70.どれだけ犠牲を出すつもりでいるのか。
国境が侵されるのは明日の夜だ。
それまでにできることをしなければならない。
とはいえ何ができる?
僕の友人たちを巻き込むのは論外だ。
四侯爵家の子女であるから話をすれば各家の協力を取り付けられるかもしれないが、そんなことは僕のすべきことではないし、とっくに王家がやっているだろう。
友人たちは一年生にしては強いが、しかしまだ学生だ。
危険すぎる戦争に積極的に関わらせるわけにはいかない。
とすると僕自身の強化か。
確かにドラゴンを捕縛できるだろう〈エーテルチェイン〉を習得はしたものの、それでドラゴンを完封できるとまでは考えていない。
竜とはこの世界における最強種。
ありとあらゆる生物の頂点に立つもの。
寿命もなく戦いで死ぬことでしか命を失うことのない竜は、歳を経るごとに強くなっていく。
グレアート王国の従える騎竜がどのくらいの年齢のドラゴンかは知らないが、若い成竜でも500年は生きている。
まさか幼竜ではあるまい。
成竜ならば人語を解するし、魔術も操る。
幸いというべきか竜の持つ属性は多くともふたつだと言われている。
ほとんどの竜は属性をひとつしか持たない。
だが自身が持つ属性については無類の強さを発揮するとも言われているから、属性数では語れないだろう。
特にドラゴンの吐くブレスは自身の属性に依存するものであるが、広範囲を薙ぎ払うことも収束して放つこともできるという。
僕の〈エーテルチェイン〉でドラゴンを拘束できたとしても、ブレスを吐くことまでは妨害できない気がする。
僕は普段通りに魔導院で授業を受けながら、頭の片隅でドラゴンへの対処を考えていた。
結論としてはひとりで背負うものじゃない、というものだった。
僕の強化? 何を言っているんだか。
なにも僕がひとりでドラゴンをどうにかする必要はないのだ。
当然のことではあるが、やや視野狭窄に陥っていたらしい。
昼食のときにトバイフに「今日は集中力に欠けているようだけど、何か悩み事でもあるの?」と聞かれてしまった。
「いや悩みというか……少し課題があって、それについて考えていただけなんだ」
「課題というとクレイグ教授からのかな? 興味があるんだけど、一体、どんな課題を出されているんだい」
「……例えばなんだけど、ドラゴンが王都を襲撃した場合を想定して僕に何ができるか、という話かな」
「え? ドラゴンと戦う想定をしろっていうのかい? いくらなんでも――」
「そうなんだよ。いくらなんでも僕ひとりじゃ無理、というのがこの課題の答えなんだ」
「あ、ああ。そうか、そういう課題か。つまりクレイグ教授はどうにもならな課題を出しつつ、ひとりでできることには限界があると言いたいわけか」
「僕は視野狭窄に陥ってひとりでどうにかしようと途中まで考えたけど、無理だと判断するまでに時間がかかってしまったんだ。これは良くないな、と反省していたところだよ」
僕の答えに納得がいったのかトバイフは「なるほどね」と食事に戻る。
しかしウルザとエドワルドは違ったらしい。
「随分と驕っているようね、マシュー。私たちの首席は目の前にドラゴンが現れたらまずどうやって戦うか考えてしまう、ということね」
「ふん。なまじ戦いに自信がなければ正面きってドラゴンと戦おうなどという発想がそもそも出てこないぞ」
ふたりからは半眼で見られた。
まあ仕方のないことだと思う。
ジュリィとアガサは僕に心配そうな視線を送ってきていた。
「マシューくん。そういうときは無理しないで逃げてくださいね」
「そうだよ。マシュー、ドラゴンに向かっていくなんて自殺行為だよ」
苦笑しつつ「分かっている。もう無理して挑もうなんて考えないから」と慌てて取り繕う。
皆からは「当たり前だ」と言われた。
放課後、僕はクレイグの研究室にやって来た。
扉の鍵が開いている、どうやら今日は魔導院に来ているらしい。
僕は中に入り、アイリンダがまだ来ていないことを確認してから、クレイグの元へ向かう。
クレイグは目元にくっきりと隈を作り不機嫌そうに薬草を刻んだ煙草を吹かしていた。
「お疲れ様です、クレイグ教授」
「ああ」
「本当に大丈夫ですか?」
「問題ない。今日は屋敷に戻って休むことになっているからな」
「そう、ですか」
それは戦いに赴く前にイスリスとの時間を作るためだろうか?
魔導院の教授、しかもクレイグともなれば戦力としては文句なしだ。
何より隣国が国境を侵し、騎竜が王都を脅かすことを知っている。
無関係でいられるわけがないのだ。
「実はソフィアに頼んで、古文書の解読をしました。身につけた魔術は対象をエーテルの鎖で捕縛する強力なものです」
ギン、とクレイグの鋭い視線が僕を貫く。
「戦うつもりか? 駄目だ、お前は自分の立場を軽く見すぎている。ありえん」
「でも王都にいたら、どのみち騎竜に襲撃される。なら戦う術は必須でしょう?」
「イスリスとマシューには一旦、王都を離れてもらう」
「……何を言っているんです?」
「決定事項だ。王族たちは軽々しく動けない。だがマシューひとりくらいなら王都から脱出させられる。そういうことだ」
「どういうことですか。イスリス様ならまだしも、僕まで……」
いや違う、逆だ。
僕を王都から逃せと命じられているのだ、クレイグは。
そのついでに自分の娘も逃していい、と言われたのだろう。
つまり僕を王都から脱出させるのが前提なのだ。
そうでなければイスリスを王都から脱出させられない……?
それは厄介だ。
イスリスは王都から脱出させられるなら脱出させたい。
まだ魔導院にも通っていない子を、襲撃が来ると知りながら避難させない手はないだろう。
だというのに僕を逃すことが前提になっているとしたら、せっかく習得した魔術も無駄になる。
自在に空を駆けるドラゴンを相手に戦うことが、どれほど難しいのか。
どれだけ犠牲を出すつもりでいるのか。
奥歯を噛みしめる。
逃げては駄目なのだ、騎竜に対して有効な手札を持つ僕を欠いて戦えば王都はメチャクチャにされてしまう。
「イスリス様だけを王都から脱出させましょう」
「駄目だ」
「……分かりました。じゃあ僕もイスリス様と一緒に王都を出ます」
「何をしようとしている。いや、分かったぞ。どうせ明日の夜に〈テレポート〉で王都に戻るつもりでいるな? ならんぞ」
僕の手の内を知り尽くしているクレイグは即座に言い当てた。
だが止められはすまい。
僕が勝手に戻って来るだけだ。
クレイグは煙草を深く吸い、そしてたくさんの煙を吐いた。
「お前が戦わずとも、王都には騎士団と魔術師団がいる。宮廷魔術師も揃っている。竜の一匹、討ちもらすことなどありえんのだ」
「でも多くの被害を出すのでしょう? その上で騎竜を討ち取ったとして、勝利と言えますか」
「言える。王族が残ればいいのだ。民はまた増える」
「本気で言っていますか?」
「ああ」
犠牲の中にイスリスがいないからって強気だな。
こうなるとクレイグも頑固だ。
クレイグは頼れないな。
「分かりました。失礼します」
「…………」
研究室を出る。
アイリンダがやって来て「……今日は教授、いるみたい?」と問うてきた。
「はい。僕は用事があるのでもう帰りますけど」
「……? そう、じゃあまた明日」
「はい」
廊下でカーレアと近侍のふたりと合流して、早足で研究室から離れた。
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