第2話 辺鄙な村の黒猫(2)

「娘をいじめるのはやめてもらえないか?」


 翌朝、村を歩いていたオレを呼び止めたおっさんが、開口一番そう言い放った。

 おっさんの正体は幼馴染――イリスの父親だ。

 たまーに、会話もするが殆ど他人……知らない仲である。


「……べーっ」


 おっさんの背中から顔を覗かせたハーフエルフの女の子――イリスが、オレに向かって煽るように舌を出した。

 昨日、父親に言いつけてやるって言ってたが……本当にやったのか。

 

「イリスが泣きながら『ミトラ君がいじめてくる』と訴えてきてね」


「……」


 さて、どうしたものか。


 厄介な事に、オレがイリスを焚き付けたり煽ったりしているのは事実だ。

 だから違うと弁明してもイリスが反抗してくるだろう。


 ……そうだ、いい方法を思いついたぞ。

 いい方法を閃いたオレは、おもむろにイリスに近づく。

 彼女の正面に立ったオレは、真摯な視線で見つめた。


「え、え? ど、どうしたのミトラ君」


 困惑する彼女を――オレは抱き締めた。


「なっ!?」


「へっ? み、ミトラ君?」


 イリスが更に困惑し、彼女の父親が驚愕するのが聞こえる。だがそれも無視して、オレはイリスを抱き締めた。


「ごめん、イリス」


 意図的に震わせた声で、そう囁く。さも泣いているかのように。


「み、ミトラ君?」


「オレ、ちょっとからかっただけのつもりで……イリスがそんなに傷ついているとは思わなかった」


「へ、変だよミトラ君! なんか態度が変だよ!」


「ごめん……ごめんなイリス」


 ――つまり、泣き落としである。

 イリスはとても単純だ。普段とは違う態度を見せれば、多分一発だろう。

 そんな打算的思考は、やはり正しかった。


「わー! ミトラ君がそんな調子だとおかしくなるって! 分かった、分かったよぉ! 大騒ぎした私が悪かったよ! だから元のミトラ君に戻ってよぉ!」


 調子に乗っていたイリスの態度は忽ち揺るぎ、涙目になって降参する。

 はは、アホめ。お前の考えと扱い方くらい心得ておるわ。


「……どういうことだ、イリス」


 予想外の展開だったのだろう、父親が困惑も露わにイリスに問いかける。

 父親から問いを向けられたイリスは、困ったように微笑んだ。


「ええっと……その……ミトラ君にいい様にされて、ちょっとムカついたから……」


「……なるほど」


 神妙な顔で頷いたイリスの父親は、オレの肩に手をポンと置いた。

 

「すまないね、早とちりだったみたいだ」


「……いえ、いいんです」


 ふっ、チョロイな。

 心中で勝ち誇りつつ、悟られないようオレはイリスから離れ、微笑んだ。オレの顔を見たイリスは顔を赤らめるが、すぐに不遜な表情に変わった。


「しょ、しょうがないから許したげる! でも、そのかわり――魔法、教えてよ!」


 自信満々にそう言い放つイリス。彼女の発言に、父親は感心するように目を開いた。


「ミトラ君……魔法、使えるのかい?」


 ――面倒な事しやがったな、イリス。

 感じた気怠さを押し殺すように、オレは微笑んだ。


 何より怠いのが、父親の目の前で魔法教えてと言ったのがメンドイ。

 こんなことになった手前、迂闊に断れない。

 知らぬ存ぜぬで押し通すのも、少し無理がある。

 

「………ええと、まあ」


 仕方ないので、オレは頷いてしまった。


「やっぱり! ミトラ君すぐウソつくもんね! 魔法使えないって言ったのもウソだったんだ!」


「……」


 オレの発言を聞いてイリスは大喜びだ。彼女が予想した通り、オレは魔法が使えるし、そしてそれもバレた。

 モノを教えなきゃいけない相手二人目……あぁ、しんどー。


「……すまないね、ミトラ君」


 イリスの父親は、オレの肩を優しく撫でると謝った。


「できればイリスと……これからも仲良くしてくれると嬉しい。この村では、人間族以外は珍しいから」


 イリスの父親が言う通り、この村は殆ど人間族ばかりだ。

 ――差別意識というワケではなかろうが、どうしても種族の壁というのはある。

 姿が異なるモノとの間には、意識の違いが生まれるモノだ。


 オレは「黒猫は不幸を呼ぶ」というジンクス込みだが、イリスの場合は異種族故だろう。

 村の子供たちの間で馴染めないのも、むべなるかな。


「ええ、これからも」


 イリスを揶揄って遊ぶのは楽しいし、これからも引っ付いてくるようなら適当に構ってやるつもりではある。


 娘に遊ぶ友達がいるというのは、やはり親として大切な事なのだろうか。

 親バカってヤツなんだろうか。親いた事ないからわかんねぇな。

 

「ただ……あまり娘に抱き着いたりするのは、控えてくれたまえよ」


 ――そんな子煩悩は、最後にそうやってオレに釘を刺すのを忘れなかった。

 

 

 

 

「――やっぱ魔法使えたんじゃん! もう~、ミトラ君はウソつきだなぁ」


 安心した様子の親父さんが去った後、イリスは満面の笑みでそんな事を言っていた。

 オレは無言でイリスの首根っこを掴み、家々の陰に連れて行く。


「うひゃ!? なにするのぉ!?」


 大袈裟な声音で叫ぶイリスを壁に押し付け、オレは至近距離から彼女の顔を覗き込んだ。


「か、壁ドン……」


「いいか、イリス。オレはこれから魔法をお前に教える事になる」


 取り合えず、はっきりさせておかないといけない。

 魔法というのは素晴らしい技術で学問だ。その分、扱うモノによっては危険でもあるのだ。

 取り分け、このアホに魔法を教えるとなれば、その点を留意しないといけない。


 エナに教団の勉強を教えるのとは違う。教えた事全てが、或いは災厄を招きかねない。

 魔法覚えたての時、調子乗って火事を起こしかけたオレが言うんだから、間違いない。


「うん、うん」


 至近距離からオレに凄まれ、イリスはコクコクと頷いた。


「魔法は非常に……ひっじょーに、デリケートだ。テキトーにやって森全部火事とか、死ぬほど嫌だから」


「うん……うん」


「だからこれから条件を出す。これが聞けないなら、魔法を教えるのはナシだ」


「わ、分かったよ」


 一先ず頷いたイリスに、オレは改めて条件を突きつけるべく、大きく息を吸う。


「いいか、条件は一つ」


「うん」


 オレは一拍置いて、生まれつき鋭い金色の瞳で思いきりイリスを睨んだ。


「オレの言う事は、絶対」


「……ぜったい?」


「ぜーったい!」


「絶対……」


 これだけは、遵守させねばならない。

 手綱握っておかないと、ちょっと頭の弱いイリスに魔法教えるなんて危険すぎる。


「オレの言う事は――」


「ぜったい……?」


「ミトラ君の言う事は~?」


「ぜーったい!」


「よろしい」


 今後も、この洗脳――教育はやっておかないとな。イリスはこういうこと忘れかねないし。

 

「んじゃ今日から早速始めよう。あ、それとオレから教わっているってコト、教わったことは他言無用だ」


「なんでー?」


「なんでもだ。いいな?」


 ……まあ、この質問に真面目に答えるとすれば――

 まず、村長から本盗んだのがバレたら面倒。何故なら、普通に犯罪なので。


 それと、魔法は強力な力だ。

 覚えれば色々な事に役立つし、人材としても引っ張りだこになれる。

 その分、修得に必要な人材や魔法書なんかは管理されている。

 農民が魔法覚えて一揆でも起こしたら大変ってコトだろう。


 例えば字を読むにも教育が必要だし、魔法書買うにも金が必要。

 オレはどちらもどうにかなったが、普通、辺境の村に住むガキに、魔法を地力で会得なんて無理だろう。


 故、余り多くに知られたら面倒になる。黙っておくに越したことは無い。


「……分かった」


 兎も角、オレに洗脳――おっと、教育されたばっかのイリスはコクリと頷いた。


「じゃあ、いつもの丘でやるか」


「うん!」


 こうしてオレは、もう一人生徒を抱える事となったのだ。






 ――それから一年。オレは十一歳になった。

 イリスに魔法を教える間にも、オレは村長宅からくすねた魔法書を全て暗記するまで読み込み、会得していた。

 

「うぅ……難しいよぉ」


 字をどうにか覚え、そしてオレから魔法を会得し始めたイリスがボヤく。

 

「ま、第一階梯は平均的な魔導師の合格ラインだしな」


 魔法がどうのと言っているのは、呪文のレベルの話だ。


 魔法にはレベルがある。第一から、第十階梯まで。

 当然、後にいくにつれ効力と難度が上昇する。

 

 第一階梯は、一般的な魔導師が修めて然るべき魔法の最低ライン。

 この領域の呪文が唱えられれば、どうにか一端の魔導師を名乗れるってさ。


「ミトラ君は、もう覚えたんだもんね」


「まあな。イリスよりも早く勉強始めたから、当たり前っちゃ当たり前だが」


「そりゃそうだけどさぁ」


 不貞腐れたような様子のイリスは、オレをぬいぐるみか何かのように抱きしめる。


「あー、だるい。暑苦しい」


「いいじゃんいいじゃん! 減るモンじゃないでしょ!」


「耳元で叫ぶな。ウルサイから」


 そう叱ると、イリスは顔をオレの背中に押し付ける。


「すぅぅ……はぁぁぁ……ふふ、お日様っぽくて、いい匂い」


 生暖かい息がかかって、ちょっとキモイ。

 まあいつもの事だから、慣れてはいる。――不本意ではあるが。


 コイツ、オレが獣人で毛並みがフカフカしているからとか言って、昔からよく抱き着いてくる。


 いざ魔法を教えるってなった時も、オレを膝に乗せて常に抱き締められるようにしてやがる。

 

「お前がオレの匂いフェチなのは分かったからさ、真面目に勉強してくれ」


「に、匂いっ……そんな、私がヘンタイみたいじゃん!」


「なんでもいいけど、真面目にやれよ。折角教えてやってるんだから」


「うぅ……分かってるよ」


 そんなやり取りも何度目か……全く。

 コイツには困ったモノだ。


「そういえばさ、ミトラ君ってなんで魔法勉強してるの?」


 あからさまに話題を逸らすイリス。まあこのまま続けていても不毛な会話だ、乗ってやるか。


「ま、おもろいからだな」


「面白いから? それだけ?」


「悪いか?」


 何事か、打ち込めるモノがあるとやはり人生変わる。オレが言うんだ、間違いない。

 

「悪いなんて言ってないけど……なんかその、魔法の中でも、何かあるんじゃないの? 目的みたいなの」


「ああ……そうだな、やっぱり伝説の禁書庫にいって、存分に魔法書を読みたいな」


 この世界の魔導師と魔法を管理する「評議会」が持つ最高の知識が保管される場所。

 一体どんな魔法の知識があるのか、想像さえ追い付かない。


「へぇ、なんだかすごいね」


「そのためにも、まずは魔術学院に入らないとな」


 ポロリと零すようにオレがそう口にすると、突然イリスの抱擁が強まった。

 オレは黒猫の獣人だ。故に体格は他の獣人より小さい。ハーフエルフの女の子である、イリスより一回り小さいのだ。強く締め付けられたらたまらない。


「うぐっ……」


 絞り出すような苦悶がオレの口から漏れる。そんな事も気にせず、イリスは更に力を重ねる。

 コイツ……オレを絞め殺す気かっ。


「魔術学院! 初耳だよ!」


「……驚きなのは、分かったから……離せって……絞まる」


 息も絶え絶えにどうにかそういうと、イリスは慌てて手を放した。


「ごめん! だいじょーぶ?」


「……危うく大丈夫じゃなくなるとこだったけど、大丈夫」


「そっか、良かった」


 大袈裟に溜息をついて安心した様子を見せるイリスは、そのままオレの頭を撫でだした。

 猫の獣人特有の三角の耳がピクピクと反応する。

 コイツウザっ。


「……そういえば、魔術学院って?」


 安心した様子のイリスは、先ほどの話題を再び出す。


「魔術学院だよ。ルテリアス魔術学院――この国においての最高学府、名門さ」


 ルテリアス魔術学院――このヴェールン王国において、最大の魔術学院。


 創設より五百年以上を誇る名門であり、この王国で魔導師を目指す者は、ルテリアス学院で教育を受けるのを望む。


 当然オレも、この学院に入る事を望んでいる。

 

「一番頭いい学校ってこと?」


「まあ、そういうことだ」


 オレが同意すると、イリスは「へぇー」と生返事をして再び頭を撫で始める。漫ろな様子で、どこか遠くを眺めている。


「そっかぁ。学校かぁ。そっかぁ」


「イリス、おいイリス」


 学校とそっかという二言を暫くうわ言のように繰り返し、やがてイリスはオレの頭に顎をポンと乗せた。


「私も、入りたいなぁ学校」


 そしてイリスは、気の抜けた声でそう呟いた。

 イリスも魔術学院に……?

 どうせオレが行くって言ったからだろう。何て思考が過ったのを察したのか、イリスはオレの耳を掴んだ。


「違うよ! 違うからね! 私もちゃんと考えてる!」


「ホントか?」


「うん!」


「ふーん」


 気の抜けた返事を返したオレは、読んでいた魔法書のページを一つ捲った。


「お前、オレが言った呪文覚えたか?」


 忘れているかどうか確かめるために、何気なく尋ねると、イリスは決定的な攻撃でも喰らったように硬直した。


「……も、もちろん!」


「ふぅーん」


「ほ、ホントだよ!」


「じゃ、〈疾風刃ウィンドカッター〉の詠唱、今ここで答えてみろ」


 ――そう問われたイリスはギクリという擬音が出そうなほど、背をピンと伸ばした。


「…………その、えっと」


 質問された瞬間、あからさまに迷い始めるイリス。

 膝の上に乗せられ、抱きしめられているから、彼女の顔は見えないが、きっと冷や汗流して目がキョロっていることだろう。


「この程度の問題も分からないで、適当にオレの話聞いてるだけじゃ、ルテリアス魔術学院入るなんてまず無理。本気で行きたいなら、真面目に勉強するこった」


 真面目に説教すると、流石に感じ入るモノがあったらしく、イリスは驚くように見開いてから考え込むように俯いた。


「むぅ……」


 むくれたように呻くイリスだが、


「分かった! 私、頑張る! もっと勉強して、ミトラ君とおんなじ学校行く!」


 奮起されたらしく、拳を握り締めて元気に叫んだ。

 どうやらやる気になったらしい。教える側としても、意欲があるヤツの方がいい。


 イリスはちょっとアホな振舞いが目につくが、別に地頭は悪くない。

 ハーフエルフらしく、魔法も得意そうだ。磨けば容易く光るだろう。


 教える事で気づける事もある。

 イリスに魔法を教えるのは面倒ではあるが、オレにとっても得だ。

 さあ、忙しくなりそうだ。

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