62.心の奥底にズシリと重いものがあるようだ。

 論文査読会の流れは次のようになる。


 まず提出された論文を教授たちが一通り目を通す。

 そして教授それぞれが各論文に点数を付けていく。

 最終的にすべての教授の付けた点数を合計したものを参考値としつつ、教授会という魔導院の教授全員が出席する会議で特に出来の良かった論文を選出する。

 ここまでが論文査読会と呼ばれる催しで、生徒たちが関わる余地はこの段階ではない。


 生徒が関わるのは、出来が良かったとして選出された論文の著者が魔導院の講堂で論文発表会を行うこととなる、次の段階からになる。


 論文発表会の聴衆になるには魔導院に籍を置いている必要がある。

 即ち生徒か教師か教授かのいずれかであること。

 一般公開は行われていないのだ。

 もちろん外部からの来賓は招かれるし、なんなら魔法大祭のとき同様に王族もやって来る。

 栄えある舞台であることは間違いないのだ。


 とはいえ魔導院に籍を置く者が全員聴衆として出席するかというと、そうでもない。

 論文発表会は教授たちが選出した出来の良い論文を著者自らが解説するものだが、その選出には教授たちの力関係も加味される。

 最終評価で論文発表会に選出された論文より高評価を得る落選論文などザラにあるのだ。

 そもそもすべての論文は、後に図書館に収蔵されることになっている。

 単に論文の内容が知りたいのなら、図書館に行けば良いのだ。




 さて論文を提出してから2週間程度が過ぎた。

 論文査読会が行われている間、教授陣は論文に目を通すのに忙しくて研究室を開けている暇はない。

 それはクレイグにしても同じことで、僕はこの2週間を閉架書庫での読書に当てていた。


 そんな伸び伸びとしたある日、遂に論文査読会の結果が出たと帰りのホームルームで担任のマドラインが告げた。


「論文査読会の結果は次の通りだ。今年の論文発表会にはふたつの論文が発表を行う。ひとつ目は、クレイグ・アレクシス教授の研究室に所属しているアイリンダ・ガーディフの『記憶操作魔法の倫理と影響』。ふたつ目は――」


 なんとめでたいことにアイリンダの論文が選出されたようだ。

 ふたつ目の論文の著者は知らない三年生の男子生徒のものである。


「今回は一年生からマシューが論文を提出している。話に聞く限り教授陣の評価はかなり高かったようだが、論文発表会には選出されなかった」


 僕が論文を提出したことを知っているのは、侯爵家の4人とアガサくらいだ。

 他の同級生たちは「一年生なのにもう論文を書いて提出したのか」と驚きに声をなくしている。


「まあなんだ。論文発表会に選ばれるのは運なども絡むからな。マシュー、気落ちする必要はないぞ?」


「大丈夫です。僕の論文の出来の程はちゃんと理解していますので」


「……そうか? まあ大丈夫そうならいいんだが」


 マドラインは眉をフラットにしたまま、今日のホームルームの終了を宣言した。




「残念だったね、マシュー。もしかしたら、と期待していたんだけど」


「いや。僕の論文は提出ギリギリになっても推敲が終わっていなかった雑なものだから、選出の目はなかったと思うよ」


 トバイフが声を掛けてきたので、応える。

 エドワルドは「マドライン先生は、教授陣の評価は高かったと言っていたようだが?」と口を挟んできた。


「そうだったら嬉しいね。とりあえず論文査読会が終わったなら研究室も開いているだろうから、僕はクレイグ教授のところへ行ってくるよ。アイリンダ先輩におめでとうも言いたいし」


 ウルザとジュリィ、そしてアガサもこちらの席に来て似たような会話をする。

 僕は一足先に皆に挨拶をしてから、クレイグの研究室に向かった。


 研究室にはアイリンダはまだ来ていなかった。

 クレイグは目の下に酷い隈を作って、目覚まし用の煙草を吸っていた。


「お疲れ様です、クレイグ教授」


「……ああ。まあ、疲れているのは確かだな」


「アイリンダ先輩が論文発表会に選出されたと担任に聞きました」


「……そうだ。まあ順当なところだろう」


「僕の論文はどうなりましたか。雑なりに内容には手応えがあったんですけど」


 本音では論文発表会に選ばれるのではないかと、思っていないわけじゃなかった。

 なにせソフィアが翻訳した古代魔法文明時代の理論は、革新的なものだったからだ。

 どう考えても論文発表会に出られないはずはない、と思っていただけに、ちょっと悔しさもある。

 クレイグは眠そうな目でこちらに視線をやる。


「手応えか。あの内容だからな、分からんでもない。事実、お前の論文は論文発表会の第一候補だった」


「え? ならなんで……」


「どこで聞いたのか、内容を知った宮廷魔術師が発表を止めに来た。なんでも広く知らしめる内容ではない、まずは王城の魔術師団に内容を精査させるだとかなんとか、理由を付けて論文を持っていった」


「持っていった? 論文そのものをですか?」


「ああ。だが点数自体は付いている。お前の論文は間違いなくトップの評価を得ていたぞ。だが肝心の論文を非公開にしろという圧力が王城からかかった以上、論文発表会に出すわけにはいかない。そういうことになったから、すまんが論文発表会に登壇する栄誉は今年は諦めてくれ」


「ええ、分かりました。けど論文が持っていかれたということは……図書館への収蔵はどうなるんですか?」


「さてな。論文が返ってきたら図書館に入るだろうが……分からん」


「クレイグ教授でも分からないって……その宮廷魔術師というのは一体、どんな人なんですか」


「……ゴードヴェル・イーヴァルディ。お前の同級生、ウルザ・イーヴァルディの父親に当たる。この国で最も権力を持った魔術師だ」


 ウルザの父親だって?


「ウルザの父親ということは、イーヴァルディ侯爵家の当主では?」


「そうだ。しかし当主としての実務は弟に任せて、自分は宮廷魔術師として王城で権勢を振るっているのが性に合っているらしいな」


 宮廷魔術師という地位は、王国において最高位の魔術師であるという肩書きである。

 第一席から第十二席まであり、王国の魔術の発展を担ってきた人たちだ。

 ゴードヴェル・イーヴァルディの名前は王族教育で知っている。

 しかしイーヴァルディ家の係累だろうと思っていたが、まさか当主本人だとは知らなかった。

 ちなみにゴードヴェルは宮廷魔術師第一席である。

 つまりこの国の実質最高位の魔術師なのだ。


 クレイグは少し意外なものを見る目で僕に視線をくれる。


「ハーマンダからは習わなかったか?」


「宮廷魔術師第一席ゴードヴェル・イーヴァルディの名前は覚えていましたが、まさかイーヴァルディ侯爵家の当主だというところまでは知りませんでした」


「そうか。まあそういう次第だ、覚えておくと良い」


 僕たちが話をしていると、研究室に少しやつれた感じのアイリンダが入ってきた。


「アイリンダ先輩。論文発表会への選出、おめでとうございます」


「……ありがとう」


 アイリンダは疲れたように告げて、自分の机に突っ伏した。


「どうしたんですか、先輩?」


「……みんなが、たくさんおめでとうって……言いに来た」


「人に囲まれて疲れたんですね」


「…………そう」


 クレイグが煙草を手にしながらアイリンダの横に立つ。


「まったく……貧弱なことだ。アイリンダ。論文発表会のための準備があるぞ。お前はしばらく忙しくなる」


「うう……」


「おいマシュー。そういうわけだから、お前はしばらく研究室に顔を出す必要はない。というか来ても相手をしている暇がない。アイリンダが王族の前で恥をかかないよう仕上げねばならんからな」


 クレイグは半眼で机に突っ伏しているアイリンダを見下ろした。

 アイリンダは人見知りするし恥ずかしがり屋だ。

 論文発表会は苦手分野だろう。


「分かりました。僕に手伝えることがあれば言ってください。図書館にいると思いますので」


「ああ」


 僕は研究室を出て、図書館に向かうことにした。


 廊下を歩きながら考える。

 僕の論文を持ち去ったというウルザの父ゴードヴェル・イーヴァルディ。

 宮廷魔術師第一席とは一体、どんな景色が見える肩書きなのだろうか。


 心の奥底にズシリと重いものがあるようだ。

 上手く言語化できない気持ちは、一体なんなのだろう。

 僕の論文を持ち去ったという男に興味と得体のしれない気味の悪さを覚えた。


 ◆


 第三章はここまでです。続きが気になる方はフォローと★を入れてくださると、作者のモチベーションが上がりますよ!!


 幕間の更新は明日12月2日とその翌週12月9日です。第四章は幕間の翌日である12月10日から毎日更新となります。


 またこれは宣伝になりますが、『異世界デバッガのベリーイージー冒険譚』というかつて小説家になろうで連載していた作品をカクヨムに少しずつ移動しています。というのも完結済みにしていたのですが、エピローグ後の続きを書きたくなったのです。

 過去分は基本的に0時と12時の1日2回更新となっております。

 一旦完結していたところまで続いた後、その後を描いた新規部分は毎日12時更新になるといった予定でいます。

 気が向いたらどうぞ、そちらも読んでみてください。

 https://kakuyomu.jp/works/16818093085680065578

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