65.だから視線を逸らさずに目を見て答えた。

 放課後になった。

 一度、屋敷に戻ったというクレイグと共にアレクシス家の馬車に乗る。

 クレイグは正装に着替えており、自身の専属侍従であるフェミリアと僕の事情を知っている護衛騎士ふたりを連れていた。


 普段はあまり連れていないこの三人は、屋敷に滅多に戻らないクレイグの代理をしているのだ。

 フェミリアは伯爵家当主の行うべき執務を、護衛騎士ふたりは屋敷に務める人員の管理を行っている。

 アレクシス伯爵家はいわゆる法衣貴族という奴で、執務といっても統治すべき領地がないから専属侍従が代理を務めるという無茶を実現させていた。


 クレイグの父である前アレクシス家当主は若くして急逝しており、当時まだ魔導院に通う彼が当主となっていたそうだ。

 ちなみにクレイグの代で魔術の発展に大きな貢献を為したという理由で陞爵しているから、アレクシス家は元は子爵家だった。

 クレイグが提出した『呪文の構造解析』というシンプルなタイトルながら奥深い内容の論文は、当時のすべての魔術師たちを唸らせたのである。

 音声振動と魔力伝導の相互作用について突き止めたこの論文は斬新であり、時の宮廷魔術師第一席が感激のあまり「論文の功績をもってアレクシス子爵を陞爵させるべきだ」と国王に直訴したというエピソードは有名だ。

 そして魔導院を首席で卒業して教授になったクレイグは、すぐに婚約者と結婚して、生まれたのがイスリスというわけ。

 閑話休題。


 さて魔導院から王城まではそう時間はかからない。

 なぜなら魔導院自体が貴族街の隅っこにあるからだ。

 というより魔導院の広大な敷地こそが貴族街とそうでない城下町との境界線となっているというべきか。

 ともかくこの時間帯は馬車も混んでいないから、王城の前まで割りとすんなり辿り着いた。


「宮廷魔術師第一席のゴードヴェル・イーヴァルディ様に招かれている」


 馬車の窓を開けてクレイグは手ずから招待状を城の門衛に差し出す。

 門衛はクレイグの顔と招待状を確認してから、城門を開けた。


 城の馬留めに馬車を停めて、僕たちは正面から王城に入る。

 王城に上がるのは人生で二度目だが、あまり印象は変わらない。

 珍しいクレイグの来訪に気づいた貴族が話しかけてくることがあるが「約束があって来ている。待たせるわけにはいかないので通してもらいたい」と告げるだけだ。

 ただし今回は先導する近衛騎士もいないし、魔導院の制服姿の僕を連れているので貴族たちは興味津々に情報を引き出そうと会話を続けようとする。

 仕方なしにクレイグは「イーヴァルディ侯爵家のご当主を待たせるのは気が引けるのだが?」と待ち合わせの相手の名前を告げる。

 それだけで城に出入りしている貴族ならば四侯爵家の当主を待たせる原因に自分たちがなる恐ろしさをよく分かっているのだろう、すぐに引いていった。


 ……貴族らしい貴族か、きっと怖い人なのだろう。


 僕はまだ見ぬゴードヴェルについてあれこれ想像をしてみたが、もうすぐ会うのだからと思考を打ち切る。

 実際、城を歩いて貴族たちを退けていってしばらくすると、目的の部屋に近づいてきたらしい。

 部屋の前には護衛騎士がひとり立っており、僕たちを視認したところで何やら部屋の中に呼びかけた。

 僕たちが部屋の前に来る頃には壮年の男性、恐らくその所作から侍従と思われる人物が部屋から出てきて僕たちを待ち受けていた。


「クレイグ・アレクシス伯爵とマシュー様ですね?」


「そうだ」


 クレイグが短く応える。

 ゴードヴェルの侍従は「主がお待ちです。どうぞ中へ」と僕たちを部屋に招き入れた。

 宮廷魔術師第一席と書かれたプレートの掲げられた部屋は、城内における数少ない個室だ。

 ふかふかの絨毯が敷かれており、靴が毛足に沈み込む。

 ゴードヴェルは僕が想像していたより、ずっと年上だった。


「ようこそ、クレイグ伯爵。そして君があの素晴らしい論文を書いたマシューだね? 歓迎しよう」


 執務机にいた彼は立ち上がり、僕たちを迎えた。

 あごヒゲをたくわえた初老と思しき男性は、宮廷魔術師の証である白のマントを身に着けている。

 そして応接セットのを手で示しながら僕たちに座るよう促した。


「では失礼します」


「失礼します」


 クレイグと僕は部屋に入り、応接セットの片側のソファに座る。

 僕たちの侍従と護衛騎士は部屋の外で待たされるらしい。

 代わりというわけでもないが、ゴードヴェルの侍従と護衛騎士も部屋の外へ出た。


「マシューは平民とのことだから、礼儀作法は気にする必要はない。私が咎めないとここに誓おう。その証拠に、人払いはしてある。誰も君の発言や態度を咎める者はいないから、安心してくれ」


「……ご配慮に感謝します」


 僕はそう応える。

 ゴードヴェルも対面のソファに身体を預けた。

 僕はその漲る圧力に気圧される。

 これがこの国で最も強い魔術師か。

 僕が登るべき高みに既に辿り着いた者が、目の前にいる。

 そう思うと感じ入るものがあった。


「緊張しないでくれ。ただ素晴らしい論文の話がしたいだけだ。そうマシュー、君が書いたあの『下位属性の基礎理論の応用によるエネルギー変換』のことだよ」


「はい」


「まずはあの素晴らしい論文について私の感想を聞いてもらえるかな。――本当に感動したよ、あの論文には。なにせこれまでの魔術の基礎であるところの下位属性の常識をあっさりと覆したのだからね。斬撃・刺突・殴打。このみっつの性質をすべてひとつの下位属性で遂行できるとなると、戦術の幅は大きく広がるだろう。しかも理論には応用が効くとある。新たな魔術の研究と開発の下支えとなるのは間違いない。これはクレイグ伯爵の論文『呪文の構造解析』にも勝るとも劣らない成果だ。素晴らしい。本当に心の底からそう思わされた」


「……過分なお言葉、もったいないことです」


「おやおや。そう萎縮しないでくれたまえ。むしろ私の方が君という未来ある才能を前に胸踊っていて平静を装うのに苦心しているのだからね」


 ゴードヴェルは嬉しそうに、本当に嬉しそうに語った。

 あの論文は過去の研究者の論文の剽窃だと自覚している僕からすると複雑だ。

 しかしそのような罪悪感に浸る贅沢は捨てて、自信をもって自分が書いたと嘘をつかなければならない。

 古代魔法文明語を解読自由な聖獣を手元に置いているなどという事実は、なんとしてでも隠さなければならないからだ。


「クレイグ伯爵。君が羨ましいよ。このような才気煥発な少年をどこでどうやって見つけてきたのかね」


「たまたまですゴードヴェル様。彼の父親とは知り合いでして、急逝してしまったために私を頼るよう遺言を残した。そして彼は田舎から王都に出てきて、私の元へとやって来た。そして聞けば素晴らしい才能を持っているではないか。これなら私の内弟子として面倒を見てやれば将来の布石になる。そういう打算混じりの判断に過ぎません」


「なんとも……幸運だな。いやマシューにとっては身内を亡くしたのだからこういう言い方は悪いか。しかし羨ましいよ、クレイグ伯爵。魔導院の教授ともなるとそういう伝手は多いだろうな」


「いかにも。才能ある魔術師を幾人も弟子に取ってきました。彼ら彼女らはそれぞれ活躍し、子を為す。才能ある子が生まれることでしょうな。そしてマシューのようにかつての師を頼りに子を預ける者も出てきた。教授としての役得です」


 わざと悪しざまな道化を演じるクレイグ。

 打ち合わせもしてこなかったが、恩のある彼にここまでさせて申し訳なさで胸がいっぱいになる。

 ゴードヴェルは特に何も感じるところはなかったらしく、「なるほど、役得か。それはいいな」とだけ言った。


「実際のところ、どこまでクレイグ伯爵……いや教授の指導が入っているのかね? 研究の発端は? 過程は? 検証は? すべて魔導院の一年生であるマシューが論文を書き上げたのだろうか?」


「もちろんです。私は論文の書き方の指導しかしていません。すべてマシューがひとりで題材を決めて、理論を組み立て、検証を行いました」


「ふむ……しかし君の指導あっても論文には粗さが見て取れた。理論は整然としているにも関わらず、論文としては雑とも言える出来だった。クレイグ教授の指導があってあの出来というのは、何か理由があるのかね」


「単純に時間がありませんでした。締め切りまでの時間が。マシューは魔導院の一年生です。その彼に論文を書いてみないかと持ちかけたのは、論文査読会の締め切りまでそう余裕のあるスケジュールではなかった。そのため推敲に時間をかけられなかったのです。つくづく残念なことですが、マシューの論文をこうして宮廷魔術師第一席のあなたが絶賛してくださることで、幸運にも弟子が正当に評価されたという次第です」


 するすると虚実を織り交ぜたクレイグの対応。

 嘘をつくにはほんの少しだけ事実を混ぜるのがコツだとは、よく言うけど。

 いや時間がない上に無茶振りされたのはただの事実か。

 よく考えたら酷いな、クレイグ。


「ははは、そうだったのか。そうなると本物だな、マシューは」


 ゴードヴェルは声を上げて笑った。

 しかし目までは笑っていない。

 隙なく僕たちを観察し続けている。


 そして視線が再び、僕に向いた。


「マシュー。君はどこを目指している? 魔術師としての高みの話だ。君が目指す場所を聞いてみたい」


「…………最高の魔術師に、なりたいと思います」


 本心からそう思っている。

 これは真実だ。

 だから視線を逸らさずに目を見て答えた。


 だがしかし、意外なことに狼狽えたのはゴードヴェルだった。


「まさか……そんな……」


「…………?」


 ゴードヴェルは目を見開き呟く。


「エーヴァルト様?」


 僕たちはその一言に思わず目を剥いて驚いた。

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