第6話:闘技場の街(1)

 村を滅ぼす。きっと、おそらく、いや間違いなく、このウミドの住むスベグの集落を言っている。

 父の声ではなかった。誰もが敬うカシムの口から出るはずもない。


「誰だよ」


 祖母に抱かれたシャーミーが、抱き返す腕にぎゅっと力を篭める。ウミドの母とシャーミーの母が揃って振り返り、「本当にそうだよ」と震える唇で言った。


 二人とも、手近な得物を握る。火かき棒と、パンを練る棒だ。

 互いに肩を寄せ合い、天幕の入り口を向く。おかげでウミドには、膝立ちせねば出入りが見えない。


「どこのどいつか知らないけど、ここは私たちの家だ」

「そうだよ。子供らを守って、旦那を待つんだ」


 シャーミーの母は涙声だった。ウミドの母も鼻を啜ったが、力強く答えた。

 天幕の脇に兄貴分が棍棒を構える。

 馬を降りた人間の足音が遠くから段々と近づく。それをいちいち、こっちか、そっちかという具合いに視線を走らせた。

 最初に声の聴こえたほうから四方八方、どれだけの人数かも知れない。


「うわあああ──」


 男の叫び声。切羽詰まっていて確としないが、スベグの誰か。

 ひと息で長く続くと思えたのが、突然に掻き消えた。聴く力を瞬間に失ったか、とウミドは自身の耳を疑った。

 けれども違う方向で天幕が裂け、もみくちゃに倒れるのが手に取るように分かった。


「お前たちなんかに!」


 女の声。シャーミーと仲の良い女の子の母親。ウミドとて、言葉を交わしたのが何度かも数えきれない。

 その中に一度もなかった、鞭打つような刺々しい声。


 立ち上がりかけたシャーミーを、祖母が押し留める。抱きすくめ、彼女も胸に顔を埋めて従う。

 誰かの声が聴こえるたび、その前後に切り裂く音がする。布を、肉を。


「声が……」


 兄貴分が呻いた。背中を天幕につけて待ち伏せる構えだ、黙っているが良いに決まっている。

 しかしそうやって、不気味に感じるのはウミドにも理解できた。

 声が聴こえない。最初の宣言のあと、襲ってくる側の声が一つも。


 陽が昇り始めた。射す光が長く影を伸ばし、天幕に巨人を創り出す。

 間違いなく、スベグの民と同じ人間の姿だ。長い剣を携え、二、三人で歩き、剣を振り上げ、然るべく振り下ろす。


 誰ぞ影絵で遊んでいるのか。そうであればと本気で願うくらい、同じような動作が繰り返される。

 けれども影絵でなければ遊戯でもない。スベグの民の声は、たしかに一つずつ断ち切られていった。


「そっちは」

「誰も居ません」


 巨人の影が、ただの人間の大きさになった。それでようやく、囁くかの意思交換が聴こえる。


「ここいらはこれで最後です」

「もったいをつけるな。手早くやれ」


 血抜きは手早く、しっかりと。うまく燻製を作るコツだと父が言っていた。

 外の誰か。たぶん最初に叫んだやつだ、とウミドは判じる。その声の言う手早くとは、ウミドやシャーミーを指していた。


 前触れなく、入り口になにかが突き込まれた。

 剣だ。横合いからの朝日を受け、銀に輝く刃が布を裂く。

 胸に金属の板を、頭になめし革の被りものを着けた男が二人、剣先を突きつける恰好で踏み入る。


 兄貴分はなにも言うなと身振りで示し、ゆっくりゆっくり棍棒を振り上げた。

 踏み入った男の後ろから、もう一人が入ってくる。兄貴分の眼光は、その背中へ向く。


「うおおっ!」


 男は剣を抜いていなかった。襲撃に気づいたとして、受ける方法などない──はずだ。

 男の手が蝿でも払う風に動き、垂れ下がっていた天幕が兄貴分の顔面に張りつく。

 もがく兄貴分の手から棍棒が奪われ、狙いすますそぶりも見せずに喉が突かれた。


 それも肘から先だけで、さほど重々しい動作でない。だのに兄貴分は背丈の分も弾かれて転げる。

 すぐ、剣を抜いていたうちの一人が駆け寄った。切っ先を胸に落とし、ぐるり回してから引き抜く。


「た、助かった。レオニスどの」

「構わない。早く」


 品定めのごとく二、三度、レオニスと呼ばれた男は棍棒を振った。その間にも、細めた眼がウミドを含む一同から外れることはない。

 誰も、ひと言も漏らさなかった。シャーミーと祖母は固く抱き合い、母親二人はそれぞれの武器を突き出して。


 オレは……

 ウミドは全身を震わせていた。真冬に裸で歩き回っても、これほどでない。

 怒りの形相のまま、兄貴分は動かなくなった。今にも怒声を吐きそうな口から、血のあぶくを噴いて。


 オレはどうしたら。オレもああなるのか。

 心の声を誰か翻訳したとすれば、こればかりを繰り返していた。実際のところ、オレは、オレは、と重ねるだけだったが。


「避けると痛いぜ」


 二振りの剣が、母親二人の頭上へそれぞれ上がる。ウミドの母は必死に立ち上がろうと腰を上げたが、言うことをきかぬらしい足をもつらせるばかり。

 このままでいいのか。

 カシムの子が、敵わぬまでもなんらの抵抗もせず。ただただ母の死を眺めるのか。


「父ちゃん! うわあああああ!」


 それは決して許されない。ウミドが、ウミド自身をだ。

 腰のナイフを抜き、母の肩を乗り越えて飛び出す。力任せに突いた切っ先は、剣を抜いた男の一方へ届きかけた。


 あと、指の長さ一本。男の胸に触れると信じた刃が、次の瞬間になにもない宙へ放り出された。

 あっさりと躱され、ウミドの背中へ手刀が叩き込まれたために。


「うがっ!」


 顔から着地し、さらに二回の前転で止まる。そこはレオニスの脇、ちょうど五歩のところ。

 揺れる視界の中、落としたナイフに這い寄り、すぐにも折れそうな膝を叱りつけて立ち上がる。


 その時点で察していた。レオニスは何度でも棍棒で打ちつけるいとまがあった。

 ウミドの二倍もありそうな背丈から見下ろし、「来い」とばかり手招きするために待ったのだ。


「誰かを侮るやつは、いつか自分も侮られる。好いていようといまいと、人に対するときのしんだ」


 父の言葉が耳に響いた。こいつはウミドを侮ったために死ぬ。この命一つで父の仇には足りないが、なにもしないよりはましだ。

 姿勢を低く。両手でナイフを握り、レオニスの股間へ目がけて走る。


「父ちゃん!」


 全力で突いた。それがレオニスに触れたかもウミドには分からなかった。

 見えるのは真っ赤な色のみで、夢かうつつかも知れない。分かるとすれば、その色が少しずつ闇に変じていくことだけだ。

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