第25話 犯人の影

冷たい風が工場の駐車場を吹き抜ける。鉄錆の匂いが漂い、無機質な建物が無言で立ち並ぶその光景は、まるで何かを隠し持っているかのようだった。奈緒美と刈谷は、毛利と共に工場の入り口に立ち、内部に潜む真実を探るための決意を新たにした。


「ここが例の工業用劇薬を製造している工場だ。」刈谷が静かに言った。彼の目は鋭く、工場の外観を細かく観察していた。「外部からのアクセスは制限されているが、内部で何が行われているかはわからない。」


「そうですね。見た目以上に警戒が必要です。」奈緒美は目を細め、工場のドアが開かれるのを待った。彼女はすでにこの場所で何かが隠されていると直感していた。


ドアが開き、工場の責任者である宮田が姿を現した。宮田は初老の男性で、長年この工場に勤めてきたベテランである。彼の表情は無機質で、警察とNDSラボの捜査員が来たことに対して、表面的には協力的な態度を見せていたが、その目にはどこか不安が宿っている。


「お忙しいところすみません。」奈緒美が先に口を開き、礼儀正しく挨拶した。「今回の調査は、我々が追っている事件に関連する物質についての確認です。お手数ですが、工場内の詳しい案内をお願いできますか?」


宮田は短く頷き、「もちろんです。全ての施設をご案内します。」と答えた。その言葉には力がなく、まるで何かを隠そうとしているようだった。


三人は宮田に導かれて工場内に足を踏み入れた。工場内部は機械の騒音が響き渡り、無数のパイプやタンクが視界に広がっていた。生産ラインは規則正しく動いており、その光景は一見、平穏そのものであった。


「ここが劇薬を製造しているラインです。」宮田は無表情で説明を続けた。「製品の品質管理は徹底しており、不適切な流出や漏洩が起こることは絶対にありません。」


「それでも、不正に持ち出される可能性はゼロではない。」刈谷は慎重に宮田を見据えた。「何か異常な動きがあったか、確認したい。」


宮田はわずかに視線を逸らし、「特に目立った異常は報告されていませんが、詳細な記録を調べてみます。」と答えた。


奈緒美はその間、工場内の雰囲気を慎重に観察していた。従業員たちは一様に無言で作業を続け、まるで彼らが何かを隠そうとしているかのように、目を合わせることを避けていた。


「従業員の中で、最近辞めた人はいませんか?」奈緒美は宮田に問いかけた。


宮田は一瞬、考え込むような表情を見せたが、「実は一人、先月退職した者がいます。ただ、特に問題はなかったと思います。」と答えた。


「その人物の連絡先や、退職の理由について教えていただけますか?」毛利が即座に追及した。「我々の捜査にとって重要な情報になるかもしれません。」


「もちろんです。すぐに記録をお渡しします。」宮田は少し動揺しながら、従業員データを確認するために奥のオフィスに向かった。


奈緒美と刈谷、そして毛利はその場に残り、工場内の様子をさらに観察した。何かがこの場所に潜んでいることは明らかだったが、それが何であるかを突き止めるには、まだ手がかりが不足していた。


「この工場には、普通の工場とは異なる雰囲気がある。」奈緒美は静かに言った。「従業員たちの態度もどこか不自然です。何かを隠そうとしているように感じます。」


「同感だ。」刈谷もまた周囲を見回しながら答えた。「この場所にはもっと深い闇があるかもしれない。表面だけではわからない何かが。」


その時、奥のオフィスから宮田が戻ってきた。彼は従業員データを持ってきたが、その顔には不安が色濃く浮かんでいた。


「こちらが退職した従業員のデータです。」宮田は資料を奈緒美に手渡しながら言った。「彼の退職理由は家庭の事情とのことですが、特に問題は報告されていません。」


「ありがとうございます。」奈緒美は資料を受け取り、すぐにその内容を確認し始めた。「彼についてさらに詳しく調べてみます。」


宮田はそれ以上何も言わずに黙り込んだが、その態度はどこか引っかかるものがあった。奈緒美はそれを見逃さず、彼が何か重要な情報を隠している可能性を疑った。


「宮田さん、もう一つだけ確認させてください。」奈緒美は資料を閉じ、冷静に言葉を選んだ。「この工場で、最近何か異常な出来事や不審な行動を取る従業員がいたことはありませんか?小さなことでも結構です。」


宮田は一瞬戸惑ったが、すぐに顔を引き締め、「特には…」と答えかけたが、言葉を飲み込んだ。「いや、そういえば…少し前に、ある従業員が不自然な行動をしていたと報告がありました。しかし、特に深く追及はしませんでした。」


「それはどういう内容ですか?」奈緒美は一歩踏み込んで質問した。


「工場の倉庫で、一人の従業員が何かを隠しているような動きをしていたと聞きました。しかし、その後すぐにその話は消えてしまい、結局、何もなかったことに…」宮田は不安そうに続けた。


「倉庫を見せていただけますか?」刈谷がすぐに尋ねた。


宮田は躊躇しながらも、彼らを工場の奥へと案内した。暗く広い倉庫には、さまざまな機械や資材が整然と積まれていたが、その静けさが逆に不安を煽った。


「ここです。」宮田は小さな一角を指差した。「その従業員が不審な動きをしていたのはこの辺りです。」


奈緒美はその場に立ち、倉庫の隅々まで目を凝らして観察した。彼女の直感が告げるように、ここには何かが隠されているはずだった。


「この場所を徹底的に調べましょう。」奈緒美は決意を込めて言った。「何か、事件の鍵となるものが見つかるかもしれません。」


「私も協力します。」刈谷が力強く答え、彼らはすぐに調査を始めた。


工場の静寂が破られ、捜査の手が入ることで、犯人の影が次第に浮かび上がってくる。だが、それはまだ全貌が見えていない、隠された恐怖の一端に過ぎなかった。


奈緒美と刈谷、毛利は、ここで得られる手がかりが犯人の追跡に繋がると信じ、慎重に、そして確実に進んでいった。

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