83.まだ僕たちは人を殺したことがない。
試合のあった夜。
夕食の席でクレイグに「手心を加えすぎだったな。鬼人族のフィジカルを舐めすぎだ。初手が通じなかったのだから、次を手加減したのは明らかな失策だぞ。経験不足だな」と
確かに序盤は手心を加えすぎたかもしれない。
まさかあれほどまでに人間と鬼人族とのタフネスに差があるとは、思わなかったのだ。
イスリスは「騎士学校の代表と試合して引き分けるなんて、マシュー先輩はやっぱり凄いですね!」と褒めてくれたが。
その後も幾日か合同演習を行い、騎士学校と魔導院の生徒たちの連携もこなれてきた頃、遂に王都間近までグレアート王国軍が迫ってきているとの報が入った。
いよいよ僕たち学生も出陣の時が迫ってきているのだ。
王都から一日の距離にある平原が決戦の地と目されている。
周辺の領地からも兵を集めての決戦だ、どこまで学生の出番があるかは分からない。
しかし出番がないと楽観視する理由はない、戦場に赴くからには戦う気でいなければならないだろう。
……例え敵国の人間でも、相手を殺さなければならないのか。
殺人を犯すことに抵抗感がある。
まだ僕たちは人を殺したことがない。
平原に先に陣取っている我が国オルスト王国軍に続くように、僕たちは王都を出発した。
敵国グレアート王国軍はまだ平原には到達していないから、合流に支障はない。
ギリギリまで学生軍が王都に留まっていたのは、予備的な兵力だからである。
やはり本命の戦力としては騎士たちと魔術師団、そして兵士たちなのだ。
騎士見習いや魔術師見習いの僕たち学生は、万が一の保険のようなものである。
それでも将来、騎士や魔術師団入りするだけあって学生軍の戦力は馬鹿にできないらしい。
おまけに戦闘魔術師では国で五指に入るクレイグが指揮を取り、自らも参戦するというのだから。
また貴族ならば護衛騎士がついているため、その戦力も侮れない。
僕もこの戦争に、護衛騎士としてユーリとルカを連れてきている。
侍従であるカーレアまでもを戦場に連れて行く気にはなれなかったため、彼女のことは王都に置いてきた。
平原までの隊列は騎士学校の面々が先頭集団で、僕たち魔導院の者たちはその後ろからついていく形だ。
魔導院の先頭集団はクレイグ、他に教師・教授が数名、学生代表バスカエル、そして学生代表補佐の僕だ。
王都を出発した午前中のこと、ふとクレイグが顔を上げて周囲を見渡し始めた。
何に警戒をしているのか、鋭い目つきで周囲を探っている。
学生代表のバスカエルが僕に「クレイグ教授は何をしてらっしゃるんだ?」と問うてきた。
「多分ですが【魔力感知】スキルで周辺の魔力を探っているように見えます」
「なぜそんなことを? 戦場まではまだまだ距離があるぞ。王都を出発したばかりだ」
「さあ……」
僕にもクレイグの意図は分からない。
だがクレイグが戦闘魔術師として一流なのは疑っていない。
何か意味があることなのだ、と思えば僕も【魔力感知】をしないわけにはいかなかった。
…………なんだ、この違和感は?
誰かが【魔力隠蔽】をして魔術の構築をしている。
後方の魔導院の学生たちじゃない。
むしろ隊列からかなり外れた場所、方角から何かが伝わってくるように感じた。
「クレイグ教授、この魔力は?」
「……お前も感じ取ったか、マシュー。恐らく遠距離から魔術による一撃が来るぞ」
「え?」
「大まかな位置は特定できた。しかしどこを狙ってくるか分からん。全軍に警戒態勢を取らせるべきだが、逆に混乱を招きそうでもある。どうしたものか……」
「ですが急いで連絡をして備えた方がいいのでは?」
「いや、間に合わない。来るぞ」
その一撃は、まさにクレイグのいる位置、即ち魔導院の先頭集団を狙ったものだった。
巨大な火球が飛来する。
「狙いは俺か。好都合だ」
クレイグは嗤ってみせた。
「〈アイスドーム〉」
巨大な半球状の氷のドームを一瞬にして形成する。
大きな火球は、クレイグの張った氷属性の防御魔術に阻まれ、しかし派手に爆発してみせた。
狙われたのがある意味、クレイグで良かった。
学生の隊列を狙われていたら、死傷者が出ていた威力だ。
「クレイグ教授、これは……」
狼狽える教師や教授たちに向けて「狙いは恐らくこの俺だ。片付けてこよう。このまま進軍を続けるように」とだけ言って、氷の結界を解いて単身で火球が飛来した方角へと走り出した。
困惑している教師と教授たち。
しかし大人たちが動揺したままでは学生たちに示しがつかない。
僕は「しっかりしてください。クレイグ教授がいない今、全軍の指揮を取るのはあなたたちですよ」と告げた。
年嵩の教授が「確かにそうだな。我々が浮足立っていては話にならん。このまま進軍しろとのお達しだ。クレイグ教授ならば同じ魔術師相手に遅れを取ったりはすまい」と言った。
気になるのは、この隊列にいるクレイグを的確に狙った以上、グレアート王国からの刺客ではないかということだ。
ならば敵はクレイグを最低限、足止めできるだけの人材を用意していることになる。
ふと嫌な感覚を得て、僕は【魔力感知】を使った。
……クレイグの向かった方向とは逆方向に、まだ刺客がいる!?
今度は巨大な氷の柱が放物線を描いて飛来する。
僕は素早く魔術を構築した。
「〈アイスビラー〉」
同じく氷の柱が迎撃する。
空中で衝突した氷塊同士は砕け散り、白い煙を伴って爆散した。
「気をつけてください。まだいます!!」
「なんだって!? 一体、どうすれば……」
困惑する教授のひとり。
しかしそれを叱咤する声が上がった。
「呆けている暇はありません。今度は私たちの誰かが向かうべきでしょう」
僕たちの担任教師マドラインだ。
他の教師や教授たちが顔を見合わせる。
焦れたようにマドラインが「ならば私が出向くとしましょう」と告げた。
「ただひとりで相手をしなければならないということはないでしょう? マシュー。ついて来てくれないか?」
「僕がですか?」
「唯一、この中で新たな敵に気づき、攻撃を防いだ手腕は教師や教授に勝るものがある。クレイグの内弟子として、どうか私に協力して欲しい」
「……分かりました」
僕が了承すると、ユーリが「本当に行くのか?」と耳打ちしてきた。
自分の王族としての立場を忘れるな、ということだろう。
しかしここでマドラインを見捨てるという選択肢は僕には到底、取れなかった。
「ユーリ、ルカ。一緒に来てくれるね?」
「……たく仕方ねえな。もちろんだ、命がけで守るぜマシュー」
「もちろんだよマシューくん。私たちがついているよ」
かくして、僕らはマドラインと共にまだ見ぬ敵の元へと走り出すことになった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます