D 鉄の戦女神①

 傭兵団〈鉄の腕ブラッチョ ディ フェッロ〉はフィーネ山の山頂付近に拠点を構える小さな傭兵団だ。団員は七名で、うち戦闘員は六名である。アデル帝国内に位置するため、帝国に雇われることがほとんどだが、停戦中の現在では妖魔討伐ばかり請け負っていた。


「ダリア、スープに火を入れてくれる?」


 母に言われてダリアはスープの鍋を火にかける。


 団員の中で唯一の非戦闘員である母は、料理、洗濯、掃除など一切の家事を一手に担っていた。今のダリアのように他の団員も気が向けば手伝いはするが、母はいつも忙しそうで、家事とは大変なのだなとダリアは思う。何しろ休日がない。


「もう出来上がるから、みんなに声かけて来てくれる?」


「分かった」


 応じてダリアは炊事場を離れた。ダイニングの壁に掛けられた色時計は、夕刻を表すローズカラーに染まっている。夏が終わったばかりで日は長く、外はまだ明るい。一輪挿しの花瓶が中央に置かれた大きなテーブルを迂回して廊下に出た。


 皆を探す作業から始めねばならない。どうせ自室か訓練場にいるだろう。ぎしぎしと軋む木製の階段を上がっていく。二階には両親以外の団員の部屋があるのだ。


 二階は風がよく通っていた。今日は一日気持ちよく晴れていたので、ダリアも含めた全員の部屋の扉と窓が開け放してあるからだ。


 一番手前にあるグレンの部屋を覗く。団員の中で一番ダリアと歳の近いグレンは、任務に出ると先陣を切って敵陣に飛び込む、やや荒っぽいところのある男だ。昔はその性向が今より強く、他の傭兵団の者といさかいを起こすことも多かった。最近は落ち着いてきたとはいえ、大人しい男とはお世辞にも評せない。


 室内を覗き見てダリアは立ち止まる。グレンは自室にいた。こちらから見て横を向く形で椅子に座り、目を閉じて机の上に手をかざしている。よくよく見れば、机の上に赤い何かが置いてあるのが分かった。薄い、カードのようなものだ。


 何をしているのか。不審に思ってダリアはグレンの怪しい儀式的な行為を観察する。


 グレンはかざした手をゆっくりと回転させだした。一周、二周、三周……、しばらくそうしてゆっくりと目を開く。もちろん何も起こるわけがない。


「やっぱり浮かねぇな。白くないと駄目なのか?」


 などとわけの分からないことを言って、赤いカードを拾いあげ、表と裏とを交互に見ている。


「グレン」


 ダリアが呼びかけると、グレンは身を飛び上がらせて驚いた。


「うわっ、ダリアか。な、なんだ?」


「ご飯」


「ああ、もうそんな時間か……」


 グレンは正体不明のカードを机の上に置いて立ち上がった。


「ディーノとローランドとジーナはいる?」


 さりげなく他の団員の居場所を探る。グレンは「いや」と首を横に振った。


「二階には誰もいないと思うぜ。訓練場じゃねぇか」


「そう」


 他に誰もいないのならとダリアは来た道を引き返す。グレンがすぐあとをついてくるのが気配で分かる。


「ダリア、見たか?」


「何を?」


「見てないならいい」


 ほっとしている様子のグレンに少し意地悪を吹っ掛けたくなった。


「……あれは何の儀式?」


「お前、しっかり見てたんじゃねぇか!あれは、その、なんだ。帝都にいた占い師がな、手品かなんかをやって……」


 必死に説明しているグレンの話を聞いてやる必要も感じず、前を歩くダリアはくすりと笑って軋む階段を下りていった。




「アデル帝国から依頼が入った」


 団員全員が揃った夕食の席で、団長であるダリアの父が口を開いた。〈鉄の腕ブラッチョ ディ フェッロ〉においては、任務の宣告は食事の席でなされることが多い。


「帝国からっすか。大口っすね。そりゃ、報酬も期待できそうだ」


 口に食べ物を含んだまま、もごもごと発言したのは重装歩兵のディーノだ。戦場では頑丈な鎧に身を包んで、敵の攻撃を引き付ける役目を担う。そのくせ臆病なところがあり、背中を押す一言を添えてやらねば敵陣に突っ込んでいかない。


「お前の期待は食材だろ?飯が増えるかどうか、それだけが関心事だ」


 スプーンをディーノに向け、軽口をたたいたのはグレンで、それをたしなめるように睨みつけたのはグレンの母親であるジーナである。彼女はいわゆる術士というやつで、優秀な魔道兵だ。同時に優秀な衛生兵でもある。


「二班に別れて行動してくれ。ダリアとローランドは帝都へ。他は逆だ。霊峰方面に向かってくれ」


「どういうことです?」


 落ち着いた声でジーナが尋ねた。


「さあな、俺にもよく分からん。詳細を尋ねても、のらりくらりとかわされるばかりでな。とにかく、団の代表とエルフの団員には帝都まで、他には霊峰に行ってほしい

らしい」


「霊峰ってぇと、妖魔退治か?しかし、なんで二人だけ帝都に……」


 グレンが不信感を漏らす。ダリアにも不可解な依頼内容に感じられた。


「怪しいだろ?だから、みんな、気をつけろ。帝国の連中は、何を考えてるか分からん。かといって、拒否もできねぇしな」


 団長の台詞に皆がとりあえずの納得を示した。フィーネ山はアデル帝国内、しかも帝都インテグリータのすぐ近くにある。この地に居を構えている限り、帝国の意向には逆らえないのが実情なのだ。


「本当に怪しい。いったい、何が起こってるんだか……」


 ダリアの父は頭を抱えて呻くように呟いた。往年は豪快な気性で、戦においては百戦無敗を誇った団長の弱々しい態度に、団員全員の緊張が高まったような気がした。




 気の早い虫の声が窓の外から聞こえている。涼しげなその音がやかましいわけでもないが、ダリアは寝付けなかった。翌日に控えた詳細不明な怪しい任務がダリアの不安を掻き立てていた。


 眠れぬならと開き直り、ダリアはベッドから起き上がって明かりをつけた。眩しさに目を細めてから、腕を前方に突き出し、武器の騎槍ランスを具現化させる。瑠璃るり色の輝きが手に灯り、ずっしりとした重みを持つ槍へと変わっていく。


 ダリアの霊印れいいんは右の大腿に刻まれている。霊印とはバトルサポートシステムとも別名される戦士の烙印だ。宿せば体のどこかに刻印となって浮かび上がり、宿主に様々な能力を授けてくれる。その一つが武器の包有だ。持ち運びの手間なく、武器を携帯できるようになる。


 この騎槍ランスはダリアが兵として任務に参加するようになってからずっと愛用している武器だ。まだ武器を握ったこともないほど幼い頃に、ダリア自身が絵に描いたもので、刃の形が歪な水滴のような形をしており、突くより薙ぐことに特化している。変わったそのデザインを父が気に入り、帝都の鍛冶屋に依頼して作ってくれた、初めてもらった贈り物でもある。


 任務に当たる前には自らの武器を磨くのがダリアの習慣だった。武器を入念に手入れする父を見て育ったからこそ、身に付いた自分の中での決まりなのだろう。


 柄を白い布で拭き取っていく。刃は最後に手を付ける。どれだけ丁寧に拭っても、殺した相手の怨念でもこもっているのか、汚れが落としきれない気がする。


 武器の手入れ中は様々なことを考えてしまうのが常だった。最近は父のことが思い浮かぶことが多い。若かった頃より、幾分か体が縮んでしまったように見える父。それと共に、気力も衰えてしまったように見える父。


 帝都に向かうのは団の代表、父はそう言った。通常であれば団長である父が赴くべきだ。しかし今はそれが出来なかった。


 数年ほど前から父は腰痛を訴え始めた。当初はかなり我慢していたらしい。だが、それが仇となったのか、今では歩くのがやっとなほどに悪化している。医者に診てもらったが、痛みを数日間、少しだけ抑制することしかできないと言われた。根本的な治療は出来ないということだ。


 もう戦闘など出来るはずもないと医者は告げた。父は医者に殴りかかった。痛みを抱えた身でなければ、大怪我をさせていたかもしれない。


 父にとって傭兵の仕事は人生そのものだったのだろう。依頼の受付は団長自らしているとはいえ、それ以外の仕事はこなせなくなった。それでも知人にはいつか戦線復帰してみせるとうそぶいてみせる。そんな父を見ていると痛々しくて、思わず目を逸らしたくなる。もういっそ戦場のことは自分たちに任せて、はっきりと引退してくれたならと思わずにはいられない。


 それがダリアの本音だ。

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