第13話:闘技場の街(8)

 静かだった。

 知らずウミド自身の漏らす、微かな「はぁ……」がくっきり聴こえるほど。

 それがおかしいと気づかぬまま、そびえる白い壁を見上げ続けた。


「そんなに気に入ったか」


 誰のものか。頭上へ落ちた声に、はっと振り返った。

 誰もなにも、レオニスの顔がある。今まで見てきた微笑が失せ、面倒げに唇を歪めた。

 中天の陽が影を作り、眼の色は見えなかった。歩きづめであり、今日はいちだんと暑い。そのせいとしか感じなかった。


「気に入るわけないだろ」


 毎度おなじく、レオニスの言葉に反対を答える。同時に逸らした眼が、ようやく異常を映した。

 行き交っていた人々が残らず地面に片膝をつき、ものも言わず頭を垂れる。荷車に乗った者も、わざわざ降りて。


 ニコライ卿と率いる兵は、その中央を行く。ウミドが呆然とする時間に随分と進んだようで、卿と兵の区別はマントでしかつかぬものの。

 だのに、着いて歩くはずのレオニスと部下は立ち止まっていた。


「迷子になるぞ」

「それはない。帰るところが違う」


 叱られるだろう。そう皮肉を言ったつもりが、皮肉げに鼻で笑われた。嘲笑というより、やれやれと疲れた風に。


「俺たちは、あっちだ。見物が済んだなら行くぞ」


 ウミドが呆けて見た石壁の建物に、レオニスの指は向く。町へ入った門から、柵で区切られた専用の道が続いていた。


「ええ? でかい家は偉いやつが住むんだろ」


 誰かが言っていたような、程度の朧な知識でニコライ卿の住み家と判じていた。

 しかし嘘でも冗談でもなさそうで、レオニスは指したほうへ歩きだす。


「でかいはでかいが、中はそうでもない。まあ入れば分かる、早く来い。危ないからな」

「危ない?」


 意味の分からないことばかり言う。理解に苦しんで動かぬウミドに、レオニスは上を指し示した。

 これには従って見上げると、石壁で狭められた天しか見えなかった。


 ──いや、石壁の上だ。自由に歩ける構造らしく、ざっくり二十人前後が見下ろしている。

 その手に、いずれも弓があった。当然のように矢をつがえ、およそ向けるのはレオニスやウミドへ。

 背すじに氷の針が立った。この間にもレオニスらは通路を進む。金属の被りものを着けた二十人ほどに、尻を押される恰好で。


 どんな事情があればこうなるか、想像もつかない。だが危ないとだけは誇張でなく、むしろ足りなかったと肌に感じた。

 石畳を蹴る。剣の柄へ手をかけた兵を追い越し、レオニスまでひと息に走った。


 石壁の建物は、高さ以上に奥行きがどれほどか、近づくほど全容が分からなくなる。どこにも直線がなく、おそらく上から見れば卵の形らしいとだけ。

 中へ入る口に扉はなく、縦に長いアーチ型が等間隔にずらり並んだ。一つ二つと目で追っても、どこまで数えたか途中で分からなくなるくらいに。


「つ、作ったやつはバカなのか? 入るところは一つでいいだろ」


 矢を向けられ、今にも剣を抜かんと威圧する兵に追い立てられた。製作者への暴言は、早まった鼓動をごまかすためと自覚して言う。


「心配するな、俺たちが使うことはない」

「うん?」


 また分からない。首をひねっても、レオニスの解説は続かなかった。

 ただしすぐに答えが知れる。建物の石壁と町の外壁とが接する、薄暗い辺り。通路はそこで、鉄柵を扉としたアーチに行き当たった。


 腹にも金属の板を付けた、ニコライ卿の連れていた兵よりも重武装の兵士が、左右に二人ずつ。少し離れた屋根の下へ、その五倍。

 レオニスらは誰も残らず剣を渡し、建物へ侵入する。ウミドのナイフ入りの革袋も漏れなく。


 当然かもしれないが、内部の壁も石壁だらけだ。無数にある太い柱さえなければ、十人でも並んで歩けそうな広い空間をぞろぞろと進む。

 突き当たりには、鉄柵入りのアーチと重武装の兵士。既視感を疑う光景を、最終的に三度見ることとなった。

 スベグから連れ立った男らは一人ずつにされ、武装をすべて奪われた。唯一、レオニスだけがウミドと共に螺旋の階段を上る。


 もはや言葉が出ない。

 己は囚われた身と言え、レオニスにまでなにが起きているか。呼吸をも憚らねばならぬかと思えてくる。

 二人並ぶのがやっとの幅をぐるぐると。いい加減に目の回る気になったところで、「着いた」と聴こえた。


 跳んでも届かぬ高さに、大きな開口がある。それだけを灯りとした暗がりへ、階段と同じ幅の通路が伸びた。

 汗と血と、排泄物の臭い。左右を塞ぐのは石壁でなく、鉄柵。


 両腕をやっと広げた面積で仕切られ、通路と出入りする扉は鎖で閉じられた。

 山羊を寝かす天幕でさえ、格段にゆったりしている。けれどもここへ入れられるのは、手首と手首、足首と足首を鉄鎖で繋がれた人間。

 レオニスと、自分にも同じ拘束があるのをウミドは見つめた。


「レオニス……」

「百人殺し……」


 恨めしげな眼と声が、発する者の腕に感じる。纏わりつくそれらを引き千切るように、レオニスは堂々と進んだ。

 この通路の最奥にも、アーチと鉄柵の組み合わせがあった。すぐ手前に剣だけを携えた兵が居て、おもむろに椅子を立つ。


「戻ったか。変わった土産があると聴いたが、そいつか?」

「ああ、あんたらに手間はかけさせない」

「そんなガキ、どうしようと手間になるもんか」


 厭らしく笑む兵に、レオニスは表情を消して応じた。ただし鉄柵を封じた鎖は速やかに解かれ、再び封じるのも手早い。


「ようこそ、俺の部屋へ。好きにくつろげ」


 兵の存在などなかったという風に、レオニスの声へ感情が戻った。スベグからの道中に比べれば硬いが、ウミドの緊張を強いるほどでない。


 俺の部屋とやらには、木のテーブルと椅子が備えられた。脇の壁面には小物を置く棚、反対の壁面には藁を敷き詰めた寝床。

 それでテーブルを回れるだけの広さを持つ空間だった。


「くつろげって──」


 どこで、どうやって。という疑問ももちろんだが、問うべきことが多すぎる。

 なにをか言おうとして、言葉にならずに呑み込む。ウミドはそれを五度か六度も繰り返した。


「ああ、お前の寝床か。心配しなくても、じきだ」


 自分はとっとと寝床へ転がり、あくび混じりにレオニスは言う。

 これが合図だったか、あるいは予言か。階段を駆け上がる、たったったっと軽やかな足音がすぐに聴こえ始めた。


「ねえ、子供ができたってほんと!?」


 足音の主は、鉄柵に体当たりする勢いで突っ込んだ。抱えた大量の藁を緩衝材にしたのだろうか。

 色白の、燃えるような赤毛。暖かそうな革のベストを着た女が、「あんたね!」とウミドに笑いかける。


「名前は? あたし、アリサ!」

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