G 鉄攻隊長
帝都インテグリータは独特の活気に満ちていた。昼過ぎということもあってか、通りには多くの人々が行き交い賑やかではあるのだが、どこかぴりっとした緊張感のようなものも漂っている。
その緊張感にどこか違和感を覚える。生まれ故郷の空気の違いを敏感に感じ取って、グレンは足を速めた。露店が左右に立ち並ぶ騒々しい通りを足早に抜けて、小さな路地に身を滑らす。
途端に華やかな空気が霧消する。汚れた高い壁に挟まれた薄暗い道を、ゴミを踏まないようにグレンは進む。浮浪者や飲んだくれが道の端に転がっていた。いつもの光景だ。だが、足りない。グレンは突き当たりの角を左に曲がった。
違和感の正体はこれなのだろうか。薬の売人、ポン引き、他者を脅して金をむしり取る者、さらには暴力に訴える者――、当然のように路地裏に巣食っていた者たちがいなくなっている。
いつの間にこんなきれいな場所になってしまったのか。最後にここを訪れたのはわずか一節ほど前だ。そのときとはまるで様相が違う。犯罪の臭いがしないのだ。
「あいつらがいねぇと、こんなに静かなのか」
独り言を漏らし、角を右に曲がる。一層、細い路地に入った。誰の姿もなかった。
「誰もいねぇか……」
右手で顎をさすりながら呟く。
「いますよ」
突如聞こえた女の声に驚いて視線を振る。壁のくぼみにすっぽり収まるようにして、ヴェールを被った女がいた。低い椅子に腰かける姿勢で小さな台を前に出し、その上に置かれた水晶玉が不気味な煌めきを放っている。どこからどう見ても占い師の風貌だった。
「驚いたな、占いか?」
グレンは占い師風の女に近づいた。女がゆったりした動作でこちらを見上げてくる。
「ええ……、そうですね。まあ、そのようなものです」
「こんなところで占いなんてやって、客が来るのか?」
「たった今、貴方が」
「ふぅん、面白いな、あんた」
グレンは女と対面する形で置いてあった小さな椅子に腰かけた。体の大きな自分が座って壊れはしないかとも危ぶんだが、椅子は持ち堪えた。
「じゃあ、占ってくれよ。俺の職業は何だ?」
グレンが尋ねると女は水晶玉に目を落とした。
「なんだ、それに映るのか?」
「これはただのガラス玉です」
「はは、あんたほんとに面白い奴だな」
「占いをしましょう」
女は台の上の水晶玉を両手で持って、静かに台の下に降ろした。
「だから占ってくれよ。俺の職業は何だ?」
「それは占いではありません。ただの当てっこのゲームです」
「わかんねぇのか」
「傭兵」
いきなり図星を突かれてグレンは言葉を失う。
「貴方は体つきからして肉体労働者です。そして上腕に刻まれた
「……言うねぇ、あんた」
グレンは怒るよりも感心した。そのガラの悪い相手に対し、ずけずけとモノを言うことは並大抵の人間にできることではない。大した強心臓だ。
女は五枚のカードを懐かどこかから取り出した。それを台の上に並べている。何も描かれていない真っ白なカードだ。
グレンは黙って占い師の動きを観察した。
女は左手をカードの上にかざした。集中しているのか、目を閉じている。少しの間そうしたあとで、手をゆっくりと回転させだす。五枚のカードが白い光を放った。
グレンは目をみはる。厚みもないようなただのカードに何か仕掛けが施されていたのか。
女の手の回転速度が速くなっていく。するとなんと、今度はカードがふわりと浮き上がった。女は手を回転させたまま、さらに高く掲げていく。カードもそれに呼応するかのように高く舞い上がっていく。手が頭の上くらいに達したところで、女は左手を台の上に下ろした。五枚のカードはそのまま、くるくると顔の高さで回り続けている。女の目が開いた。カードに息を吹きかける。一枚を残し、四枚のカードが台の上に落ちた。宙に残った一枚は、いつの間にか濃い赤色に変貌を遂げている。
「手品かよ……」
グレンは女の動きを目で追いながら呟く。女は宙に浮いた一枚を手に取った。大きく長い息を吐き出す。
「貴方は何かを求めてここにやって来た。そうですね?」
「……その通りでーす」
すばり言い当てられたが、もう驚くまい。この女は只者ではない。それは確かな気がする。
「でも、そうですね、一つ言わせていただいても?」
「何?」
「貴方は大切な人への贈り物を求めてここへ来た。違いますか?」
「そこまで分かるのかよ」
グレンは居心地の悪さを感じて足をもぞもぞと動かす。何もかも見透かされるのは気持ちのいいことではない。
「大切な人への贈り物を、いくら安いからと言って盗品で済ませようとするのは感心しませんね」
グレンはこの女に会ってから二度目の絶句をする。
「大切な方への贈り物くらい、きちんとした品を贈っては?心がこもっていればいい、とは言いますが、盗品と知れば相手の方もいい気はしないでしょう」
明後日はグレンの恋人の誕生日だった。誕生日には贈り物を贈り合おうとは、彼女が言い出したことだ。それから毎年、誕生日には贈り物を用意する。恋人はカラスのように光り物が好きで、今年は宝石を贈ってやろうとグレンは思い立った。
グレンには高い買い物をするとき、利用する店がある。帝都インテグリータの裏通りにある質店だ。多くの品が盗品で占められていることはなんとなく察しがついていた。だが何といっても安いのだ。高い位につく偉そうな高給取りでもないグレンにとっては、有難い場所だった。
「この路地をまっすぐ行って突き当たりを右、最初の曲り角を左に行って、あとはひたすらまっすぐ進んでください」
「……大通りに出るな」
占い師の言った道順を頭の中で組み立ててグレンは呟く。この辺りはグレンにとっては生まれ育った土地、よく見知った庭のようなものだった。
「そこでいい品に巡り会えるでしょう。これこそが贈り物だと思えるような品に」
グレンはさすがに疑わしく思い、その感情を露骨に視線に乗せる。この女が只者でないのは確かだが、いくらなんでも大通りなんかに自分の求める物があるだろうか。あそこはまともに生きる人間の集う場所だ。
「私から言えることは以上です」
女は締めくくるように言って赤いカードをグレンに差し出した。
「これを受け取ってください」
差し出されたものを手に取ってしげしげと眺める。
「貰っていいの?」
「ええ、もう貴方のものですから」
いくら観察してみても手品のタネらしきものは見当たらない。グレンはカードを手にしたまま立ち上がった。
「じゃ、行くかな。邪魔したな」
「いえ、お気になさらず」
歩き出しながら、女が示した場所に向かうだけ向かってみるかと考える。ふと、振り返ったら女の姿が忽然と消えているかもしれないと思って振り返ってみた。女は無表情にそこに座っていた。ほっとしたような、少し残念なような気がした。
まっすぐ進んで突き当たりを右に曲がる。そういえば、お金払わないでもよかったのかと思い当たる。まあ何も言われなかったのだからいいのだろう。いちいち引き返すのも面倒臭い。
一つ目に現れた曲り角を左に曲がる。あとはひたすらにまっすぐ進む。
大して時間もかからず大通りに出た。当然ながら道幅が広い。路地を出てすぐ目に入る位置、つまりは正面に店を出している者がいた。まさかな、と思いながらも近づいてみる。行き交う人を避けながら、淡い桃色と黄色の石畳を踏みしめて歩く。
「らっしゃい。あんちゃん、いい男だね」
店主らしき男が声をかけてきた。スキンヘッドに傷跡を持つ、厳つい風体の男だ。サングラスをかけ、上半身裸にエプロンを着ている。
子供が遠足に行く時に使いそうな柄物のレジャーシートの上に商品が並べてあった。装飾品だ。値札は付いていない。
その中の一つに目が留まった。
「なんだい、あんちゃん。恋人へのプレゼントとか?それならどうだい、この指輪。どうせ付き合いも長いんだろ。結婚、申し込んじゃいないよ。今がその時!」
他人の状況を勝手に決めつける口調の男に、別に腹は立たなかった。グレンは水色の宝石があしらわれた首飾りを手に取った。何故だろう、これから目が離せない。
「アクアマリンだよ。本物だよ。色ガラスじゃない」
あいつに似合いそうだ、なんとなくそう思えた。
「三〇〇〇イヴだよ」
「三〇〇〇……かぁ」
グレンは大袈裟にうなだれてみせた。庶民にとっては決してお安いと言える値段ではない。
「おっさん、まけてくれないかなぁ」
「三〇〇〇からぁ?三〇〇〇でも充分お買い得だと思うけどね」
グレンにはもうこの首飾り以外目に入らなかった。これしかない、直感がそう訴えている。
「頼むよ、おっさん。この店、贔屓にするからさぁ」
「うーん……。分かったよ、男前のあんちゃんと可愛い恋人の為だ!二五〇〇イヴにまけるよ」
「おお、ありがとよ!さっすが、おっさん、男前だねぇ。もう一声は?」
「あんちゃん、勘弁してくれ。俺を破産させる気かい?二五〇〇が底だよ」
「そこをなんとか」
「いーや、二五〇〇!」
グレンは手の中の首飾りを見つめる。これ以上粘っても値段は変わりそうにない。
「分かった。二五〇〇で買うよ」
「よっしゃあ、商談成立!あんちゃん、商売上手だね。さ、袋に入れてやるからよこしな」
グレンは首飾りを店主に渡す。店主は小さな長方形の紙袋に首飾りを納めた。
「そういや、あんちゃん、路地裏から出て来たね」
グレンから紙幣三枚を受け取りながら、店主は言う。
「ああ。なんか、いつもと様子が違ってて、驚いたよ」
グレンは財布を懐にしまった。店主がうんうんと頷く。
「そうだろうなぁ。特にこの辺りは厳しくやられたからなぁ」
「やっぱり、なんかあったのか?」
「なんだい、あんちゃん。知らない?
「粛清?」
グレンは店主の言葉をただ繰り返した。言葉の意味は知っていても、現実感の湧きにくい単語だった。
「皇帝陛下が代わられて、締め付けが厳しくなったのは知ってるだろ?それでも路地裏の奴らはまだ好き勝手やれてた。もちろん、隠れて、だけどな。それが、あのバウド将がやられちまって」
「バウド将?あの爺さんが?」
バウド将はアデル帝国の八人いる将〈
「なんか、誰かに刺されてあっけなくやられちまったとか。で、そのバウド将の後任が四六時中仮面被った若い男なんだが、そいつが手厳しくてなぁ。容赦なく犯罪を取り締まる。捕まったら、最後って話だぜ。煙草を道端に捨てただけの男に、捨てた煙草を拾わせて食わせただなんて話もあるんだ。ありゃぁ、過去になんかあったんだろうってみんな噂してる。何せ、顔を隠してるんだ、顔を。法の
「ふぅん……」
初めて聞いた話だった。皇帝が代替わりしたのはもちろん知っているが、まさか軍部の最高位、帝国〈
「長話になっちまったな。ほれ、商品だ」
「ありがとよ」
「毎度、ご
グレンは快活な店主に笑みを返して大通りを歩き出した。先ほどの店主の話を踏まえると、帝都ははみ出し者にとって住みにくい町になってしまったらしい。とはいえ、今や帝都を住処としていないグレンにとっては、どうでもいい話ではあった。昔の馴染みたちにもそこまでの情はない。
それよりも傭兵である自分にとっては、帝国の将軍が代わったということの方が重要だ。帝国が雇い主となることは多々ある。新しい将軍の下で働くことも、これからあるのかもしれない。
喧嘩による私闘や賭博など、軍紀を破るような行為は慎んだほうがよさそうだ。問答無用に粛清されてはたまったものではない。まったくやりづらくなりそうだ、そう思いながらグレンは帝都インテグリータの大通りを進む。
「あ、いけね」
雑踏を抜け、ようやく今夜の宿の手前まで辿り着いたところでグレンは立ち止まった。帝都に行くのなら調味料を買って来て欲しいと頼まれていたのだった。辿った道を振り返り、再び市場のある大通りへと足を進めながら、金が足りるだろうかと若干の不安を覚えた。
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