第16話 法律的視点
NDSラボの廊下は、どこか張り詰めた空気が漂っていた。奈緒美は、篠崎の死を巡る新たな事実を抱えたまま、法務アドバイザーである神谷悠のオフィスに向かっていた。神谷のオフィスは、ラボの中でもひときわ静けさが漂う場所だ。法的な書類や資料が並べられた棚が、彼の冷静で理論的な性格を映し出している。
「奈緒美さん、どうぞお入りください。」扉を開けた神谷は、表情こそ変わらなかったが、奈緒美の表情を一目見て、その深刻さを感じ取った。
奈緒美は黙って神谷の招きに応じ、部屋に入ると、すぐに椅子に腰を下ろした。「神谷さん、話を聞いてもらいたいことがあります。」彼女の声には、微かな緊張が滲んでいた。
「もちろんです。篠崎さんの件についてでしょうか?」神谷はデスクの向こうから、奈緒美を真剣な眼差しで見つめた。
「ええ。篠崎さんの死について、さらに調査を進めた結果、またしても血液中に例の化学物質が検出されました。」奈緒美は先ほどの分析結果を神谷に差し出しながら話を続けた。「この物質が『Project Mortem』に関係している可能性が非常に高い。しかし、現時点ではまだ決定的な証拠にはなり得ません。ですから、この件について法的にどのように対処すべきか、相談に乗っていただきたいんです。」
神谷はしばらく資料に目を通した後、ゆっくりと顔を上げた。「この化学物質が原因だとすると、もしプロジェクトが続行された場合、他にも同様の犠牲が出る危険性があるということですね。」
「その通りです。」奈緒美は即座に頷いた。「この状況を見過ごすわけにはいきません。プロジェクトの一時的な停止を求めることを考えていますが、そのためには法的な根拠が必要になります。プロジェクトに関わる全てのメンバーの安全を確保するために、どのような手続きを踏むべきかを教えていただけますか?」
神谷は一瞬、考え込むように目を閉じた。「まず、プロジェクトの停止を正式に求めるには、具体的な危険性を立証する必要があります。佐藤さんと篠崎さんの死因が明確にプロジェクトに関連していることを示す証拠が必要です。これがなければ、プロジェクトを停止することは非常に困難でしょう。ラボにとっても大きな影響を与える可能性がありますから。」
「ですが、これ以上の犠牲を出すわけにはいきません。」奈緒美の声には焦燥感が滲んでいた。「何としてもプロジェクトを止めなければならないのです。例えそれが一時的な措置であっても、今行動しなければ、取り返しのつかないことになるかもしれません。」
「奈緒美さん、私も同じ意見です。しかし、法的な手続きには慎重さが求められます。まずは、内部での証拠収集を徹底することが重要です。その上で、ラボの上層部に正式な報告書を提出し、プロジェクトの一時停止を要請する手続きを進めましょう。それと同時に、外部の法的専門家にも相談することをお勧めします。」
「分かりました。」奈緒美は真剣に神谷の言葉を受け止めた。「もう一度、すべてのデータを洗い直し、可能な限り多くの証拠を集めます。そして、プロジェクトが続行されればどのようなリスクがあるのかを明確に示す報告書を作成します。」
神谷は頷きながら、「それが最も現実的なアプローチです。私も法的なサポートを全力で行います。」と、静かに返答した。
奈緒美は、神谷の冷静かつ的確な助言に一抹の安堵を覚えた。彼の支えがあれば、どんな困難な状況でも乗り越えられる気がした。それでも、彼女の心の奥底では、今後の展開に対する不安が渦巻いていた。
「この先、もっと困難な状況に直面するかもしれません。」奈緒美は深い息をついて続けた。「ですが、私たちは真実を追求しなければなりません。どんなに複雑で困難な状況であっても、科学的な事実を明らかにしなければならないのです。」
神谷は静かに頷き、デスクに置かれた書類に目を移した。「奈緒美さん、あなたの決意は尊重します。そして、法的に支えるのが私の役目です。共にこの問題を解決していきましょう。」
奈緒美は神谷に感謝の意を込めた視線を送り、軽く頭を下げた。「ありがとうございます、神谷さん。私は今、私たちが直面している問題を科学と法律の両面からしっかりと捉えたいと思っています。それが私たちの使命であり、佐藤さんや篠崎さんに報いる唯一の方法だと思います。」
二人の間に短い沈黙が訪れたが、それは決意を新たにするための静かな瞬間だった。奈緒美は、その静けさの中で、自らの中にある覚悟を再確認した。
「では、私は再度、分析に戻ります。」奈緒美は立ち上がり、神谷に別れを告げた。「新たな情報が得られ次第、すぐに報告します。」
「お願いします。」神谷は微笑みを浮かべながら、奈緒美を見送った。
オフィスを後にした奈緒美は、再び研究室へと向かった。彼女の中には、神谷との対話を通じて得た確信と、新たな覚悟が宿っていた。どれだけ困難な道であろうと、真実を追求するという彼女の使命感は、ますます強固なものとなっていった。
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