N 光の貴公子①

 細い枝がうねりながら横へと伸び、抱き合うように密集して、一つの太い枝のようになっている箇所に、エルフが縄で吊られてぶら下がっていた。


「頼むっ!助けてくれ!!ちょっと道を外れたとこ歩いてたら、罠にかかっちまった!」


 ご丁寧に自分の状況を自分で説明してくれたエルフは、くすんだ苔色こけいろの髪をぼさぼさに振り乱し叫んでいた。顔つきはキツさを感じさせるが、単純な獣用の罠にかかっている辺り、注意深くはないのだろう。腹が剥き出しになるデザインの服を着ているものの、煽情的せんじょうてきではなかった。何しろ、腹筋が並みの男などしのぐほどにたくましく割れている。もっと女性らしい方がノアの好みだ。


「どうしますー?団長?」


 先輩団員であるルカが呑気な声を出す。


「そりゃあ、助けてやらなきゃいけねぇだろが」


 団長が使命感を剥き出しに答えた。


「別にいいのでは?自業自得というやつでしょう」


 ノアは団長の意見に異を示す。


「待てよ!アタシは倒れてる奴を助けたぞ!助けたら助けてもらえる。相互扶助!それが世の中ってもんだろー!!」


 エルフが体を揺らしながら何事か喚いている。うるさい。ノアはエルフを睨みつけた。


「騒ぐな。妖魔が寄ってくるだろう」


「無茶言うなって、ノア。助かるか見捨てられるかの瀬戸際だよ?騒ぐさ、そりゃあ」


「意地悪言ってねぇで、助けてやれ」


 先輩団員と団長の二つの視線を受け、ノアは渋々と蜂蜜色の光を左手に宿して弓を具現化させた。右手を軽く後ろに引くと、動作によって霊術が発動される。霊印のある左胸が疼く感触と同時に、右手に光の矢が現れる。ノアの用いる矢は霊術【雷刃ライトニング】だ。弦をしぼって狙いをつける。耳元でばちばちと電気が爆ぜる音がする。まっすぐに飛んだ一矢は、エルフを吊り下げたロープに命中し、二つに裂いた。


「ぎゃっ」


 重力のままにエルフが落ちる。ぐしゃっという音がしそうなほど、見事な落下ぶりだった。


「さあ、エルフのお嬢さん。もう、大丈夫だぞ」


 団長が草の上に落ちたエルフに近づき、残った拘束を解いてやっている。エルフは顔を上げ、自由を得るとすぐに立ち上がった。


「ありがとよ。あんたたちに出会えて、本当によかったよ」


「災難だったねー」


 ノアより年下だが一応先輩にあたるルカは、語尾を伸ばして喋るのが癖だ。


「ほんと、まったくだ。あんなところに罠があるとは思わなくてよ」


 エルフはさりげなくもなく、ノアたち一行を観察するようにまじまじと見渡す。


「ところであんたら、男三人でなんだ?観光?」


「俺たちは傭兵団でね。ちょうど――」


「傭兵団だって!?」


 団長の台詞を遮り、エルフが叫んだ。


「まさかあんたらが帝都に行ったっていう奴らか?グレンが探してるぜ!」


「グレン?いやぁ、なんのことかさっぱりなんだが……」


「あんたたち、〈鉄のブラッチョ ディ フェッロ〉だろ?」


「違う」


 ノアは一言で答える。団長が続けた。


「俺たちは〈ラザル傭兵団〉だ。まあ、何せちっさい団だから知らないだろうが。団員もこれで全員でね……」


「ラザル傭兵団?この辺りには傭兵団がたくさんあるんだなぁ」


「いや、俺たちはたまたま、ここを通っただけでね。本拠地と言える場所もない根無し草さ。まあ、何せちっさい団だからね……」


「傭兵っていうより、賞金稼ぎみたいなことばかりしてるんだけどねー」


 団長は少々自虐的なところがある。そしてルカはその自虐による傷を抉る癖がある。一番の新参であるノアにも、その関係性は了承済みのことだった。


「そうか、グレンところのじゃないのか……。じゃあさ、じゃあさ、あんたたちこれからどこに行くんだ?」


「お前には関係ないだろう」


 ノアは冷たくあしらったが、団長が笑みを浮かべて取り成すように答えた。


「まあまあ、ノア。いいじゃないか。俺たちはこれからディディエ王国のフラーって町に行くんだ。依頼を受けにね」


「フラー。ふぅん。アタシ、王国には行ったことないからなー。知らないなー」


 このエルフも語尾を伸ばす癖があるようだ。そんなどうでもいいことにノアは気付いてしまった。


「そうなのか。そういえば、フラーの町にエルフが移り住んできたって話を聞いたな。どうやらきょう――」


「なんだってぇ!?」


 ぼさぼさ頭のエルフが再び団長の台詞を遮って叫んだ。


「エルフがいるのか、そこ?よーし決めたぞ!アタシはあんたたちについていく!」


 ラザル傭兵団員が突然の宣言にたじろぎ、全員口を開けないでいる隙に、エルフは勝手に話を進める。


「アタシさぁ、探してる奴がいるんだ。そいつはエルフでね。とはいえ、手掛かりがまったくなくて困ってたんだ!」


「いや、待て。勝手に決めるな」


 ノアは口を挟んだ。


「いーや、アタシは決めた!絶対ついて行くからな!さっきは断られたんだ。実はちょっと後悔しててね。あいつ一人で大丈夫かなーって。また後悔するのはごめんだからな。後悔なんて、アタシらしくないだろ?」


 何のことか分からないが、エルフは一人で喋くっている。


「アタシ、強いぜ?戦力になるぜ?ほら、旅は道連れ、世は情けっていうじゃないか!足は引っぱらねぇよ。なんたって、霊印持ちだからな!」


 自らのへそ下に浮かんでいる拳大の印を指し示しながら、エルフは声高に主張した。


「また罠に引っかからなければいいがな」


 ノアが指摘するも、エルフは聞いている様子がない。団長が軽やかに「ははは」と笑った。


「賑やかになりそうだな、おい」


 ノアはため息をついた。




 マギーと名乗ったエルフは、確かに戦闘慣れしているようだった。


 アルコ河近辺に出現する妖魔〈騒音蠅ルモーレ〉は、その名の通りやかましい音をたてて飛ぶ、人の頭ほどの巨大な蠅だ。近づいてくると音でそうと分かるので、奇襲されることはまずない。決して強い妖魔とはいえない雑魚の類だが、空中から急降下してきてかじられるのはかなり不快だ。


 マギーは逞しい腹筋を持つわりに細い体で、豪快に戦斧バトルアックスを振り回し蠅をほふった。とはいえ命中精度は高くなく、非効率に斧を振り回しているだけにも見える。今もおちょくるように頭上で上下動する蠅に対し、ぶんぶんと斧を振り上げながら喚いている。


「降りてこい、ちくしょー。アタシと同じ目線で戦え!」


 ノアはマギーの頭の上を飛びながら隙を窺う蠅に弓で狙いを定めつつ考えた。今までエルフ族に対して抱いていた、どこか神秘的なイメージはこいつにはまったく当てはまらない。大体、世界樹を神のように崇め敬い奉る種族のエルフが、木を伐る道具を武器にするなんて罰当たりじゃないのか。


 ノアの放った矢は蠅の胴体を貫いた。蠅は空中で動きを止めるとそのまま落下し、地上に到達する前に粒子となって消え去った。矢も霊術で作り出したものなので、残ることはない。


 マギーは妖魔の消滅を見届けたあと、ノアの方を振り返り、ずんずん歩んで近寄ってきた。助力してやったのに難癖でもつけてくるつもりか。ノアは身構える。


「お前、良い腕してるじゃないか」


 予想に反して誉め言葉をくれたマギーは、ノアに向かってにかっと笑ってみせた。


 ノアは何も言わず、マギーから視線を逸らす。耳の奥に〈騒音蠅ルモーレ〉のうるさい羽音がまだ残っているような気がした。あるいは草原を吹き渡る風が、遠くから音を運んでくるのかもしれない。


「なあなあ、お前さー」


 マギーがノアの顔を無遠慮にじろじろと眺めてきた。


「モテるだろ?」


 ノアは答えず、妖魔との戦いを終えて歩き出した団長のあとを追った。このままここに立ち尽くしていては、妖魔の恰好の標的となってしまう。


「なあなあ、恋人とか、いんのかー?」


 マギーは左側からノアの顔を覗き込んできた。無視していると、右側に回ってきて同じ質問をした。さらに無視をすると、今度は左側に戻り、同じ質問を繰り返した。


 うっとうしい。


「いない」


 ノアはマギーに視線もやらずに答えた。返答しなければ、永遠にこの状態が続きそうだったからだ。


「そうか、そうか。いないのかー。はぁーん」


 マギーは顎に手を当て、口の両端を上げて笑った。その仕草と声の調子が、ノアの苛立ちを誘った。ノアはマギーを睨みつける。


「なんだ」


「いやー、お前ほどの顔の良い男に恋人がいないってことはだな、お前の中身に問題があるってことだぜ」


「余計なお世話だ」


 ノアはマギーから視線を剥がして、先ほど会ったばかりのエルフを意識の外へ締め出そうとした。


「さては、お前、変態だろ?幼女好きとか。あっ、実はすっごいマゾでプレイ中に――」


「少し黙ってろ」


 苛立ちも露わにノアは低い声を発する。少し前を歩く団長とルカが声を立てて笑い出した。マギーは黙りはしたものの、未だノアを観察するように見上げている。


 ノアは大きく顔を歪めた。先が思いやられる。

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