鍋振る変なおっちゃん

@goboomaru

本編

 西川口。私の住むこの街には、中華料理店で溢れかえっている。

 賑わっているお店に、ある日勇気を出して入ってみた。

メニューを見る。意外と日本人に馴染み深い料理が多い。辛いものが苦手な私は、とりあえず炒飯を頼んでみることにした。

すみませーんと手を挙げる。ホールのお姉さんが中国語のおしゃべりをやめ、カタコトの日本語で応対してくれる。

つつがなく注文を終えた。一人用のカウンター席からは、厨房の様子がよく見えた。

でかい鍋と燃え上がる炎で、米が炒められていく。そしてそれを振るうのは、やかましいおっちゃん。

おっちゃんが作ってくれた炒飯は、すぐに出てきた。いただきます。

うまい。なんだこれは。うまい。

自分で作る炒飯とは比べ物にならんほど米がほぐれ、しかも一粒一粒がふっくらしている。

砂糖ともみりんとも違う甘さのついた醤油味。なんだこれは、食べたことがない、うまい、うますぎる。

気がつけば皿が空になっていた。私は気がつけば、おっちゃんに尊敬の眼差しを向けていた。

しかし、おっちゃんの喋る言葉は、よくわからない。やかましいことしかわからない。

何か伝えようにも、日本語では彼に伝わらないだろう。そう考えた私は、速やかに会計を済ませることにした。



 私は大学生だ。大学生は外国語の授業を取らなくてはならない。

私は英語が苦手だった。小さいアルファベットを読むのが苦痛で仕方なかったのだ。

だから英語は真っ先に候補から外れ、第三外国語を学びたいという気持ちになった。

ふと、あの中華料理店での出来事を思い出す。ホールのお姉さんが話していたのは、中国語だったように思う。なら、あのおっちゃんが話していることも、中国語を学べばわかるのではないか。

私は中国語の授業を申し込んだ。



 中国語を学び始めてから半年経った夏休み、腹を空かせた私は、再びあの中華料理店を訪れていた。

 ホールのお姉さんたちの雑談に耳を傾ける。流石に何を言っているのかまではわからなかったが、その話し声は、どこか耳慣れたものになっていた。

あっ、今お姉さんが「四時」と言った。この店は四時にランチタイムが終わり、ディナーメニューが並び始めるのだ。多分それに関する会話だろう。

たった一単語だが、聞き取れたことに、私の成長を実感していた。

私はメニューを閉じ、注文をした。今日もあの炒飯だ。

お姉さんが中国語で炒飯と発音するのがわかる。すごい、学習の成果が実践できている。密かに喜びに震えていた時だった。

私は気づいた。厨房のおっちゃんが言っていることは、未だによくわからない。ホールのお姉さんの言葉は断片的にわかるのに、おっちゃんの言葉は未だに未知の言語に聞こえる。お姉さんとおっちゃんとの間に会話は成立しているように見えるのに、私はおっちゃんの言葉だけわからないのだ。

首を傾げながら、運ばれてきた炒飯を口にした。今日も変わらず美味かった。


 大学は後期に入り、中国語の授業も再開する。授業が終わった後に、私は中国語の先生に、先の出来事を話してみた。中国語の先生はそれを効くと、渋い顔をして、中国の地図を開いた。

どうやら中国には八大方言というものがあり、先生は南や西の方を指し、そこの方言で「我是日本人(私は日本人です)」と言った。私は驚いた。習ってきた発音と全然違うのだ。これでは何を言っているか聞き取れないのも当然だと感じた。

先生の話によると、どうやら中国にも方言と標準語があるらしく、方言は中国人にもわからないほど訛りがきついそうだ。

だから皆教育は標準語で受けるらしいし、日本に来るような中国人は皆標準語を話す。何故なら方言では仕事が成り立たないからだと。

先生は続けた。日本にまで来て、標準語の中国語も話せずに、日本で暮らしていると言うことは、そのおっちゃんは本当に腕一本で食ってきたのだろうと。

そして、彼が本当に合法的に日本に来たのかは、わからないとも言った。


 道理であの炒飯が美味いはずだと思った。私は大学からの帰りの電車の中、ぼんやり考えていた。

西川口という街は、確かに中国人に溢れた街だが、それでも全ての環境で中国語が併記されているわけではない。外国語を覚えるというのは、本当に難しいことだし、それが全ての人間に可能なわけではないことは、外国語学習の困難さから身に染みていたことだった。

あのおっちゃんは日本でどのように暮らしているのだろう?どのような事情で日本に来たのか、どのような困難を抱えているのか、それを想像すると、胸が少し苦しくなった。

西川口に着く。気がつけば私は空腹で、あの中華料理店からはいい匂いが漂っていた。

私は少しだけ迷った。あのおっちゃんは不法移民かもしれないと聞いた以上、悪い人かもしれないという疑念が渦を巻いていた。

暫しの葛藤の末━━私はいつものカウンター席に座り、炒飯を頼んだ。

結局のところ、私にわかったことは、「あのおっちゃんが中国語の方言を話す」ということだけなのだと結論づけた。

あのおっちゃんが何を話しているのか、何を考えているのか。良い人なのか悪い人なのか、私にはわからない。

そして「わからない」で人を通報したりする義務は、私にはない。あのおっちゃんが何か悪いことをしていたならば、それを裁くのは警察の仕事なのだ。

私はいつも通り炒飯を頼めば良い。私は美味い炒飯を食えるし、あのおっちゃんは生計を立てられる。今のところウィンウィンだ。何もやましいことはない。その関係は良好なもので、少しだけ複雑な事情があると気づいただけで、壊さなければいけないものではないのだ。

今日も炒飯は変わらず美味かった。次来る時にもこの炒飯が食えることを願っていた。

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