黒(猫)魔導師
草原 風
プロローグ
第1話 辺鄙な村の黒猫(1)
「ひぃ~、ごめんなさい~! 私、悪くないのに~」
そんな風に喚くハーフエルフの少女から目を逸らし、オレ――ミトラ・ヴァルナークは、目の前の本に集中した。
「魔法、おもれー」
思わずカスみたいな感想を言ってしまうほど、魔法は面白い。
この世界には、魔法という異能がある。
簡単に言えば、魔法は魔力というエネルギーを用いて、色々な現象を起こす力だ。
この魔法、実に面白い。
勉強すればするほど、色々な事が出来るようになるし、物の見方も変わってくる。
生まれて初めて、オレは夢中になれる事を見つけた。
「返せ! クソガキめ! ワシの本を返せー!」
ハーフエルフの少女を追っているジジイ――この村の村長は、面白いくらいにキレている。
きっと、オレが魔法を勉強する為に本を何冊もくすねたからだろう。
まあ、オレがやったってバレてないみたいだし、いいか。
「うん、魔法、面白い」
また一冊読み終えたオレは、満足して頷いた。
「――ひどいよ! ミトラ君のせいで、私村長に怒られた!」
村の外れ、小高い丘に生えた木に背中を預け、ゆったりと本を読んでいると、先ほどしこたま怒られていた、ハーフエルフの少女――イリスが、涙目になりながらオレにしがみ付いてくる。
簡素なワンピースを着た少女だ。エメラルド色の髪をポニーテールで束ね、新緑色の目はクリクリとしていて、オレを見つめてくる。
ハーフエルフらしく、耳が木の葉のように尖っていた。
同じ村の幼馴染の少女だ。からかうと面白いので、よく構ってやっている。
「さあ、オレのせいじゃないね」
オレは次の一冊――「元素魔法概論・第12版」――を読みつつ、にべもなくイリスに応じる。
「ウソだ! ウソウソ! 私、ミトラ君に言われたもん! 『村長の家の本棚に、面白いモノがあったから見てくるといいよ』――って!!」
等と泣き叫ぶイリスは、オレに飛び掛かる勢いだ。というか飛び掛かってきた。
涙と鼻水だらけでとても嫌なので、オレは尻尾を強く振ってイリスの横っ面を叩く。
「うへっ!」
イリスはオレの尻尾に叩かれ、無様な声を上げて転がる。
はは、アホっぽい。
「もう! 尻尾ズルいよ!」
そう言われても、オレは獣人だし、あるモノ使ってるだけだしな。
オレ、ミトラ・ヴァルナークは黒猫の獣人だ。
イリスと同じくらいか、少し小さいくらいの背丈。真っ黒な毛並みと尻尾を持ち、金色の目をした黒猫の獣人。長めのタテガミは、後ろで適当に紐で縛っている。
チャームポイントは、顔に入った白い縞模様かな。
黒猫は不幸の象徴らしく、村の連中は余りオレと関わりたがらないが、ウルサイのはそんな好きじゃないので、好都合である。
「そんな事言われてもね」
「ミトラ君のせいだ! ミトラ君に言われた通り、村長の家の本棚見てたら、『盗んだのはお前か』って怒られた!」
「ふーん」
実際、イリスは悪くない。
だって村長の家から本をくすねているのはオレだからな。
とはいえ、バレたら面白くない。隠蔽兼、揶揄いを込めてイリスを適当に嗾けたら、面白いように嵌まってくれた。
「もうー。……アレ、ミトラ君本読んでるの?」
オレがそんな事を考えていると、イリスが横から覗き込んでくる
さっきまで馬鹿みたいに喚いていたとは思えない変わり身だ。
「ああ、そうだよ」
「ふーん、何の本?」
本を盗まれてキレていた村長に追い回されていた癖に、オレが読んでいるモノの正体に気づかない所が流石だ。
「魔法の本」
オレが端的に答えると、イリスは目を輝かせた。
「魔法!? ミトラ君、魔法使えるの!?」
そう聞かれて、オレは一瞬迷う。――そして素直に答えれば、面倒な事になると予見し、オレは適当に煙に巻くことにした。
「使えないよ」
「ウソだ!」
何故かバレた。こういう所でカンが鋭いのが不思議だ。
「使えない、しつこいよイリス」
にべもなくそう言い放つと、イリスはぷっくりと頬を膨らませた。
「へそ曲がりのアマノジャクの、ウソつき!」
「酷い言い草だね、傷つくよ」
「だから、今回もウソに違いない! ホントは魔法、使えるんでしょ!?」
意外と理にかなった推測だ。
確かにオレはイリスと会話する時、八割嘘で塗り固めている。何故かって、面白いから。
会って会話する度、オレはイリスを揶揄っているので、必然嘘が多くなるのだ。
「これ以上変な事言うんだったら、耳こねくり回すよ」
「ひっ……!?」
面倒になってきたので、適当に脅してやると、イリスは大袈裟にビビり散らかして黙る。
「うぅ……そ、そういえば、ミトラ君、字読めるんだね。すごい、頭いいねー」
「オレが孤児院に住んでるの、知ってるだろ? シスターに教えて貰ったんだ」
「へぇー、いいなぁー、私字読めないからなぁ」
等と言ったイリスは、チラチラとオレの方を見てくる。何かを言いたげに、チラチラと。
まあ何がいいたいかは分かる。字とか魔法とかを教えて欲しいんだろう。
面倒なので、嫌だ。というワケで無視する。
「……」
無視して「元素魔法の攻撃性」という章を読み進めていると、
「もう!」
とイリスが不満げに叫んだ。
「ミトラ君のバカ! 乙女の気持ち、察してよ!」
「言葉で言わないと分からないね」
「明日からはかまってあげないからね!」
「どうせオレ以外話せる相手もいないだろ」
「うぐっ!」
痛い所を突かれたと、声で分かるあからさまな反応をしたイリスは、ゆっくりと立ち上がり、涙目でオレを見下ろす。
「……ミトラ君のバカバカ! お父さんに言いつけてやる!」
非常に情けない捨て台詞を残すと、イリスはバタバタと走り去っていった。
終始アホアホなヤツだった。
丁度彼女が走り去ったくらいで、また一冊本を読み終えたオレは、カバンに仕舞うと立ち上がる。
「さて、今日も寄り道してから帰るか」
誰に聞かせるでもなくそう呟いて、オレは帰路についた。
帰るためには丘を下っていけばいいのだが、オレは村近くの森に入り込んだ。
森には動物が住んでいるのだが、同時に魔物――魔力によって変質した怪物――もいるので、危険である。
よくシスターが入ってはダメと、度々注意している。この前も肝試しに入った村のガキ大将が、無残な死体になって発見されたとか。
まあ、オレには関係ないね。雑魚の魔物くらいなら追い払えるし、兎の一匹でも狩って帰れば食卓が豪華になる。
魔法沢山使うなら、肉とか食べて体力つけないとね。
そんなワケで、オレはいつもこの森を態々通って帰宅しているのだ。
「……おっ」
そんなこんな考えていたら、件の「魔物」が現れた。
「グギャ、グギャ!」
緑色の肌に、醜い小鬼のような姿。ゴブリンだ。
粗末な棍棒を握り、オレの事を睨みつけている。
どうやら一匹らしい。
ゴブリンは群れる魔物なので、こうしてハグレがいるのは珍しいが、無い事じゃない。
大方アホすぎて、群れから離れてしまったのだろう。
「丁度いい、ぶっ飛ばしてから帰るか」
ジリジリとにじり寄ってくるゴブリンに向けて、剣指を結んで突きつける。
何度も練習して慣れた行為――魔法の行使を行う。
「“穿て炎矢”」
意識を集中させ、身体の奥底より魔力を練り上げ、軽い声音で詠唱する。
そうして呪文を唱えれば、突き付けた指先から円状の魔法陣が浮かび上がった。
「〈
魔法の名を口上した瞬間、指先から炎の矢が解き放たれゴブリンを貫く。
「グギャアアァ!?」
腹を炎の矢で貫かれたゴブリンは一瞬で全身が燃え上がり、悲鳴を上げながら転げまわる。
暫くそうしているとやがてぐったりと倒れ、全身炭となってしまった。
「魔法、すげー」
それを見て、俺はやはりカスみたいな感想を呟く。
魔法……この能力の才能がオレにあって良かった。
しみじみと感じながらオレは炭化したゴブリンを足で踏み砕く。カシャっと音を立てて崩れた死体。暫くオレは足で死体を踏み鳴らしていると、ようやく目的の物を見つけた。
「あった。魔石」
魔石――魔物が持つ、魔力が結晶化したモノ。
様々な用途に使われる物体であり、それ相応の値段もつく。
オレは将来、魔術学院に入ってもっと魔法を勉強したいと考えている。
だが孤児院暮らしのガキに学院に行くだけの金はないので、こうしてチマチマと稼いでいるのだ。
「いいね、魔石」
手の中で紫色の小石を転がし、オレは満足感と共に呟いた。
「おっ、兎だ」
魔石を弄っていると、視界の端に兎が木陰から飛び出してきたのを捉えた。
思わず声を上げてしまったせいで、兎はビビって逃げようとする。
「〈
その前に、再び魔法を発動。今度は兎に向けて放つ。
炎で焼くと兎の丸焼き(消し炭)が出来上がってしまうので、影響が少なそうな氷の魔法を選択した。
展開された魔法陣――術式から、透明な氷の刃が放たれ、素早く兎を仕留める。
「よし」
小さな満足感と共に、オレはガッツポーズをとる。
ぐったりと転がり血をジクジク流す兎の足を掴んで、オレはもう一つ、深く頷いた。
「今度こそ、帰るか」
確かめるように呟いて、オレは帰路についた。
「ミトラ、おかえり」
オレの家は孤児院だ。この村唯一の教会にして、身寄りのない子供を保護する施設である。
この孤児院があるから、この村にはよく身寄りのないガキが集まってくる。
そんな教会のシスターが、オレをにこやかに迎えた。
「ただいま、シスター・イゼルナ」
オレの母親代わりとも言えるシスターは、綺麗なヒトだ。孤児院の運営をするには、かなり若いと思う。
この国の人間族では一般的な金髪碧眼の女性だ。シスターらしい、清楚で綺麗な顔立ちをしているので、村の男性陣に人気らしい。
「あら、兎なんて捕まえて来たの?」
「うん、今日のごはんにしてよ」
「すごいじゃない。でもどうやって?」
「魔法で」
イゼルナに対しては偽る理由も無いので、正直に答えると、彼女は目を見開いて可愛らしく驚いた。
「魔法……!? いったい、なんで……魔法なんてどこで覚えたの?」
当然というべきか、イゼルナは理由を問い質してくる。やっぱり嘘つく理由はないので、素直に答える。
「本で覚えた」
「魔法書なんてうちには無いハズだけど」
「村長の所で」
オレが村長という言葉を出すと、イゼルナは眉をひそめた。
実はオレは、最初村長の養子としてこの村に迎え入れられたのだ。ちょっとした事情があって、結局この孤児院に住む事になったが。
「そうなの……村長が」
どうやら都合よく解釈してくれたみたいだ。
「うん。じゃ、台所においてくる」
「ええ、お願いするわ」
にこやかなイゼルナに見送られ、オレは孤児院の台所まで移動する。その道中にて――
「あ、ミトラ!」
淡い桃色の髪をショートカットにした少女に名を呼ばれる。
振り向けば、髪の色と似たロゼのような瞳がオレを優しく見つめる。
「エナ、どうしたんだ?」
少女――エナは、オレに名前を呼ばれると、ニッコリと微笑んでトコトコと寄ってくる。
「約束放り出して、あのハーフエルフの女の子に会いに行ってたの?」
「ハーフエルフの女の子――約束?」
何の事だ――と一瞬考え、そして思い出した。
「ああ、そういえば……勉強教えてくれって、頼まれてた」
「忘れてたんだ、そんな事だろうと思った」
そういうと、エナは溜息をついた。
どうやら悪い事をしたらしい。
エナ……この孤児院で共に育った、幼馴染(2)である。
将来はシスターを目指しているらしく、度々オレに勉強に付き合えと急かしてくる。
「アタシより遅く文字習い始めたのに、すぐ覚えちゃったんだもん。嫉妬するね」
「忘れてないさ。ほら、宿題昨日出しただろう? アレが今日の分」
「ふーん、どうだか……うん、宿題って言われたヤツはやったよ」
ナイス昨日のオレ、宿題という恰好の言い訳で、今日忘れた事もどうにか出来そうだ。
「それじゃ、今日このあと、採点してから続きといくか」
「上手い具合に逸らされた気するけど、まあいいか。っていうか、兎なんて獲ってきたんだね」
「まあね」
台所についたオレは、兎をフックに吊るし終えると手を軽く払う。
「なんか、獲物とって持って帰ってくるの、ホントの猫みたい」
「思ったこと言えば良いってモンじゃないぞ」
オレがそういうと、エナはいたずらっぽく微笑んだ。
「ごめんねっ」
「あんまオレ揶揄うと、勉強付き合ってやんないからな」
「ごめんて。アルカディア教団に入るには、ちゃんと頭良くないといけないんだから困るよ」
「オレが揶揄う方が好きなの知ってるだろ。オレがいないと困るなら、大人しく揶揄われてろ」
「横暴だなぁ」
適当に会話しながら、オレ達はイゼルナの部屋から借りて来た本を食堂で広げ、いつもの勉強を始める。
「んじゃ採点するぞー。どれどれ」
「ドキドキ」
「わざわざ口で言うのやめてくれるか?」
「ひどーい」
羊皮紙とペン代わりの木炭を広げ、オレはエナの解答に目を走らせる。
「ふーん……教団設立は、1210年前じゃなくて、1201年前だな」
「え、間違えた……」
「頼むぞ、オレ別に宗教者になりたいワケじゃないのに、エナのせいで詳しくなっていってるんだから」
「いいじゃん。一緒になろうよ」
そう言われても、別にオレは教会で働きたいワケじゃない。寧ろ、聖なる魔法以外魔導から遠い教会は、興味こそあれどやっぱり違う。
魔術学院で学べる知識を一通り修めた後ならば、或いは検討してもいいかもしれないが。
「オレは魔術学院に行きたいからな。無理」
そうにべもなく断ると、エナは目を見開いた。
「えー、魔術学院? でも魔法使えないと無理だよ?」
「使える」
「え、使えるんだ。でも使えてもお金ないと入れないよ」
「だから日々頑張って、魔物ブッ倒して魔石集めてるんだよ」
オレはそういうと、懐から小さな石ころを出す。
紫の水晶にも似たそれは、僅かな魔力が零れている。
魔物が保有する魔力が結晶化した物質だ。魔導師はこの物質を加工して、魔法の道具を作ったりするらしい。
「魔物!? ……もしかして、あの森に入ってるの? ヤバイよ、危ないって」
オレが魔物を倒している事を知ったエナは、目を向いて驚愕する。
「別に大した事ない。あの森には、強い魔物なんていないし。仮にいたとしても、逃げるだけならどうとでもなる」
「そういうの、慢心っていうんだよ。痛い目見るだけなら兎も角、怪物相手に痛い目なんて遭ったら、それこそ一巻の終わりだよ」
「難しい言葉知ってるじゃん。なら、次のテストは期待できそうだ」
今回は、まあお察しだったけど――そう評価を結んでから宿題の羊皮紙を差し出すと、エナは顔を赤らめた。
「本気で心配してるんだからね。ミトラが轢かれた猫みたいな感じで森から発見されたら、流石にショック受けちゃうよ」
「オレに言わせれば、馬車に轢かれるような猫は注意力足りなすぎ」
「もう!」
そんな風にじゃれ合っていると、食事の時間になったらしい。
遊ぶのも大概にして、オレ達は夕飯を食って休む。
「じゃ、おやすみ、ミトラ」
エナの挨拶に軽く手を挙げて応じ、オレは自分の部屋に戻る。
早速とばかりにボロいベッドに転がった。
魔物を倒したり、飯食ったり――いつも通りだが、疲れはやっぱりある。
感じる眠気に身を任せながら、オレは静かに考える。
孤児院の暮らしは嫌いじゃない。
でも、オレからしたらやっぱり刺激が足りない。
なんといっても、ここでは魔法を学ぶにも限界がある。
そう、魔法。
オレの夢――魔法を思う存分学び、偉大な魔導師になるという夢。
「……なれるよな、きっと」
寿ぐように呟いて、オレは目を閉じて眠りに入る。
瞼の裏に、煌びやかな夢の未来を描きながら。
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