第七章:終焉

 初めは小雨程度だった雨は、数分後には土砂降りになっていた。空は暗雲に覆われ、暑さはどこかへ消え、むしろ冷え込んできてさえいた。

 ルミアとローダスは病院のラウンジへ戻っていた。

「帰郷初っ端から豪雨か... 随分と不親切だな」

 窓の外を眺めながら、ローダスは首を振った。

「でもこれで少し涼しくなるだろうから、これはこれで良かったんじゃない?」

 ルミアは午後の診察の資料をめくりながら答えた。

「確かに、暑さが和らぐのは助かるが...お」

 ローダスが少し嬉しそうな声を上げた。

「どうした?」

 ルミアは資料から顔を上げて尋ねた。

 ローダスはルミアの方を振り返ると、窓の外を指さした。

「ようやく、止んできたよ」

 ルミアは席を立ち、窓際の兄の横に立った。

「今日は虹が出そうだな」

 ローダスがそう言うのも無理はなかった。つい数秒前までの豪雨は嘘かのように、空は静まり返り、雲の合間からは陽の光が差し始めていた。

「こういうときの空は特別綺麗だな」

「そうだね、とっても...」

 ルミアは絶句した。両手から資料が音を立てて床に落ちる。彼女の目に写り込んだものはあまりにも恐ろしかった。

 二百年間蓋をしてきた、四百年前の悪夢の記憶が、彼女の中で目を覚ました。

 ルミアはとっさに病院の出口の方へ向かって一直線に駆け出した。

「ルミア?ルミア、どこに行く!?」

 ローダスは慌てて妹を追おうとしたが、はたと立ち止まり、窓の外の風景に視線を走らせた。

「何だ、一体ルミアには何が見えていたんだ?一体何が...」

 ローダスは目を見開いた。そして、恐怖に震えた。

 南向きの窓から見える山々の斜面という斜面に無数の亀裂が走っていたのだ。そのうちのいくつかは、亀裂から水を吹いていたり、ひっきりなしに小石が転がり落ちていた。

「おい、何だよ、これ...!」

 ローダスが思わず後ずさりした、次の瞬間、骨の髄まで震わすような地響きとともに、山々の斜面が一斉に崩落した。

 ラウンジにはしばらく地響きだけが響いていた。

 ローダスは衝撃のあまり地面に座り込みそうになった。しかし、そこで、あることを思い出した。

「まさか、あいつ、こうなることがわかって... あの土砂を...!」

 ルミアの考えを悟ったローダスは、街が轟音と悲鳴に包まれ始める中、急いで妹の後を追った。


 ルミアは長い廊下を走り抜け、病院を飛び出すと、一言唱えた。

「飛行魔法!」

 ルミアの体がふわりと宙に浮き、一瞬空中に静止したかと思うと、そのまま上空へ舞い上がった。

 ルミアは高層ビルの合間を縫うように上昇し、街の上空へ抜けた。そこから見下ろした景色は、実に悲惨だった。南方の山脈からは流入してきた土砂が一つの流れとなり、次々と自動車や建物を押しつぶしていった。その様子は、彼女が幼い頃に見た悪夢のそれとピタリと重なって見えた。

「このままじゃ、私の村が全部土砂に飲み込まれる... もうあんな光景は... 二度と見たくない!」

 そう呟くと、ルミアは急降下し、迫りくる土砂の正面に降り立った。そして、両手を突き出し、叫んだ。

「第三防御魔法・ラファリスの壁盾!」

 ルミアの両手に黄色い光の輪が輝いた刹那、前方の地面から巨大な黄金色の光の壁が現れ、土砂の行く手を阻んだ。

 街中に響くような衝撃音が上がり、土砂の塊が壁に激しく衝突した。しかし、ルミアの強靭な精神力を注がれた壁盾はびくともしなかった。

「この壁盾なら、絶対に...!」

 自信が確信へと変わったルミアは、力を注ぎ続けた。

 だが、そう思ったのも束の間、ルミアの両腕に違和感が走った。見ると、光の壁にひびが入り始めていた。

「そんな...」

 ルミアはひびを塞ごうとしたが、遅かった。大量の土砂の前に、壁盾は限界を迎えた。ガラスが割れるような音とともに、光の壁は砕け散った。

 凄まじい反動に襲われ、ルミアは後に大きく吹き飛ばされた。


 ここで死ぬ。静かに悟ったルミアは、目を閉じた。


 ところが、地面に体を打ち付ける寸前、誰かが後ろからルミアを抱きかかえるように受け止めた。

「ルミア、大丈夫か!?」

 ルミアが目を開けると、目を血走らせたローダスが肩で息をしながら、ルミアの顔を覗き込んでいた。

「お兄さん...?なんで...こんなところにいるの?」

 弱々しく尋ねる妹を、ローダスはきつく抱きしめた。

「お前こそ何を考えているんだ!逃げるぞ!」

 そう言うと、ローダスはルミアを抱えたまま走り出した。

 後ろからは物が押しつぶされる音がひっきりなしに響いてきていた。

「くそっ、一体何がどうなってこんなことに... これが山の怒りというものなのか?」

 ローダスが走りながら吐き捨てた。すると、ルミアがポツリと呟いた。

「これは山の怒りなんかじゃない」

「え?」

 ローダスは思わず立ち止まった。ルミアは静かに語り始めた。

「私たちには、力も、頭脳も、魔法も、技術もあった。でも、それらを賢く用いる前に、私たちは自身を過信し、すべてを支配できた気になっていた...」

「どういうことだ、ルミア?何が言いたい?」

 困惑したローダスが尋ねると、ルミアはゆっくりと土砂の方を指さした。

「二百年前の病も、魔物の再来も、この土砂崩れも... 理由はどれも同じ、それもとても単純な理由... ただ驕り高ぶっていた私達には、悪夢で結末を予見できていたとしても、その単純な理由が見えなかった...」



「私たちはただ木を切りすぎたんだ...」



-終-

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