第2話 口約束に時効ってあるの?

「えぇえええ!? そんなのとっくに忘れてると思ってたよ!」

「ひどい! 私はずっと本気だったのに!」

「いやいや! 普通はそんな子供の口約束を本気だとは思わないじゃん! 時効だよ、とっくに時効!」

「口約束に時効ってあるの!? そんなこと言われてももう遅いもん!」


 由芽ゆめちゃんの頬にはとめどなく涙が伝わってしまっている。


 い、いや口約束に時効って――。

 これを言ったらさすがに怒られそうだから黙ってよう。


「じゃあ、その話は後からじーーっくりということで!」

「後から!?」

「今は自分の怪我を治すことだけを考えて!」


 由芽ゆめちゃんはそう言うと、俺の左手に優しく自分の手を添えてきた。


「改めてだけど、助けてくれて本当にありがとね。また会えて本当に嬉しい……。これから由芽ゆめのことはお兄ちゃんの左手だと思って使っていいからね」


 ひ、左手って……。

 こんな子を前に、真っ先にいやらしいことが思い浮かんでしまった俺は相当ダメなやつだと思う。


「あっ、これからうちの親も来るからね」

「何故に!?」

「だって、私の命の恩人だもん。お兄ちゃんにお礼をしないとって」

「さっきから大袈裟だってば!」

「大袈裟じゃないよ。お兄ちゃんが助けてくれなかったら今頃私はどうなっていたことか」

「……」

「自分の身を投げ出してまで、誰かを助けようする人なんていないもん。やっぱり私の目は間違っていなかった!」


 由芽ゆめちゃんが、今咲いたばかりの花のような瑞々みずみずしい笑顔を俺に向けてきた。


 そんなこと言われたらこれ以上こっちからはなにも言えないよ……。



想太そうた、自分の言葉には責任持てよ)



 何故か今、死んだじいちゃんのそんな言葉を思い出してしまった。







 事故から丸一日が経った。


「――うん、うん、大丈夫だから。検査も問題なかったから、来なくても大丈夫」


 親に電話をして今の状況を伝える。


 びっくりするほど俺の体は丈夫だった。


 精密検査は特に異常なし。

 軽い脳震盪のうしんとうで意識を失ってしまっていたらしいので経過観察は必要だが、問題なければ三日ほどで退院できるそうだ。骨のヒビは左手の小指から手首にかけて。これの完治には一ヶ月ほどかかる見込みらしい。


「お兄ちゃん、リンゴ食べるよね?」


 電話を終えて病室に戻ると、由芽ゆめちゃんが普通に俺のベッド隣のパイプ椅子に座っていた。


「なんで今日も由芽ゆめちゃんがいるの?」

「未来のお嫁さんだから?」


 赤くて長いリンゴの帯がしゅるしゅるとゴミ箱に入っていく。

 包丁の扱いはかなり手慣れている様子だ。


「学校はどうしたの?」

「休んだ」

由芽ゆめちゃんって今、高校生だよね?」

「うん、今年で高一になったよ!」

「どこの高校に通っているの?」

「近くの第三女子だよ」

「第三女子って有名な進学校じゃん。受験勉強、大変だったでしょう? せっかく優秀な高校に入れたのにもったいないよ」

「物事には優先順位がありますので」

「でも――」

「もー! お兄ちゃんは気にしすぎ!」

「ふがっ!?」


 由芽ゆめちゃんが、カットされたリンゴを俺の口に放り込んできた。


「それにお母さんもああ言ってたでしょう!」







「まさか、由芽ゆめを助けてくれたのがご近所の鈴木さんだったとは! この度はなんとお礼を言っていいか……」


「気にしないでください。由芽ゆめさんがご無事でなによりです」


「ご不便ありましたら、由芽ゆめになんなりと申し付けくださいね」


「だ、大丈夫です! 大丈夫ですからもう頭を上げてください!」


由芽ゆめったら、ずっと想太そうたお兄ちゃんのお嫁さんになるって言ってたんですよ――」







 お嫁さん発言って家族公認だったのか……。


 昨日は由芽ゆめちゃんのお母さんに、親族みんなが来るんじゃないかの勢いでお礼を言われてしまった。


 逆に申し訳ないよ。ただ、咄嗟に体が動いて勝手に怪我しただけなのに。


「リンゴ美味し?」

「美味しい」

「はい、じゃあ次もどうぞ。あーん」

「あーん」


 素直に口を開けてしまった。

 何やってんだ俺!? 右手は問題なく動くのに。


「もぐもぐ」

「あはは、いい食べっぷりだね」


 結局、リンゴ一個をぺろりと平らげてしまった。


 俺にリンゴを食べさせ終えた由芽ゆめちゃんが、今度は棚に置かれた花の手入れをし始める。


 というか、その花はいつの間に持ってきたの……?


「生花って細菌が増えちゃうから、禁止されている病院が多いんだって」

「そうなんだ」

「これは造花だから心配しないでね。造花でも花があると部屋が明るく見えるよね」


 なんというホスピタリティ……。

 殺風景な病室が、たったの一日で綺麗な花で咲き乱れた。


 どうしよう、やたらテキパキと世話を焼いてくれている。

 正直、感謝されるのも世話を焼かれるのも悪い気はしていない。


 でも、このまま年下の女の子に甘えるわけにはいかないよ。

 それに丸一日考えたが、どうしても結婚するだなんて本気で言っているとも思えない。

 

 ……だって、俺と由芽ゆめちゃんが遊んでいたのは何年も前の話だからだ。


由芽ゆめちゃん、お嫁さんとか言ってるけど本気なの?」

「だからガチだって! 私、冗談でもそんなこと言わないもん」


 ぷくっと頬を膨らませながら、由芽ゆめちゃんが俺のベッドに腰をかけてきた。


「お兄ちゃんの分からず屋!」

「そりゃそうだよ、だって最後に会ってから何年経っていると思っているのさ」

「八年と十日」

「カウントしてるのっ!?」


 由芽ゆめちゃんべっとが悪戯っぽく舌を出した。

 あっ、そういうところは昔とあんまり変わってないかも。


「ねぇねぇ、私、そんなことよりもお兄ちゃんの話が聞きたい」

「俺の話?」

「うん。今、なにしているかとか」

「なにしているって言われてもなぁ。普通の大学三年生だよ」

「大学すごいじゃん! どこの大学に行ってるの?」

「東京の世田谷にある大学だよ。法学部」

「法学部すごっ! じゃあ今、東京に住んでるんだ!」

「うん、引っ越す予定だけどね」

「引っ越す? なんで?」


 ……少し他人に話しづらい話題になってしまった。

 俺は、相続するアパートの隣にあるじいちゃんちに引っ越すつもりでいた。

 じいちゃんちは今は完全に空き家……誰も住んでいない。

 ついでに言うと、その相続するアパートも一部屋を除いて誰も住んでいない状態だ。


「……」


 由芽ゆめちゃんが、キラキラした目で俺のことを見つめている。

 その綺麗な目に当てられて俺は正直に自分の状況を話すことにした。


 それに、この話を聞いたら由芽ゆめちゃんは結婚だなんてと言わなくなるかもしれない。


「……俺、借金あるからさ」 

「しゃ、借金!?」

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