 さらにレオニスは手招きもボルムイールに向ける。


「……どうした。相手は手出しせんというに、攻めあぐねておるのか」


 まだ五つを数える間もない。命を賭けて戦う場所と思えば、イーゴリの不満げな声ももっともなのだろうけれど。


「慣れぬ場所、両手に剣も初めてのことゆえ。試行錯誤も必要でしょう」

「そういうものか」


 背中の側からドゥラクが答えると、一歩踏み込んだボルムイールの右腕が放たれた。一瞬と言うにも短い間を置き、左腕の三撃目も。

 避けたレオニスを、本命の左で仕留めようというのか。現実はおよそそのとおりに動いたが、撥ね上げられた左腕が予測と違う。


 そしてまた二人ともの動かぬ時間が過ぎる。今度は二十も数えるくらいが。

 するとレオニスの木剣が高さを変えた。およそ腰高から、剣先をボルムイールに向け。


 途端、風が鳴った。鞭も隠していたかという唸りが、長く弧を描く右腕から上がる。行き着くのはレオニスの右腕で、これは造作もなく弾かれた。

 と同時にボルムイールは踏み出し、左腕を最短で突く。やはり狙われたレオニスの木剣が方向を逸らし、反対に剣を奪おうと動く。


 が、叶わない。右の木剣が再び襲い、弾き返す選択にレオニスは切り替えた。

 さらに左、また右。ボルムイールの腕はそれぞれが別の生き物のごとく、うねる蛇の動きで連続して襲った。


 いったい何回を打ち、レオニスは弾いたのか。数えようにもウミドには眼が追いつかぬまま、終局を迎えた。

 耳の奥を貫く乾いた音が、演舞場を跳ね回る。


「そこまで!」


 ドゥラクの静止が、ウミドには決着を定めた声としか聴こえなかった。耳障りな音の正体は、レオニスの木剣が砕けたものであったために。

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