第11話:闘技場の街(6)
夜が明け、泥で染めたような天幕が畳まれた。スベグの住み家に使うものより随分と薄いが、持ち運びは楽そうでいい。
部下を持つ者が、集まるように指示を飛ばす。自ら喚く者があれば、使いを走らせる者も。
「さあて、行くか」
レオニスはと言えば、立って伸びをしつつ呟いただけだ。きっとウミドに言ったのでもない独り言で。
ウミドが立つのに手を貸してはくれなかった。額を地面につけ、背中の筋力で膝立ちになり、立ち上がった。
縛られたままでも案外と熟睡した頭は、すっきり冴えていた。
「うまい、うまい」
さっそく、ぶち壊された。手を叩くレオニスに舌打ちをし、辺りを見回す。兵士がのそのそ歩くさまなどどうでも良かったが、レオニスを見るよりはましだ。
いやしかし、あらためての発見はある。
兵たちは誰も、色白だった。ウミドを赤土とすれば、彼らは山羊の乳。ごくまれにスベグを訪れていた、交易商人と同じだった。
その白い顔の上に、麦を生やしたのがレオニスだ。丈は小指ほどもないが、ほかの兵は赤や茶に類する色をしていて同じものが見えない。
ウミドの父より、かなり若そうだ。腕も脚も鍛えた筋肉がありありとして、それでいて圧迫感のようなものはなかった。
身体つきがカシムと似ている。そう評じかけた記憶を、ウミドは唾と共に吐き棄てた。
常に微笑むような顔の拵えで、実際はなにを考えているやら。
周りの兵がすぐさま十人ずつを作り、きっちりと列を作ろうとする中、加えて集まれなどと言いだすことはない。
「おい、オレは放っといていいのか」
ウミドの縄も立ち木から解いただけで、すぐに手放した。それでもう忘れたように歩き始める。
「ん、そのまま逃げてもいいぞ。俺の所有となるとニコライ卿の所有でもあって、すぐに追っ手がかかるけどな」
逃げきれば自由、とでも言うのか。ぐるりどこを向いても兵士だらけで、十人が十でもその倍でも足らない。
「来るのか」
「お前を殺すしか、やることないからな」
「それはそれは」
並んで歩くことを選んだ。すると小さいながらも笑声らしい、抜けた息。顔を上げぬよう、眼だけで盗み見る。
明らか上がった口角に腹が立った。視界にレオニスを入れぬよう調整し、前だけを見る。進む先、どうやらスベグの山が塞ぐ。
レオニスの部下らしい男らは、百歩ほどを行く間にやっと集まった。ほかが十人ずつのところ、三十も。やはり、なめし革の被りものだけだ。
ニコライ卿の連れる兵は、百の三倍ほどもありそうだった。その最後尾をレオニスらが歩く。まったく緩やかにだが上りの草原を、やがて切り立つ山肌へ向け。
「そうそう。歩くのは足を浮かさないように、でも地面をこすらないようにだ」
「ええ? オレはずっとこの歩き方だ」
歩くのに、どう足を動かすか。生まれてこのかた、考えたこともない。それを「うん、いいな」などと褒められ、却ってうまく動かなくなる。
レオニスの思うようにはならない。という意味も篭め、わざと高く膝を持ち上げて歩いた。すぐ、ムダに疲れるのでやめてしまったが。
「山を越えるのか?」
スベグのように平原へ住む者が、少数派とは知っていた。木や石で作った建物が集まるのを、街と呼ぶことも。
しかし行く手にそんなものはなく、ならば山の向こうにあるのだ。
山を越えない南の町になら、父は行ったらしい。
鉈やナイフといった金属の道具は、そこで手に入れるしかなかった。土産に、初めて見る作物もあった。
文字通り、見たことのない世界へ向かう。動悸の強まる理由が、歩くのとは関係ないと明白だ。
「嬉しそうだな」
「そんなわけあるか」
嬉しい顔をしていた? 返したとおり、レオニスの言葉をバカなと否定する。都合よく水溜まりでもないか、うっかり探しつつ。
「しかし越えるのかと訊いたな。すると答えは、越えないだ」
「はあ? お前たちの住む場所に帰るんじゃないのか。街があるんだろ」
「ああそうだ。山の向こう、と言ってもかなり先だけどな。ニコライ卿の治める町へ帰る」
山の向こうへ行くが、山は越えない。なるほど、からかわれているようだ。判じたウミドは、もっとも労力をかけずに評する言葉を見つけた。
「バカが」
「おっ、強いな」
軽薄な笑声混じり。喜ぶかの返答を、ウミドは睨んだ。
山越えを軽んじれば怪我ではすまない。もちろんウミドも越えた経験はないが、両腕を固定されたまま行けるものでないくらいは瞭然。
だがそれを利用できるかも、と思う。見たところ向かう山は、ウミドが暮らしてきた場所よりも相当に険しい。
崖上から、レオニスを巻き添えに落ちるのは成功の可能性が高そうだ。
というウミドの計略は実現しなかった。結論を言うなら、レオニスの言うとおりだったために。
ニコライ卿の率いる兵は、一人として山の斜面を登ることをしない。ぽっかりと空く、馬に乗る者さえそのまま進める穴へ呑み込まれていった。
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