第3話 一緒に住む!

 由芽ゆめちゃんのびっくりした声が病室に反響する。

 病室に俺たちしかいなくて助かった。


 ……相続とは正の財産ばかりではない。

 負の財産だって相続の対象になるのだ。


 それは、借金、未払金、保証債務など。


 築二十三年、木造、1LDKが六部屋のアパート。


 名前は“まいまい荘”


 それが俺の相続するアパートだ。


 ローン期間はなんと三十年! 残り返済期間は七年。

 俺はアパートの現物を相続すると同時にその借金まで相続してしまったのだ。


 ……それは大学三年になったばかりの俺にはあまりにも重すぎる事態だった。


「借金ってなんで!?」

「これにはやんごとなき事情がありまして……」

「もしかして風俗にハマっているとか!?」

「んなわけあるかッ!」


 由芽ゆめちゃんから信じられない言葉が飛び出た!

 昔の純粋無垢で天真爛漫なイメージからは考えられない言葉だ。


「理由は聞いちゃダメなやつ……?」

「……」


 ……再会してからたったの一日しか経っていないが、この子の純粋な好意だけは伝わってくる。


 だから、せめてこの子には嘘はつきたくないなぁと思った。


「俺、亡くなったじいちゃんのアパートを相続することになったんだ」

「アパートって、おうちの隣にあるアパート?」

「そうそう。でもさ、アパートのローン返済が終わってないみたいで……。このままだと銀行に差し押さえされちゃう」

「差し押さえって?」

「毎月のローンを払わないと、銀行にアパートの権利を持っていかれちゃうんだ」


 毎月のローン返済額はアパート三部屋分の家賃だ。


 つまり最低でも、半分の部屋に誰かが住んでないとローン返済ができなくなってしまう。


 でも、今はたったの一部屋しか埋まっていない……。

 現時点では圧倒的赤字状態のアパートなのだ。


「俺、そのアパート経営の立て直しをやりたいんだ。でも、東京とこっちで二重に暮らすのはお金が厳しいからこっちに引っ越そうと思って」


 由芽ゆめちゃんが神妙な面持ちで俺の話を聞いている。


「もしかして、それはとーっても大変なのでは……?」

「うん。でも、手放したくないんだ」

「手放す?」

「実は相続って放棄することもできたんだけどさ……」

「じゃ、じゃあ、そっちのほうがっ!」

「でも俺が持っていたいなって思ったんだ」

「それはどうして……?」


 きっと、昔と変わらず優しい子なんだろうな。

 言葉を選んで話しているのが伝わってくる。


由芽ゆめちゃんはあのアパートの名前知ってる?」

「まいまい荘でしょ?」

「当たり。由芽ゆめちゃんは“まいまい”ってどんなことが思い浮かぶ?」

「んー? かたつむりとか?」

「あはは、実は俺もずっとそうかなって思ってた。でも、実際はそうじゃないみたいなんだ」


 笑っちゃうくらいくだらない話だ。

 アパートにそんな名前つけちゃうなんて、実にうちのじいちゃんらしいなぁと思う。


麻衣まいってうちのばあちゃんの名前」

「え?」

「じいちゃんがばあちゃんの名前を少しでも後世に残したかったんだって。俺が生まれたときにはもうばあちゃんは死んじゃってたんだけどね」


 この話をしているときのじいちゃんの恥ずかしそうな顔が忘れられない。


 麻衣まい荘だとあからさまで、ばあちゃんが恥ずかしがるからって荘にしてしまったとか。しかもその呼び方は、じいちゃんが若い頃にばあちゃんのことを呼んでいた呼び方らしい!


「面白くない? アパートに自分の嫁さんの名前つけるなんて」


 つい笑ってしまった。

 まったくどっちが恥ずかしいんだか。


「あっ、その顔――」

「ん?」

「な、なんでもない! ごめん、話の腰を折っちゃって」

「ううん。だからさ、俺、じいちゃんが好きだったばあちゃんの名前を遺してあげたいなって思ってるんだ。大好きだったじいちゃんの大好きだった人の名前をさ」


 これが俺がアパートを相続することにした最大の理由だ。

 裏も表もなく、ありのままの気持ちを再会したばかりの近所の女の子に伝えた。


「そんなこんなで、二十一にして借金まみれの人生! 大学も休学して、アパートの手入れをしないといけないなって思ってさ。まぁ、大学三年だからそんなに講義自体はないんだけど、割とお先真っ暗な状態で――」

「ぐすっ」

「へ?」


 引かれるか、笑い飛ばされるかと思っていたが、あまりにも意外な反応が返ってきた。


 由芽ゆめちゃんの目からは涙がこぼれ落ちてしまっていた。


「ど、どどどどうしたの!?」

「お兄ちゃんはやっぱり優しいね……」

「えっ?」

「お兄ちゃんは覚えてないかもしれないけど、そういう優しさに私も救われたんだよ」


 二日連続で女の子を泣かせてしまった……。

 年下の子を泣かせてしまった焦燥感と罪悪感で気持ちがいっぱいになっていく。


「よく分かんないけど、とりあえず涙を拭いてよ! あー! 今、左手が使えないや!」


 涙を拭いてもらうにも、ハンカチなんて持っていない。

 ギプスで拭いてもらうわけにはいかないし……。


「うんっ! うんっ! やっぱり決めた!」


 由芽ゆめちゃんが目をこすりながら一人で頷き始めた。


「決めたってなにが?」

「私、本当は十八になってからお兄ちゃんに会いに行こうと思ったんだ」

「はいっ!?」

「でも、やっぱり我慢できない! 私、お兄ちゃんと一緒に住むから!」

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