61.さあ久々に読書の時間だ。

 ある日の放課後、遂に論文が完成した。

 最終確認としてクレイグに論文を通しで読んでもらい、問題ないかを見てもらう。


「……ふん。問題ないな。これで完成でいいなら、提出しておくが?」


「お願いします」


「分かった。では論文は預かろう。ご苦労だった」


「はい……」


 僕は力なく頷く。

 まったく今回の無茶振りには参った。

 裏がありそうな急な話だったとはいえ、もうこういうのは止めて欲しい。

 締め切りギリギリになって提出された論文は、僕から見ても雑なところが多いのだ。


 そしてアイリンダも論文を提出した。

 こちらは推敲に推敲を重ねてクオリティを高めたものだ。

 クレイグ監修のもとにそれをしているのだから、きっと凄い論文に仕上がっているはず。

 たしか表題は『記憶操作魔法の倫理と影響』だったか。

 提出前に読んだことがあるが、〈インプットメモリー〉を多用している僕としては耳に痛い内容だった。

 曰く記憶領域にアクセスし書き換えるのは自我の変更、つまりアイデンティティの書き換えに等しいという悪影響を倫理面から切り込んだ論文だった。


 ともあれ便利な道具を知ってしまうと、使わずにはいられないのが人というものだ。

 僕は記憶魔術をこれからも使い続けるだろう。

 しかし怖いな、記憶操作を行った僕と、行わなかった僕とでは別人のように変化しているということなのだから。


 ともあれ僕とアイリンダは軽くハイタッチを交わして、今日は早々に研究室をお暇することにした。




 寮へと帰るアイリンダとは途中で別れて、僕は久々に図書館に向かうことにした。

 目当ては閉架書庫にあった書物だ。

 教授であるクレイグの許可はないが、古文書のように繊細な扱いを要求されるような古文書ではないので、僕だけでも読む許可が下りると目論んでいる。


 カウンターに向かい司書のベラレッタに声をかけようとすると、先客がいることに気づいた。

 珍しいことにエドワルドが図書館に来ている。

 エドワルドも僕が図書館に入ってきたのに気づいて、眉を上げた。


「マシューか。論文の資料でも探しに来たか?」


「いや、実は論文はさっき提出したんだ」


「ふん。なるほどな、さすがは俺たちの学年首席だ。見事にクレイグ教授の期待に応えたわけだ」


「結果としてはそうだけど、今回のはかなり苦労させられたからね?」


「だが提出したのだろう」


「……かなり雑な出来だよ。推敲する時間がなくて締め切りの方が先に来たんだ。論文としては最低限の体裁を整えただけさ」


「ふん、どうだか。まあいい。ベラレッタに用事か? なら俺は退散するが」


 その言葉に僕は首を傾げた。


「あれ。エドワルドの方がベラレッタさんに用事があったんじゃないの?」


「いや。サンテール男爵家はヘイムダルの派閥でな。顔見知りだったので挨拶をしただけだ」


「サンテール男爵家?」


 僕が疑問を発すると、ベラレッタが「あ、私の実家です」と補足してくれた。


「エドワルドくんの母上は私の魔導院時代の先輩なんですよ。それでエドワルドくんのことも子供の頃から知っていて」


「…………」


 エドワルドが居心地の悪そうな顔になった。

 それにしても「エドワルドくん」ときたか。

 母親の後輩という話だが恐らくかなり親しかったのだろう、ヘイムダル侯爵家の令息をくん付けで呼ぶほどだ。

 僕の好奇の視線が気に触ったのか、エドワルドはぶっきらぼうに「とにかく俺は挨拶しに来ただけだ」と言い放って立ち去った。

 その背中を視線だけで追うベラレッタに、僕は声をかける。


「すみません、お邪魔してしまいましたね」


「いいんです、気にしないでください。エドワルドくんとは仲がよろしいのですか?」


「はい。一年生の男子ではトバイフとエドワルドしか友達がいません」


「そうでしたか。これからもエドワルドくんと仲良くしてあげてくださいね」


「もちろんです」


「それで、本日はどのようなご用でしょう?」


 僕は「閉架書庫にある書物でいくつか個人的に気になるものがあったので、もし可能なら読ませてもらえないでしょうか」と告げた。


「具体的な書物のタイトルは分かりますか?」


「ええと……」


 僕は〈サーチメモリー〉から閉架書庫にあった興味深かったタイトルを思い出し、羅列する。


「なるほど。その辺りでしたら問題ありません。禁帯出本なので持ち出しはできませんが、書庫で読む分には問題ありませんよ。ではご案内しますね」


「ありがとうございます」


 僕はベラレッタの先導で閉架書庫に案内された。

 相変わらず整頓はされているが、素人には本の並びが分かりづらい。

 ベラレッタが僕が口にした書物を取ってきてくれた。


「こちらで間違いなかったでしょうか?」


「はい、わざわざありがとうございます」


「いいえ。これも司書の仕事ですから。それでは私はカウンターにいますので。読み終えたら書架には戻さずにテーブルに置いておいてくださいね」


「分かりました」


 カウンターに戻るベラレッタを見送ってから、僕はテーブルに置かれた書物を一冊、手に取る。

 さあ久々に読書の時間だ。

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