ウルザ・イーヴァルディ
私の父は王城の宮廷魔術師、その第一席である。
実質この国で最高の魔術師だ。
私は父ゴードヴェル・イーヴァルディの名に恥じぬよう、魔術を極めるつもりでいる。
目下の悩みは、私よりも才能に溢れた同級生がいたことくらいか……。
ひとりの純朴そうな顔をした少年が思い浮かぶが、すぐに脳内から追い出す。
他人と比較して無いものねだりしていても仕方がないのだ。
私は私の手札で勝負するしかない。
私は屋敷にある訓練場のレーンでゴーレムを動かしていた。
魔法大祭の闘技大会ではあっさりと敗北を喫したが、それは私のゴーレム操作の練度が劣っていたからだ。
もちろんそれだけが理由じゃないけど、理由のひとつではあると思う。
彼の放った虚無の攻撃魔術は非常に厄介であり、当時の私には回避する以外に手はなかった。
だが今なら〈ヴォイドスフィア〉に対抗できる。
ゴーレムとの同調を高めて、私自身にはできない機動をさせる。
身体強化の無属性魔法を発動させたゴーレムは、素早く力強い動きで訓練場内を駆け回る。
「精が出るな、ウルザ」
夢中でゴーレムを駆る私に、不意に声を掛けてきたのは、他ならぬ父だった。
私はゴーレムとの同調を切ってから、向き直る。
「お帰りなさいませ、お父様」
「うん、いま帰ったよ
優しい笑顔で私の父は乾いた温風を浴びせてきた。
【生活魔法】の乾燥温風の魔術だ。
普通ならば髪を乾かすのに使うのだが、父ほどの使い手ともなると私の全身に浴びせるように行使できるらしい。
汗が乾き、蒸発する。
夢中でゴーレムを動かしていたから気づかなかったけど、私はビッショリと汗をかいていたようだ。
「ありがとうございます、お父様」
「なに。……しかし随分と熱心にゴーレムを動かしていたね。闘技大会の反省かな?」
「はい。同じ手で敗北する愚は犯せませんので」
「良い心がけだ。それでこそ私の娘だ」
父に褒められて、じんわりと喜びが湧き上がる。
宮廷魔術師の証である白の丈の長いマントを翻し、父は屋敷の方へ踵を返した。
「ともあれほどほどにな。そろそろ日が傾くのも早くなってきたし、夕刻から冷えるようになってきた。部屋に戻って着替えてくるといい」
「はい、お父様」
私はゴーレムを訓練場から外に出して土に戻してやった。
そして側近、専属侍女と護衛騎士たちを連れて部屋へと戻る。
室内着に着替えた私は、自分の机の上に見慣れない封筒が置いてあることに気づいた。
専属侍女のティシーもそれに気づき、封筒に近づき手を置いた。
ティシーのギフトは【危険感知】だ。
身に迫る危険を察知し、触れたものに危険がないかを探知する強力なギフトである。
「安全です。誰ですか、この封筒を置いた者は?」
「……あの、ご当主様の侍従がウルザ様に読んでおくようにと、置いていかれたものです。報告が遅くなり申し訳ありません」
私の着替えを手伝った侍女のひとりがおずおずと申し出た。
ティシーが安全だと判断した上に父からの封筒ならば問題ない。
侍女に小言を言いに向かうティシーと入れ替わりに私は机の封筒を手に取った。
中身は論文のようだ。
タイトルは『下位属性の基礎理論の応用によるエネルギー変換』とある。
これだけでは内容の想像もつかない。
そして思わぬ著者名を見て手に力が入った。
マシュー。
これは、マシューが書いた論文の写しであるようだった。
なぜ父がこれを読めと言ってきたのか分からない。
しかし同級生の代表である首席が、クレイグ教授の元で急造で仕上げた論文に興味がないわけがなかった。
私はもうすぐ夕食の時間になるのにも関わらず、論文のページを手繰る。
意味を捉えかねる序文から始まり、しかし分からないことは分からないままにして取り敢えず先へと進む。
そして理解した。
これは古代魔法文明時代に遺失した魔術理論の再発見だと。
ブルリ、と背筋が震えた。
なんだこれは。
なんなんだこれは。
あって良いのか、このような高度な論文が彼の手により書かれたなどということが。
そして疑問が鎌首をもたげる。
この内容で論文発表会に選出されなかったなんて、嘘でしょう?
私は論文を机に置いて、立ち上がる。
時間はちょうど、夕食の刻限を迎えていた。
食事の席に澄まし顔で座る。
内心ではマグマのように嫉妬と怒りと不可解な気持ち悪さが渦巻いているが、表情には一片たりとも出さない。
父はそんな私に優しい眼差しを向けて「そういえば部屋に封筒を届けさせた。中身は確認したか?」と問うてきた。
「はい。同級生の書いた論文でしたね。なぜお父様があの論文を?」
「内容についてはどうだった?」
私の疑問を無視して中身について問うてきた。
私はひとまず自分の疑問を棚上げしつつ、父の問いに答える。
「……悔しいけど素晴らしい論文でした。あの内容で論文発表会に選出されなかったのは、教授陣に見る目がなかったからでしょうか?」
「ははは。それはない。あの論文は論文査読会でトップの点数を取っていた」
「ならば、何故……彼の論文は選出されなかったのですか?」
「私が取り上げたからだ」
意味を計りかねた。
数秒もかからず理解して、頭に血が上る。
「何故、そのようなことを!」
「……ウルザが言った通りだからだ。内容が革新的すぎる。あれは宮廷魔術師と魔術師団で精査するに相応しい内容だ」
「っ――!」
私は勘違いしていた。
マシューの論文は、彼自身が言っていたように締め切りに追われて満足な仕上がりにならなかったから、評価されなかったのだろうと。
否、マシューは「評価されなかった」などとは言っていない。
彼は「締め切りまで時間がなくて雑な論文になってしまった」と言っていたではないか。
私が目にした論文は確かに推敲が足りずにやや雑な印象を受けた。
しかし内容は別格だったのだ。
奥歯を噛みしめる。
一体、彼は私のどれだけ先を行っているのだ。
何がそこまで私と違うのだろう?
心が乱れている私に、父は優しく声をかける。
「俄然、その子に興味が湧いたよ。ウルザが首席を譲ったのは属性数とクレイグめが師として躾けているからだとばかり思っていた。しかし違ったのだな。マシューという少年に過ぎない年齢の彼は、私たちですら驚くしかないような才能を持っているようだ」
止めて、今の私の前でマシューを褒めないで。
顔が紅潮しているだろう、脈拍が高ぶっているだろう。
心臓の音が聞こえるようだ。
ああもう、なんであの少年は……!!
表情を取り繕い、落ち着き払った声で私は父に向く。
「ええ。あのクレイグ教授が才能を認めて内弟子にしたのです。生半可な相手じゃありません。恐らく……私の終生のライバルになると見込んで、2年前から手紙のやり取りをしてきました」
「ほう。文通していたのか。ならば彼の人となりを知っているかい」
「ええ。同級生の中では親しくさせてもらっていますから」
「ふむ……魔導院での生活など聞かせてもらったことはなかったな。今年は四侯爵家の子女が揃っている。同級生たちと切磋琢磨しているだろうとは思っていたが、クレイグの弟子との差がこれほどとは思ってもみなかった」
「私たち四侯爵家の子女は、マシューを追いかけています。切磋琢磨というよりも、誰より先を行く彼を背後から脅かさんと研鑽を続けているのです」
父はワイングラスをくゆらしながら、赤い液面が揺らめくのを見て笑みを深めた。
「クレイグの弟子か……。一度、会ってみるのも悪くないかもしれぬな」
父は一息に赤のワインを飲み干した。
◆
明日より第四章が毎日更新です。お楽しみに。
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