第四章 開戦の狼煙
63.娘には相変わらず弱い人だ。
秋風がいよいよ冷たさを感じさせるようになった。
冬の訪れが近いのだろう、随分と日が落ちるのも早くなってきている。
いくら馬車に明かりを搭載しようとも、暗くなればやはり危険だ。
僕は日が暮れる前には魔導院からアレクシス邸に帰るようにしていた。
読書時間が削れ、研究室ではクレイグの指導を早くこなさなければならないので忙しないことこの上なく日々、時間との戦いに苦戦している。
アイリンダは研究室に顔を出してのんびりとクレイグの課題を消化している。
彼女は寮生なので、割りと暗くなってからでも帰るのに不安はないのだ。
この日は〈ヒートアップ〉の護符の作成の仕事をしていた。
夏にやった〈クールダウン〉の護符と同じ要領での仕事となる。
やはり貴族向けの装身具に付与をしていくことになるため厳しい基準を設けられているが、【付与魔法】のレベルアップによってやり直しの数は随分と減った。
今日も規定の数をこなしたので、アレクシス邸に帰ろうとクレイグに挨拶をしに彼の机に向かう。
「クレイグ教授。仕事が一段落したので、今日はこれで帰ります」
「そうか、分かった。数が溜まったら納品は任せる。……ああそれと今日は俺も屋敷に戻る。夕食は俺が戻るまで待つように」
「そうなんですね。分かりました、イスリス様に伝えておきます」
「む……よろしく頼む」
娘には相変わらず弱い人だ。
僕はアイリンダ先輩に挨拶をしてから、カーレアとユーリとルカと一緒に馬車でアレクシス邸に戻った。
夕食の席に間に合うようにクレイグは戻ってきていた。
イスリスが張り切って晩餐の差配をしていたらしく、今日はいつもより心なしか料理の品数が多い気がする。
イスリスが近況を報告するのを相槌を打ちながら聞くクレイグを横目に夕食に舌鼓をうっていると、クレイグの咳払いでイスリスが黙った。
「イスリスが入試に向けて努力しているのは十分に分かった。これからも続けるように」
「はい、お父様」
「さて今日は実はマシューに知らせなければならないことがある」
僕は食器を置き、「僕にですか?」と問うた。
「ああ。王城に名指しで招かれている」
「王城に上がれ、と。どなたからのお招きでしょうか」
「宮廷魔術師の第一席、ゴードヴェル・イーヴァルディだ」
ウルザの父親の名前にギクリとする。
その男は、確か僕の論文をかっさらっていった奴ではないか。
「なぜ、と伺ってもよろしいでしょうか?」
「……お前の書いた論文が城内で話題になっているらしい。それで宮廷魔術師の第一席が個人的に会ってみたいと仰せだ」
「なるほど」
「ちなみに拒否できるような権力はこちらにはない。俺は伯爵に過ぎず、魔導院の教授の肩書きも無意味だ。マシューに至っては平民であるから、城に上がれるのは栄誉あること。断る口実はないと思え」
「分かりました。いつ、会いに行けば良いのでしょう?」
クレイグは眉を寄せながら「明日の放課後を指定されている」と言った。
僕は意外感を隠さずに「随分と急ですね」と応える。
「普通の貴族なら数日は空けるのが慣例ですよね?」
「そうだな。恐らくは先方の都合だろう。空いている時間はあまりないのではないか? 宮廷魔術師の第一席ともなるとご多忙だろうからな」
クレイグの当てこすりのような一言に苦笑を噛み殺しながら、僕は「なるほど」と応えた。
イスリスがクレイグと僕の会話に柳眉を立てている。
「マシュー先輩の論文を奪い取った挙げ句に急に呼び出すなんて……酷い人なんですね、宮廷魔術師というのは」
「相手はこの国の魔術師のトップだ。酷いというより当人が持つ権力を正当に行使しているだけだろう。もっとも俺たちからすれば、迷惑極まりないことだが」
クレイグの本音にイスリスと僕はクスリと笑みがこぼれる。
僕は「城に上がるなら正装でしょうか?」と問うと、クレイグは少しだけ考えてから「いや、制服だな。魔導院の生徒として呼び出されている」と答えた。
「ゆえにハーマンダの出番はない。王族として出向くわけではないからな」
「分かりました。平民の学生としてゴードヴェル侯爵にお会いする形ですね」
「……そうなるな」
ならば僕らの側には特に準備などは不要だろう。
明日の放課後はクレイグも同行してくれるらしい。
平民をひとりで城に上げるわけにはいかないから、後援者であり論文の指導をした教授であるクレイグの同行もまた自動的に必須となる。
宮廷魔術師の第一席か、予めどんな人なのかウルザに聞いておこうかな。
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