第12話:闘技場の街(7)
海と衝突するその境まで、スベグの山々は人を拒む高さを保つ。ニコライ卿の軍勢が進む穴は、拒絶を無視する恰好で延々と続いた。
「ニコライの大トンネルだとさ、まあ誰もそんな名前で呼ばんが」
「じゃあ、なんて呼ぶんだ」
「笑わずのトンネル」
明らかに人の手で削られた壁面と、自然に作られただろう岩壁とが入り混じる。いずれにせよウミドの胴回りよりも太い木材で支えがされ、なんら不安を覚えることはなかった。
「笑わず?」
「ニコライ卿のことだ。笑わずのニコライ」
「ああ、変な笑い方してたな」
「まあそうだ、でも元々はそういう意味じゃない。トンネルを通したときも、帝国の南部を制圧しきったときも。にやりとさえ笑わなかった」
この人殺したちには、愉快な話らしい。
自分だったらと当て嵌めて想像することを、ウミドは「へえ」とだけで避ける。さらには、そのひと言さえ必要なかったと悔やんだ。
「ほんの何年か前まで、ラーシャ帝国なんてものはなかった。一つの町に一人の王っていう、小さな国ばかりだ。それを皇帝と、ニコライ卿と何人かが喰い尽くした」
「うるさい。オレに関係ないだろ」
「そうか。これから行くところについて知りたそうと思ったんだが」
知りたいに決まっている。スベグ以外の暮らしを、そのさまを、人づてにしか知らない。
物見遊山など望めぬと分かっているが、逆になにを恐れるべきかが分からない。ウミドの思い浮かべる石造りの建物は、このトンネルと大差なかった。
「まあしかし。これから行くのは、ニコライ卿が最初に治めた町だ」
「人殺しも自分の住み家が大事なんだな」
「そりゃそうだ。手足を伸ばして寝られる場所があるなら、みんなどうにかして守るもんだろ」
だから皮肉を言ったのだ。そういう色のしたたるほど染めたため息を、ウミドは長く長く吐いた。
気づいているのかいないのか、レオニスは薄っぺらに笑う。
それからしばらく、レオニスの声に応じなかった。単に無視しているといつまでも「おい、おいったらおい」と、やかましいので鼻息の返答だけで。
すると満足げに「よし」などとレオニスは頷く。人殺しの考えることは、さっぱり理解できなかった。
──笑わずのトンネルは別名と聴いたが、正式にそちらでいいのではとウミドは考えた。かれこれ、果てしなく歩きつめた後の気持ちだ。
地底を滑る水の流れに出くわしたり、山と山の合間から遠い天を仰いだり。相応しげな場所があっても、休息は一度だけだった。
途中で灯りが尽きれば、出られなくなる。当然に余裕を持って用意してあるようだが、早く出るにこしたことはない。
レオニスの言葉を、初めて「そりゃそうだ」と肯定した。ゆえにトンネルの果て、出口をくぐったとき。ほう、と心持ちを緩めた。
「おつかれさん。よく歩ききったな」
間髪入れずが最も憎む男の声でなければ、抱き合って喜んだかもしれない。
汗ばむトンネルから、さあっと体温を奪っていく夕暮れの草原に出たこと。踏み固められた道の先、どう見ても人工の建物がいくつも見えること。
ウミドの感情が常と違ったのを見透かされたようで、鼻息の返答もしなかった。
その場でまた夜を明かし、ニコライ卿の軍勢は北へ進んだ。初めて見る町にも入らず、少数の遣いが走らされるのみ。やがて道が広くなり、横目に通り過ぎた大小の集落は十を超える。
いずれ。時間を言えば五日の距離、大人の背丈の二倍もある石壁に囲まれた街に辿り着く。
トンネルを出た次の日には、海は見えなくなっていた。その代わりに脇へ大きな川を抱えた町を「スタロスタロだ」とレオニス。
いよいよ軍勢が頭を突っ込む。引き上げられた鉄柵を見上げれば、ウミドが平たく伸ばされる姿を想像するに易い。
堅牢な石壁の中、やはり堅牢で整然とした石積みの家が並ぶ。一本の紐をぴんと張るように、まっすぐに連なる軒。
馬の牽く荷車。何人で食いきれるかという量の載せられた作物。人間の乗るものも。
ただ歩く者、草を編んだ上に道具や食い物を並べる者。ざっと見回しただけで、ウミドがこれまでに対話した人の数よりも多い。
これはなにかと訊ねる相手があれば、二晩は会話に困らないと予測がついた。
しかし最も目を引いたのは、石壁だった。石壁に囲まれる中、また石壁に囲まれた場所がある。
町の外壁と比べても、四倍や五倍と言ってまったく足りぬほど高い。小さな山でも見上げるかの建物に、ウミドは言葉を失った。
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