幕間

アイリンダ・ガーディフ

 壇上から立ち去り、私は全身の力が抜けて倒れそうになりました。

 その様子があまりにも危うかったのでしょう、舞台袖で見ていたクレイグ教授が私の両肩に手を置き支えてくださいました。


「よくやったアイリンダ。お前の出番は終わりだ。後半を見ていきたいというのでなければ、このまま今日は寮に戻れ」


「…………はい」


 私は蚊が鳴くような小さな声で返事をようやく発して、自力で歩き出します。

 今日は論文発表会の本番でした。

 もう二度と壇上になど立ちたくない。

 私のような小心者には聴衆の注目を一身に浴びる処刑台のように思えます。

 王族も臨席する栄えある役目ですが、私には荷が重すぎました。


 …………なので、今日は、もう、寮に、帰ります。




 そもそもの話、なぜ私だったのでしょうか。

 論文の出来不出来ならば後輩のマシューくんの方が余程、凄まじい内容だったはずです。

 魔術の常識を覆す論文でした。

 私は一年生が書いたあの論文が、論文発表会に相応しくないなどとは決して思えないのです。

 どう考えても私の出番はありません。

 マシューくんの論文を読んで、どれだけ安堵したことか。

 クレイグ教授の研究室からはきっとマシューくんが論文発表会に出るだろう、と。


 …………なのに、どうして私が?


 おかしいのです、あり得ないのです。

 マシューくんが論文発表会に出ないだなんて。

 聴衆の席の前の方で上級貴族の同級生と一緒にいる彼を目にして、つくづく思わされました。

 平民なのにウルザ様らと一緒にいるなんて凄いコミュニケーション能力だと。

 私が陰なら彼は陽。

 きっと目に映る世界のなにもかもが違うことでしょう。

 神様がいるならなんて残酷な仕打ちを私に課したのでしょうか。

 耳を澄ませて静かに私の声を待つ数多くの聴衆たちに晒されて、私の心は千々に砕け散りました。


 ベッドの上で丸くなりながら、ふて寝します。

 昨日の論文発表会から翌日の昼である今まで、私はお気に入りのぬいぐるみを抱いてベッドの上でうなされていました。

 このまま石になってしまいたい。

 そうすれば明日から魔導院に通わずに済む。

 明日、もし教室に足を踏み入れたときの同級生たちの反応が今から恐ろしい。

 群がってきて何言か言われることでしょう。


「論文発表会、良かったよ」

「とても分かりやすい発表だったと思う」

「さすがクレイグ教授に認められた才能ある魔術師だね」

「同級生として誇らしいよ」


 ああ、同級生たちの言葉が今から恐ろしい。

 ベッドの上でぬいぐるみを強く抱き締めました。

 するとキュウとお腹が鳴ります。

 そういえば、昨日から何も食べていませんでした。


 …………食堂に行くの?


 寮の食堂へ行けば、誰かと必ず顔を合わせることになるでしょう。

 嫌!!

 きっと何か恐ろしい言葉をかけられそう!!


「同じ下級貴族として君には敬服するよ」

「寮生から論文発表会に登壇するなんて、あなたは天才だ」

「どうかこの漬物の小鉢を受け取って欲しい。ほんの気持ちだ」

「今日は食堂でたくさんお食べ」


 あ、後半は食欲に負けておかしなことになっているけど、何か言われるのには変わりありません。

 ああ、ああ、なんという恐ろしい事になってしまったのでしょうか。

 今や私は時の人。

 論文発表会で見事に聴衆から万雷の拍手をもらっちゃった有名人。

 怖い、自分の知名度が怖い!!


 …………でもこのまま何も食べないのは身体に悪い。


 そうです、人は生きている限り、命をいただき続けるしかない業を背負っているのです。

 私はぬいぐるみをベッドに置き、ゆるゆると立ち上がって着替えます。

 食堂で、パンを食べるために……!!




「具合は大丈夫? アイリンダさん」


 心配そうに私の体調に気を使うのは、同級生のひとりでした。

 同じ寮生としてよく、私のことを心配してくれる良い心を持った子です。


「具合……大丈夫」


「そう。また食事を抜いたでしょ。駄目だよ、身体に悪いんだから。ただでさえアイリンダさんは食が細いのに」


「…………うん」


「お腹に優しいものにしようね? 食堂のおばさまにパン粥を作ってもらうように頼んでくるから、席で待っていて」


「…………わかった」


 彼女の言うことにはひとまず従っておくと、私にとって良いことが訪れるのは学習済みです。

 きっと弱った身体にパン粥はちょうどよいでしょうし。

 人で賑わう寮の食堂ですが、私に声を掛けてくる人は彼女だけでした。


 …………あれ、意外と私ってそんなもの?


 論文発表会で耳の痛くなるような拍手をもらったのは幻聴だったのかしら。

 あの心身を蝕むような視線の数々は錯覚だったのかしら。

 渦巻く疑問に頭を悩ませていると、目の前のテーブルから甘いミルクと香ばしいパンの香りが漂ってきました。


「アイリンダさん。食べられる?」


「…………うん。食べます」


「無理しちゃ駄目だからね?」


 私の向かいに座る彼女は、頬杖をついて私の食事に付き合ってくれました。

 暖かくて甘いパン粥をちびちびと食べていると、向かいの席の彼女が微笑みます。


「よしよし、昨日は頑張ったもんね。今日はゆっくり休もうね」


「…………ん」


 理解のある彼女の言葉に首肯して、私はパン粥をもそもそと咀嚼しました。


 食べ終わったら部屋の前まで付き添ってもらい、私は無事に心の平穏を得られたのです。

 石にならずに明日、ちゃんと魔導院に通わなきゃ。


 まだチヤホヤされてないもん。


 みんなから敬愛の眼差しと私を羨む言葉をかけてもらっていないもの。

 そうでもされなければ、論文発表会などという地獄を頑張ったご褒美がないではありませんか。

 私は想像の中で同級生たちに囲まれてチヤホヤされている幸せな夢を見ながら、ベッドの上でぬいぐるみを抱えて眠りました。

 明日はきっといい日になる、と信じて。


 ◆


 次回の更新は12月9日です。

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