第11話 悪意との遭遇01


「すみません」

「なんだい、お嬢ちゃん」


つい先程小麦粉を購入した店の店主に声をかける。濃い髭を生やし頭にターバンを巻いた壮年の男性だ。


「手紙を出したいんです。届けるのにはどうしたらいいか、ご存知ありませんか?」

「手紙?……いやぁ、手紙なんか出したことがないからわからないねぇ」

「え?」


困った顔をする店主に、私の方が困惑した。手紙を出したことがない?


「字なんて書けないし、紙ってのも高級品だろう?」

「へ」


予想外の答えに目を見開いた。手紙をやりとりする習慣がないなんて、思いもしなかったのだ。いや、考えてみればその可能性はあった。まだこの世界、この国に限ってのことかもしれないが、おそらく庶民の識字率が低いのだ。よくよく思い返せば昼間なのに子供が沢山街を歩いていた。学校などの教育機関が無いのかもしれない。


目の前の店主のように商売をしている人間であっても字が書けないのは納得出来る。紙も高級品となると、伝達に紙を使えるのは権力者や富裕層くらいだろうか。


「お嬢ちゃんはその手紙、誰かからの預かりものかい?」

「……えーと、まあそんなところです」

「それなら、隊商に頼むのはどうだ。伝言なら金を払えば伝えてくれるし、その手紙も預かってくれるだろうさ」


店主の提案になるほどと相槌を打つ。専門の機関が無いとなると、そうやって個人で誰かに頼むのが主流なのか。郵便局が当たり前にある社会で生きていたのを思うと、カルチャーショックが大きい。


(……郵便局は無くても似た機関があるだろう、なんて思ってたけど)


楽観的に考えていた自分が恥ずかしい。祖父に手紙を出した人達は紙を買えるほどの権力者か富裕層か、もしくは住んでいる国の文明レベルが高かったのだろうか。屋敷のある森から一番近い国がここだっただけで、もしかしたら他国には郵便局があるのかもしれない。


まあそれはさておき、この国で手紙を出すならば誰かにお金を払って個人的に頼む必要がある。今回は店主の言うように隊商に話をしてみよう。


「いま丁度知り合いの隊商が滞在してる。むこうの通りの宿に泊まってるはずだから、尋ねてみるといい」

「わかりました。ありがとう」


市場の通りから一本外れた路地に宿がいくつかあるらしい。教えてくれた店主に頭を下げて、隊商を尋ねてみるべく店を後にした。


宿の集まる通りに足を踏み入れると、市場の活気と賑やかさとはまた違った雰囲気が漂っていた。香水の匂いが一段と濃く、酒の匂いもする。宿と酒場が一緒になっているのだろう。一階部分の店先では飲み食いしながら女給に絡む男性の姿が多くあった。


「……うわぁ」


目の前の光景に思わず苦い声が出た。ここら一帯にあるのは宿であることは間違いないのだろう。が、おそらく宿が娼館を兼ねている。確証は無い。が、給仕をしている女性達が踊り子の様に華美で露出のある衣装を身に纏っていた。ただの宿泊施設では無いことは明白だろう。大人の繁華街の気配がプンプンする。


(治安が悪い場所も山ほどある、って果物屋の人が言ってたな……)


目の前のこの路地は、まさにそれではないか?一歩足を踏み入れたら犯罪に巻き込まれるリスクがぐんと跳ね上がる気がする。ここまでスリにも暴漢にも遭わなかったのは運が良かったのもあるが、人通りの多い場所を歩いてきたからでもある。ここはある意味賑わってはいるが、治安が良いとはお世辞でも言えそうにない。中身はともかく私のような子供が彷徨いたら格好の餌食だろう。


(……手紙を諦めて、帰ろう)


命の方が大事だ。と、踵を返した時。勢いよく何かにぶつかった。


「​───おっと、……おいおい、痛てぇなあ」

「!!」


ドスの効いた男性の声に体が強ばる。顔を上げると、そこには屈強な男が仁王立ちしていた。どうやら振り返った瞬間衝突してしまったらしい。明らかに怒りを滲ませた声色と表情に、慌てて頭を下げる。


「す、すみませんでした。よく見ていなくて」


そう言って謝ると、男は苛立ったような顔で私に詰め寄った。


「 あぁ?謝って済むもんじゃねぇだろ。嬢ちゃん、随分良い身なりしてんじゃねえか?ん?」

「……あの、本当にすいません。お詫びはします。お金も、少しなら」


帰ろうと思ったところに、最悪の絡まれ方をされてしまった。私からぶつかったとはいえ、振り返ってすぐのところにこの男は立ち止まっていた。わざとじゃないか、と思える状況。それに痛がっている様子なんてちっとも見受けられない。


言いがかりをつける為に、故意にぶつかってきたのか?体格のいい男性に威圧され冷や汗を流しながらも、憤りを覚える。お金で穏便に事が済むなら払うしかないが、悔しい。


「これで、どうか」


鞄からお金を入れていた巾着を取り出し、金貨を数枚手のひらに載せた。相場なんてわからないけど、今日買った食べ物の値段を考えるとかなりの額だとは思う。これじゃ払い過ぎかもしれないが、命には変えられない。


「……ふん」


男は私の手から金貨を荒々しく掴み取った。そして、ジッと値踏みする様な目で見下ろしてくる。


「……足りませんか」


更に金を催促しているのだろうかと尋ねると、男はニヤリといやらしく口角を歪ませる。


「そうだなぁ​───よく見りゃ嬢ちゃん、アンタ綺麗な顔してるじゃねえか。なあ?」


呼びかけるように男がそう言うと、背後から下卑た笑い声が聞こえてきた。


「……っ!!」


囲まれている。男の仲間だろう。数人のガラの悪い男が周囲に集まっていた。


全く気づかなかった。最悪の状況に、冷や汗が出てくる。男達が何を企んでいるのかなんて顔を見れば想像出来た。金品を奪われるだけならまだしも、尊厳まで奪われるのはごめんだ。


「​────こりゃいい。酒場の女にも飽きてきたとこだ」

「へぇ。服も上等なモン着てやがる。売ればイイ金になりそうだ」

「楽しませてもらった後は売り飛ばしちまおう。へへ」


気色の悪い声色と目線にゾッと背筋が震える。


周囲の人間はこの状況を見ても、誰も助けようとはしてくれない。宿の軒先にいる客や通りすがりの人々は、囲まれた私を見世物の様に傍観するだけ。


きっと暴力や子供の拐かしなんて日常茶飯事なのだろう。心配と好奇の視線を向けていながらも、巻き込まれたくないのか誰も近づかず遠巻きに見ているだけだった。


(……どうしよう)


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