第2話 沈黙の鎖

「デバイスの誤作動……これが事実なら、どれだけの命が危険にさらされているんだろう?」奈緒美は、自分のデスクに戻ると、手元の資料を広げ、被害者たちの背景を再度見直した。


「高齢者ばかり……みんな独り暮らしだったんですね。」


奈緒美は、被害者たちの生活状況を調べながら、孤立した生活を送る彼らに思いを馳せた。家族もいない、友人も少ない――そんな彼らの最期の瞬間を想像すると、胸が痛んだ。


「もし私たちがもっと早く気づいていれば……」奈緒美の心に後悔が渦巻く。


その時、奈緒美のデスクに中谷彩がやってきた。彼女は少し疲れた様子だったが、奈緒美を見ると微笑んだ。


「奈緒美、調べてみたわ。被害者の一人、山田さんは近くの福祉センターを利用していたみたい。」


「福祉センター? それは初耳です。」奈緒美は顔を上げ、興味深そうに中谷を見た。


「ええ、毎週月曜に訪れていたみたい。特に交流があったわけではないけれど、センターのスタッフは彼のことをよく覚えているみたいよ。」


「そのスタッフと話してみる価値がありそうですね。」奈緒美は立ち上がった。「実際に現場を見てみたいです。」


---


福祉センターは小さな住宅街にあり、外観は質素で、まさに地域に溶け込んでいるといった風情だった。奈緒美と中谷が訪れると、センターの受付にいた女性がにこやかに迎えてくれた。


「山田さんのこと、覚えていますか?」奈緒美が尋ねると、女性は少し悲しげに頷いた。


「はい、もちろんです。山田さんはとても静かな方でしたが、毎週欠かさず来てくれました。彼は……」女性は言葉を探すように視線を落とした。「いつもどこか寂しそうでした。何か大きな悩みを抱えているようにも見えましたが、私たちにはそれを打ち明けることはありませんでした。」


「他の利用者との交流はありましたか?」中谷が質問を続ける。


「いえ、ほとんど一人で過ごされていました。読書が好きで、図書室で本を読んでいることが多かったです。」


奈緒美は周囲を見渡し、センターの落ち着いた雰囲気を感じ取った。だが、その静けさの中に、何か違和感を覚えた。


「山田さんが最後にここを訪れたのはいつですか?」奈緒美が尋ねると、女性はカレンダーを確認しながら答えた。


「確か……彼が亡くなられる数日前だったと思います。特に変わった様子はありませんでしたが、いつもより少し疲れているように見えました。」


奈緒美はその言葉に引っかかりを感じた。何かが変わり始めていたのかもしれない――だが、誰もその変化に気づかなかったのだろうか。


「山田さんが読んでいた本について、何か覚えていませんか?」奈緒美は思いついたように尋ねた。


「本……そうですね、確か……彼はいつも同じ本を読んでいたような気がします。でも、何の本かまでは覚えていません。」


「図書室に行ってみてもいいですか?」中谷が提案すると、女性は快く案内してくれた。


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図書室は小さな部屋で、棚には古い書籍がぎっしりと並んでいた。奈緒美は一つずつ本の背表紙を確認し、山田さんが読んでいたという本を探し始めた。


「彼が何を読んでいたのか、何か手がかりになるといいけど……」奈緒美が呟いた。


すると、中谷が棚の端にあった一冊の本を手に取った。「これかしら?」


それは、古い医学書だった。表紙は擦り切れており、中にはペンで書き込まれたメモがいくつか残されていた。


「こんな古い医学書を読んでいたの?」奈緒美は驚いた。


「どうやらそうみたいね。だけど、なぜ彼がこれを?」中谷は眉をひそめた。


奈緒美はページをめくりながら、山田さんが何を考えていたのかを探ろうとした。だが、そこに書かれていたのは、一般的な医療知識であり、特別な手がかりは見当たらなかった。


「ただの趣味だったのかもしれないけど……それにしては熱心すぎる気がする。」奈緒美は本を棚に戻し、次の手がかりを求めて思案した。


その時、中谷が再び本棚に目を留めた。「ちょっと、これを見て。」


彼女が指差したのは、同じシリーズの別の医学書だった。だが、その本はページが一部破り取られていた。


「ページがない……?」奈緒美は本を手に取り、ページが破られた箇所を確認した。


「重要な情報があったんじゃないかしら。誰かが意図的に破り取った可能性もあるわ。」中谷が言葉を続けた。


「山田さんが? それとも、誰か他の人が?」奈緒美はさらに混乱した。


「これだけじゃ何とも言えないわ。でも、少なくとも彼がこの本に何か特別な関心を持っていたことは間違いないわね。」中谷は本を慎重に扱いながら、ページが破られた部分を写真に撮った。


「もしかしたら、この破られたページが彼の死因に関係しているかもしれない……。」奈緒美は仮説を立てたが、それを裏付ける証拠はまだ見つかっていない。


「今は推測しかできないけれど、念のためこの本を持ち帰って分析してみる価値はあるわ。」中谷は慎重に本をバッグに入れ、センターのスタッフに一礼した。


「これで何か新しい手がかりが見つかるといいのですが……」奈緒美は淡い希望を胸に抱きつつ、福祉センターを後にした。


---


NDSラボに戻った奈緒美と中谷は、さっそく山田さんが読んでいた医学書の分析を始めた。中谷は破られたページが何について書かれていたのかを調べ、奈緒美は本全体を精査して、何か見落としている情報がないか確認した。


「奈緒美、見てこれ。」中谷が画面を指差した。破られたページが元々何を説明していたのかをデータベースから引き出していた。


「心臓ペースメーカーの技術的な説明……この章が破られている。」奈緒美は驚いた。「どうしてこれを……」


「ペースメーカーに関する情報を隠そうとしたのか、それとも自分で調べようとしていたのか。」中谷は首を傾げた。


「もし山田さんがペースメーカーのことを何か知っていたとしたら、それが原因で彼は……?」奈緒美の心に不安が募る。


その時、ドアがノックされ、榊原が部屋に入ってきた。彼は何か重大なニュースを伝えようとしているようだった。


「前田、中谷、急ぎの報告だ。今朝、また新たに高齢者が心臓発作で亡くなった。」榊原の声には重みがあった。


「またですか……」奈緒美は衝撃を受けた。


「しかも、その方も同じペースメーカーを装着していたことが確認された。これで確信した。デバイスに何らかの欠陥がある。」


「早急にデバイスを回収しないと、多くの人が危険に晒されます。」中谷が緊迫した表情で言った。


「その通りだ。すぐに企業側と連絡を取り、対応を強く要求する。しかし、事態が進む前に、私たちでできる限りのことをする必要がある。」榊原は決意を固めたように言った。


「もう時間がありません……」奈緒美の胸は高鳴った。


彼女たちは、真実を突き止め、命を救うために動き始めた。その鎖の先に待っているものが何であれ、彼女たちは全力で立ち向かう覚悟を決めたのだった。

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