第18話 決断の時

翌朝、NDSラボの会議室には緊張が張り詰めていた。奈緒美と高橋は、夜通しでまとめた証拠を手に、ラボのリーダーである榊原と、「Project Mortem」の責任者である森田正隆と対峙していた。これまでの調査で得たデータが、いよいよ全ての真実を明らかにする瞬間が近づいていた。


「皆さんに集まっていただいたのは、『Project Mortem』に致命的な欠陥があることが判明したためです。」奈緒美は静かに、しかし確固たる声で話し始めた。彼女の前には、詳細な分析結果が記された資料が広げられていた。「このプロジェクトが、人命に重大なリスクをもたらしていることを示すデータを、ここに提示します。」


高橋がプロジェクターを操作し、スクリーンにデータを映し出す。システムが特定の条件下で不規則な動作を示し、それが人体に致命的な影響を与える可能性が高いことを証明するグラフと解析結果が次々と表示された。


「これらのデータは、佐藤さんと篠崎さんの死因が、『Project Mortem』のシステムに関連していることを強く示唆しています。」奈緒美は一つ一つのデータを丁寧に説明しながら、視線を森田に向けた。「これを無視することはできません。プロジェクトの即時停止を提案します。」


森田は資料を無言で見つめていた。彼の顔には明らかな動揺の色が浮かび、眉間には深い皺が寄っていた。だが、次の瞬間、彼は冷静を装い、ゆっくりと奈緒美に向き直った。


「奈緒美さん、私はあなたの熱意を認めます。しかし、これは一方的な判断ではありませんか?」森田の声には、微かに怒りが混じっていた。「確かにデータは重要です。しかし、これがプロジェクトを停止させる理由になるとは思えません。私たちはこのプロジェクトに何年もかけてきました。それをこんな形で終わらせるわけにはいかないのです。」


「森田さん、これは単なるデータではありません。人命がかかっています。」奈緒美は毅然とした態度で返答した。「このプロジェクトを続行すれば、さらに多くの犠牲が出る可能性があります。それを防ぐために、今すぐ行動を起こすべきです。」


「このプロジェクトは、法医学の分野に革命をもたらす可能性があるのです。それを、あなたの言うことだけで止めることはできません。」森田は言葉を強めた。「私たちはこれまでに多くの挑戦を乗り越えてきました。今回もその一つに過ぎないのです。システムの修正を行い、プロジェクトを続行すべきです。」


奈緒美は一瞬、言葉を失った。森田の言葉には、彼がプロジェクトにかける情熱と執着が感じられた。しかし、彼女はすぐに自分を取り戻し、さらに強い口調で続けた。「森田さん、私はこのプロジェクトの意義を否定しているわけではありません。しかし、今は一時停止して、システム全体を見直す必要があります。これ以上の犠牲を出さないためにも、私たちは慎重になるべきです。」


榊原が二人の間に立ち、静かに話し始めた。「お二人とも、それぞれの立場で強い意見を持っていることは理解しています。しかし、ここで最も重要なのは、ラボ全体の安全と信頼を守ることです。私たちは科学者として、冷静に事実を受け入れ、適切な判断を下さなければなりません。」


会議室の空気が一層重くなる中、奈緒美は森田の反応を待った。彼女は、彼がこの状況をどう受け止めるのか、固唾を飲んで見守っていた。森田は長い沈黙の後、深いため息をついた。


「分かりました。」森田は静かに、しかし明らかな疲労を滲ませながら言った。「プロジェクトを一時停止し、システム全体を見直します。しかし、それがラボ全体に与える影響についても考慮する必要があります。私はただ、これまでの努力が無駄にならないことを願っています。」


奈緒美は森田の言葉を聞きながら、安堵とともに新たな責任感を感じていた。プロジェクトの一時停止が決まったことで、さらなる犠牲を防ぐための第一歩が踏み出された。しかし、彼女はまだ多くの課題が残されていることを理解していた。システムの見直しがどれほどの困難を伴うか、そして森田が本当に協力的であり続けるかどうかは、これからの行動にかかっていた。


「ありがとうございます、森田さん。私たちは一緒にこの問題を解決していきましょう。」奈緒美はそう言って、彼に感謝の意を示した。「今後、さらなる検証と修正作業を進めていきますが、私たちが目指すべきは人命の安全と科学の進歩、その両方を守ることです。」


森田は黙って頷き、席を立った。彼の背中には、かつてないほどの重圧がかかっていることが窺えた。


会議室から出た後、奈緒美は深く息をついた。これで終わりではない。むしろ、ここからが本当の戦いの始まりだということを痛感していた。しかし、彼女には強い信念があった。科学者として、そして人間として、正しいことを貫くために、どんな困難が待ち受けていようと前進し続ける覚悟ができていた。


その日、奈緒美は再び研究室に戻り、今後の対応を準備するための作業に取り掛かった。彼女の心には、これまでの犠牲者たちの思いが強く刻まれており、それが彼女をさらに前進させる原動力となっていた。

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