D 鉄の戦女神①
傭兵団〈
「ダリア、スープに火を入れてくれる?」
母に言われてダリアはスープの鍋を火にかける。
団員の中で唯一の非戦闘員である母は、料理、洗濯、掃除など一切の家事を一手に担っていた。今のダリアのように他の団員も気が向けば手伝いはするが、母はいつも忙しそうで、家事とは大変なのだなとダリアは思う。何しろ休日がない。
「もう出来上がるから、みんなに声かけて来てくれる?」
「分かった」
応じてダリアは炊事場を離れた。ダイニングの壁に掛けられた色時計は、夕刻を表すローズカラーに染まっている。夏が終わったばかりで日は長く、外はまだ明るい。一輪挿しの花瓶が中央に置かれた大きなテーブルを迂回して廊下に出た。
皆を探す作業から始めねばならない。どうせ自室か訓練場にいるだろう。ぎしぎしと軋む木製の階段を上がっていく。二階には両親以外の団員の部屋があるのだ。
二階は風がよく通っていた。今日は一日気持ちよく晴れていたので、ダリアも含めた全員の部屋の扉と窓が開け放してあるからだ。
一番手前にあるグレンの部屋を覗く。団員の中で一番ダリアと歳の近いグレンは、任務に出ると先陣を切って敵陣に飛び込む、やや荒っぽいところのある男だ。昔はその性向が今より強く、他の傭兵団の者と
室内を覗き見てダリアは立ち止まる。グレンは自室にいた。こちらから見て横を向く形で椅子に座り、目を閉じて机の上に手をかざしている。よくよく見れば、机の上に赤い何かが置いてあるのが分かった。薄い、カードのようなものだ。
何をしているのか。不審に思ってダリアはグレンの怪しい儀式的な行為を観察する。
グレンはかざした手をゆっくりと回転させだした。一周、二周、三周……、しばらくそうしてゆっくりと目を開く。もちろん何も起こるわけがない。
「やっぱり浮かねぇな。白くないと駄目なのか?」
などとわけの分からないことを言って、赤いカードを拾いあげ、表と裏とを交互に見ている。
「グレン」
ダリアが呼びかけると、グレンは身を飛び上がらせて驚いた。
「うわっ、ダリアか。な、なんだ?」
「ご飯」
「ああ、もうそんな時間か……」
グレンは正体不明のカードを机の上に置いて立ち上がった。
「ディーノとローランドとジーナはいる?」
さりげなく他の団員の居場所を探る。グレンは「いや」と首を横に振った。
「二階には誰もいないと思うぜ。訓練場じゃねぇか」
「そう」
他に誰もいないのならとダリアは来た道を引き返す。グレンがすぐあとをついてくるのが気配で分かる。
「ダリア、見たか?」
「何を?」
「見てないならいい」
ほっとしている様子のグレンに少し意地悪を吹っ掛けたくなった。
「……あれは何の儀式?」
「お前、しっかり見てたんじゃねぇか!あれは、その、なんだ。帝都にいた占い師がな、手品かなんかをやって……」
必死に説明しているグレンの話を聞いてやる必要も感じず、前を歩くダリアはくすりと笑って軋む階段を下りていった。
「アデル帝国から依頼が入った」
団員全員が揃った夕食の席で、団長であるダリアの父が口を開いた。〈
「帝国からっすか。大口っすね。そりゃ、報酬も期待できそうだ」
口に食べ物を含んだまま、もごもごと発言したのは重装歩兵のディーノだ。戦場では頑丈な鎧に身を包んで、敵の攻撃を引き付ける役目を担う。そのくせ臆病なところがあり、背中を押す一言を添えてやらねば敵陣に突っ込んでいかない。
「お前の期待は食材だろ?飯が増えるかどうか、それだけが関心事だ」
スプーンをディーノに向け、軽口をたたいたのはグレンで、それを
「二班に別れて行動してくれ。ダリアとローランドは帝都へ。他は逆だ。霊峰方面に向かってくれ」
「どういうことです?」
落ち着いた声でジーナが尋ねた。
「さあな、俺にもよく分からん。詳細を尋ねても、のらりくらりとかわされるばかりでな。とにかく、団の代表とエルフの団員には帝都まで、他には霊峰に行ってほしい
らしい」
「霊峰ってぇと、妖魔退治か?しかし、なんで二人だけ帝都に……」
グレンが不信感を漏らす。ダリアにも不可解な依頼内容に感じられた。
「怪しいだろ?だから、みんな、気をつけろ。帝国の連中は、何を考えてるか分からん。かといって、拒否もできねぇしな」
団長の台詞に皆がとりあえずの納得を示した。フィーネ山はアデル帝国内、しかも帝都インテグリータのすぐ近くにある。この地に居を構えている限り、帝国の意向には逆らえないのが実情なのだ。
「本当に怪しい。いったい、何が起こってるんだか……」
ダリアの父は頭を抱えて呻くように呟いた。往年は豪快な気性で、戦においては百戦無敗を誇った団長の弱々しい態度に、団員全員の緊張が高まったような気がした。
気の早い虫の声が窓の外から聞こえている。涼しげなその音がやかましいわけでもないが、ダリアは寝付けなかった。翌日に控えた詳細不明な怪しい任務がダリアの不安を掻き立てていた。
眠れぬならと開き直り、ダリアはベッドから起き上がって明かりをつけた。眩しさに目を細めてから、腕を前方に突き出し、武器の
ダリアの
この
任務に当たる前には自らの武器を磨くのがダリアの習慣だった。武器を入念に手入れする父を見て育ったからこそ、身に付いた自分の中での決まりなのだろう。
柄を白い布で拭き取っていく。刃は最後に手を付ける。どれだけ丁寧に拭っても、殺した相手の怨念でもこもっているのか、汚れが落としきれない気がする。
武器の手入れ中は様々なことを考えてしまうのが常だった。最近は父のことが思い浮かぶことが多い。若かった頃より、幾分か体が縮んでしまったように見える父。それと共に、気力も衰えてしまったように見える父。
帝都に向かうのは団の代表、父はそう言った。通常であれば団長である父が赴くべきだ。しかし今はそれが出来なかった。
数年ほど前から父は腰痛を訴え始めた。当初はかなり我慢していたらしい。だが、それが仇となったのか、今では歩くのがやっとなほどに悪化している。医者に診てもらったが、痛みを数日間、少しだけ抑制することしかできないと言われた。根本的な治療は出来ないということだ。
もう戦闘など出来るはずもないと医者は告げた。父は医者に殴りかかった。痛みを抱えた身でなければ、大怪我をさせていたかもしれない。
父にとって傭兵の仕事は人生そのものだったのだろう。依頼の受付は団長自らしているとはいえ、それ以外の仕事はこなせなくなった。それでも知人にはいつか戦線復帰してみせると
それがダリアの本音だ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます