第4話 見えない手

朝日がNDSラボの大きな窓から差し込む頃、奈緒美は一晩中続けていた調査の疲れを、ほんの少しだけ感じた。彼女のデスクには山積みの資料と、数冊の専門書が広げられている。榊原の言葉がまだ頭の中で響いていた。「これ以上、犠牲者を増やしてはならない。」


「時間がない……」奈緒美は呟き、パソコンの画面をじっと見つめた。榊原が解析したデータは、デバイスの誤作動が確実に外部の信号干渉によって引き起こされていることを示していた。彼女はその信号源を突き止めるため、さらに調査を進める必要があった。


その時、オフィスのドアが静かに開き、神谷悠が入ってきた。彼は国際法の専門家であり、NDSラボの法務アドバイザーを務めている。冷静で鋭い眼差しが特徴的な彼は、奈緒美の様子を見て声をかけた。


「徹夜か、前田。」


「ええ、まだ終わりそうにありませんけどね。」奈緒美は微笑み返したが、その目は疲れていた。


「お前が集めた情報、少し見せてもらえるか?」神谷は彼女の隣に座り、モニターに映し出されたデータを覗き込んだ。


「この信号干渉、特定の時間帯に集中していることに気づきました。被害者たちが亡くなる前の数時間に、全てのデバイスに異常な動作が記録されています。つまり、外部からの影響が直接原因になっている可能性が高いんです。」


奈緒美の説明に、神谷は静かに頷いた。「この信号がどこから発信されているのか、突き止める必要があるな。」


「それが問題なんです。まだ発信源が特定できていないんです。どんなに調べても、何かが見えない壁のように私たちの調査を妨げている気がして……。」


神谷は奈緒美の言葉をじっくりと聞いた後、ふと窓の外に目を向けた。「もしその信号が意図的に隠されているとしたら、どうだ?」


「意図的に……?」奈緒美は神谷の言葉に驚きを隠せなかった。


「この種の信号干渉が起こるのは、一般的な環境ではほとんど考えられない。だが、何者かがその信号を操作しているとしたら……その意図がどこにあるのかを探るべきだ。」


神谷の言葉は、奈緒美の心に新たな疑念を生んだ。「誰かがこの信号を操っている……?」


「そしてその目的が何なのか。おそらく、商業的な利益か、あるいは政治的な意図かもしれない。」神谷は立ち上がり、部屋の中を歩き回りながら考え込んだ。「企業がこの事実を隠そうとしているなら、内部に協力者がいる可能性もある。」


「内部の協力者……」奈緒美の脳裏に、山田さんの姿が浮かんだ。彼が気づいた「何か」が、その協力者にとって脅威となり、命を狙われたのかもしれない。


「すぐに企業側とコンタクトを取るべきです。」奈緒美は決意を込めて言った。「彼らがこの状況にどう対応するかで、真相に近づけるかもしれません。」


「そうだな、だが慎重に行動しろ。彼らが動き出す前に、こちらも準備を整えておく必要がある。」神谷は深く頷いた。


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その日の午後、NDSラボの会議室に全員が集められた。榊原を中心に、奈緒美、中谷、高橋、そして神谷が揃い、これまでの調査結果を共有していた。


「企業側に接触を試みましたが、彼らは我々の主張を真剣に受け止めていないようです。」榊原は苛立ちを隠せない様子で話し始めた。「しかし、このままでは事態が悪化するばかりだ。」


「デバイスの回収を要求しましたが、彼らはそれを拒否しています。」中谷が続けた。「彼らはデバイスに欠陥があるという証拠が不十分だと言っている。」


「企業が動かないなら、私たちで手を打つしかありませんね。」高橋が冷静に言った。「僕が信号源を追跡して、発信場所を突き止めます。そのデータがあれば、企業側も動かざるを得ないでしょう。」


「そのためには時間が必要だ。」榊原が指摘する。「その間にも、さらに犠牲者が出る可能性がある。」


「ええ、でも、これが唯一の手掛かりです。」奈緒美は覚悟を決めたように言った。「信号源を突き止め、デバイスの欠陥を証明することで、企業側を追い詰めるしかありません。」


「ならば、すぐに動くしかない。」神谷が静かに締めくくった。「企業が自らの利益を守ろうとするなら、こちらも相応の準備をしておくべきだ。法的手段も含めて。」


その後、チームはそれぞれの役割を確認し、行動に移る準備を始めた。高橋は自らの専門分野であるデジタルフォレンジックを駆使し、信号源の特定に全力を尽くす。一方で、奈緒美は山田さんの死因を含む他の被害者たちの共通点を再度調査し、企業側の隠蔽工作を暴こうと動き出した。


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夜が更けても、奈緒美のデスクには明かりが灯っていた。彼女はひたすら資料と向き合い、山田さんのメモと企業の内部文書の分析に没頭していた。だが、どこかで何かが足りないと感じていた。


「見落としていることがある……」奈緒美はそう呟き、再び山田さんのメモ帳を手に取った。


メモ帳のページをめくり続けるうちに、ある一文が目に留まった。


**「次のステージへ進む前に、全てをリセットする必要がある。」**


奈緒美はその言葉の意味を考え込んだ。山田さんは一体何をリセットしようとしていたのか? その「次のステージ」とは何を指しているのか?


「リセット……」彼女はその言葉を何度も口にし、考えを巡らせた。やがて、ある可能性が浮かんだ。


「もしかして……」奈緒美は急いでパソコンに向かい、山田さんが利用していた図書館のデータベースにアクセスした。彼が何を調べていたのかを改めて確認するためだった。


画面に表示された山田さんの利用履歴を見て、奈緒美は息を呑んだ。


「これが……次のステージ……?」


山田さんが調べていたのは、ペースメーカーのリセット方法に関する情報だった。それは、外部からの信号を利用してデバイスを一時的に停止し、再起動させる技術についての論文だった。


「山田さんはこれを知っていた……そして、それを使って何かを……」奈緒美の頭の中で点と点が繋がり始めた。


「彼はデバイスをリセットしようとしていた……でも、どうして?」


奈緒美の心に新たな疑問が浮かぶ。もし山田さんがデバイスのリセットを試みていたのなら、それが誤作動を引き起こした原因かもしれない。だが、彼がそれを知りながら試みた理由が分からない。


「まさか……」


その時、ドアがノックされ、榊原が入ってきた。「前田、進展はあったか?」


奈緒美は榊原に見つめられ、すぐに思い直した。「はい、山田さんがデバイスのリセット方法について調べていたことが分かりました。でも、それが何を意味するのか、まだはっきりとは……」


榊原は奈緒美の説明を聞き終えた後、深く息をついた。「そのリセット方法が、今回の信号干渉に関係している可能性がある。彼が何らかの手段でそれを実行しようとした結果、誤作動が起きたのかもしれない。」


「でも、なぜ彼はそれを試みたんでしょうか?」奈緒美の問いに、榊原は少し間を置いてから答えた。


「それを知るためには、彼がその行動を取るに至った背景を探る必要がある。もしかしたら、彼は誰かに指示されていたのかもしれない……」


「指示……?」奈緒美の心に再び新たな疑念が芽生えた。彼が単独で行動していたのではなく、何者かに操られていた可能性が浮上する。


「これでまた一歩進んだ。だが、まだ全貌は見えていない。」榊原は冷静な声で続けた。「次にやるべきことは、その指示を出した人物を特定することだ。おそらく、それがこの事件の鍵を握っている。」


「了解しました。すぐに調査を進めます。」奈緒美は決意を新たに、次の行動に移る準備を始めた。


---


その夜、奈緒美は再び眠れぬまま、デスクに向かっていた。山田さんが「リセット」を試みた理由、そしてそれが誰の指示によるものだったのか――その謎が解ければ、事件の全貌が明らかになるはずだ。


彼女はパソコンの前に座り、再び資料に目を通しながら、自分の中で疑念を整理していった。そして、ふとした瞬間に思いついた一つの仮説が、奈緒美の心を大きく揺さぶった。


「もしかして……この事件の背後には、もっと大きな力が……」


奈緒美はその仮説を確かめるため、翌朝、チームにすぐに共有する決意を固めた。彼女の直感が正しければ、これから待ち受ける展開は、予想をはるかに超えるものになるかもしれない。

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