第30話 出航02
白地に太陽のシンボルが描かれた帆が風になびく。
「はぁー、良かった。とりあえず乗れたし、ひと段落だね」
肩の力を抜きながらジェハールとルクリエディルタにそう言うと、ふたりはピシッと従者姿勢を崩さないまま両脇に立っていた。
「着くまでは油断出来ねぇから。気抜くなよお嬢さん」
「そうですね。今のところ敵意は感じませんが……姫様、くれぐれも私たちから離れませんよう」
「あ、ハイ」
静かな剣幕に、思わず縮こまり返事をする。油断したつもりはないんだけど、このふたりと私では周囲への警戒への温度差が違うらしい。もっと気を引き締めろと言われて、ゆるんだ佇まいを直した。
(……ちょっと心配しすぎな気もするけど、私の感覚はぬくぬく生きてた前世の日本人のままだからなぁ)
油断しないようにしないと。ふたりがいれば何かあっても何とかなるはずなので離れないようにしよう。しかしまあ、ふたりのほうからきっちり両脇固めてきているから、余程のことがなければ離れることも無さそうである。
甲板の端、船尾から船の進む波の様子を眺める。
(帆船のスピードの標準なんて知らないけど、やっぱり自動車よりは遅いんだなぁ)
これだけ大きな船だ。重量もかなりのものだろう。全くのド素人でも、重いものほど動かすのが大変だという理窟くらい解る。遅いなぁと感想は抱くが、もっと速くしろだなんて絶対に言えない。
ふと帆に描かれたシンボルを見て、考える。
(この世界で信仰されてるのは月の女神って聞いたけど……国によるのかな)
アルバラグの王都の街中では"月"のモチーフを見かけることは無かった。それに、この船の帆に描かれているのは"太陽"だ。もしかすると、この辺りでは太陽のほうが崇められているかもしれない。宗教観って前世ではあんまり意識すること無かったけど、この世界の神様がどんなものなのかはちゃんと学んだ方が良さそうだ。
そんなことをぼんやり考えていると、背後から声がかけられた。
「あっ、あの」
「はい?」
可愛らしい小さな声に振り返ると、そこには若い女性が立っていた。小麦色の肌にくりっとした瞳。長く黒い髪を片側にゆるく結んでいる。緊張している様子だが、優しげな雰囲気を纏った美人さんだ。
「メル様御一行、でしょうか。あの、お寛ぎできるよう船室をご用意致しましたので、ご案内しろと船長が……」
「えっ、ありがとうございます」
予想外の心遣いに驚きながらお礼を口にする。ルクリエディルタは一体いくらお金を詰んだのだろう。びっくりVIP待遇だ。交渉には使っていい予算分のお金しか渡してないが、お釣りの額は聞いていなかった。まぁ、別に何でも良いんだけど。
「すげー好待遇。流石金払ってると違うね」
「ありがたいですね。潮風にずっと当たっていては姫様もお風邪を召されてしまいますし」
案内された部屋は船内とは思えないほど綺麗な応接室だった。
美しい彫刻の施された木の壁に、床には高級そうな絨毯が敷かれている。真ん中に置かれた大きなテーブルには、お茶の入った金属製のティーポットとカップが用意されていた。
「こちらでございます。手狭で申し訳ありませんが、ご自由にお寛ぎください。お茶もよろしければお召し上がりください」
「わぁ。すみません、ありがとうございます」
手狭だなんてとんでもない。悪天候にでもならない限り到着まで甲板で過ごすものだと思っていたくらいなのだ。こんな立派な部屋があるなんて、流石は上級の商会の船である。
「あの、申し遅れましたが、わたくしタビアと申します。この船で雑用をしております。ご用の際はわたくしにお声がけ下さいませ」
こちらの鈴を鳴らして頂ければすぐに参ります。と、タビアは扉の横に掛けられた鈴を指さす。そして「では、失礼いたします」と言って頭を下げると、一礼をしてタビアは部屋を出ていった。
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