60.僕は王族教育の一環で歴史教育も受けてきた。

 一年生には歴史の授業がある。

 二年生と三年生は戦史や戦術の授業があるのだが、その前提のようなものだ。

 ほとんどの貴族は家庭教師などから学んだ内容であるだろうが、平民も入学してくる魔導院では一年かけて王国史をしっかりとやる。

 僕は王族教育の一環で歴史教育も受けてきた。

 だから歴史の授業中はもっぱら読書の時間なのだが、この日は少々、授業の内容が気になって教師の声に耳を傾けていた。


 歴史の授業は自国の歴代の国王が為した政策や、偉人が残した功績を紹介しながら進んでいく。

 我がオルスト王国は大陸でも最大の領土を誇る大国である。

 北は大陸の北端、南は大陸の南端までを領土にしており、気候は南北で大きく異なるため、国内で得られる産物は土地土地のものだけでも多彩だ。

 そのオルスト王国の両側を占める隣国こそが、西の敵国グレアート王国と東の友好国ユナ王国である。


 グレアート王国について簡単に説明すれば、大陸の西端を支配する海洋国家だ。

 国土の西側が沿岸地域となっており、陸路ではなく海運による国内貿易が盛んである。

 ただし国土の東側は我がオルスト王国と接しており、常に領土的野心を伺わせていた。

 国土の多くを海と接しているため、国の規模に対して農地が足りないのである。

 故に内陸部を広げたいグレアート王国は、必然的に隣接するオルスト王国から奪うしかないのだ。

 両国の歴史は血に彩られており、度々歴史上において戦争が起こっているのはそのせいである。


 反対側のユナ王国も大きい。

 大陸の中央部に位置するユナ王国も大陸北端と南端までを支配する縦長の国土を持っており、東西の幅こそ我が国より狭いが大陸中を見渡しても大国の規模だ。

 ただしこの国のさらに東を見ると、北東にメレディ王国があり南東にはヴァロワ王国というユナ王国と歴史的に戦い続けてきたふたつの敵国と接している。

 この二国は互いに狭い領土を広げるために幾度となくユナ王国に攻め入って来ているのだ。

 僕の母が我がオルスト王国に避難してきていたのも、この両国との激しい戦争から逃れるためだった。


 ちなみにメレディ王国とヴァロワ王国が東ではなく西に領土を広げたい理由は明白だ。


 この両国のさらに東には亜人種の王国が広がっているからである。

 亜人種の王国は、まとめてひとつの国家として扱っているけれど、各種族ごとの集落がだだっ広い森や平原に点在しており、国としてのまとまりに欠けているのが特徴だ。

 それでもひとつの王国として扱われているのは、大陸の奥地にある獣王族の王が持つ圧倒的武力が理由だろう。

 過去、メレディ王国やヴァロワ王国が亜人種の王国の領土を狙わなかったわけはない。

 しかし領土を侵し、一時的にいくつかの集落などを手中に収めることはできても、それを奪い返されないように維持することは不可能だった。

 亜人種同士の絆は深く、例え種族が異なっていても一度、窮地に陥ったとあらば獣王族を始めとする戦闘の得意な種族が立ち上がる。

 精強な亜人種は魔術の行使こそ苦手としているものの、無属性の身体強化魔術だけは得意としており、またそれがなくとも人間より遥かに優れた身体能力を持っているのだ。

 戦士としてはただただ脅威なのである。


 このような大陸の情勢を僕は王族として学ばされた。

 高位貴族も同様の内容を学んでいるだろうし、文官を志望する貴族ならばやはり爵位が低くともこのくらいは常識だ。


 それぞれの国が自国の繁栄を願うならば、領土を奪うか守るかして衝突するしかない。

 そこには正義も悪もなく、ただただ外交と国内政策の延長線上に戦争という手段があるに過ぎない。


 だが今日の歴史の授業は少しだけ、毛色が違った。

 グレアート王国がまるで野心を持つ悪者が如く扱われ、我がオルスト王国の平穏を悪意をもって侵そうとしている、そんな風な内容を教師が語っていたのだ。

 僕は読書をするフリをしながら、書物に視線を落としてその授業を聞いていたが、王族教育で習った内容とは異なる一方的な見方に胸焼けしそうだった。


 ……これはいよいよ戦争を見据えて愛国教育を始めたということかな。


 戦端を切るグレアート王国は悪、攻められる我が王国は正義、そんな単純な二元論で語れるものではないのだけど。

 誰の指示だろうか、そんなことを考えて授業の時間を過ごしていた。




「今日の歴史の授業、聞いていた人いる?」


 昼食の席。

 声を少し抑え気味にしたトバイフの質問に、他の侯爵家の3人はそれぞれ異なる反応を見せた。

 エドワルドは小さく舌打ちしながら面倒な話題を振るなと言わんばかりに視線をテーブルから外す。

 ウルザは「もちろん聞いていたわ」と答えるも、内心を伺わせない満面の笑みを顔に貼り付けている。

 ジュリィも笑顔だが、こちらは「何か面白いお話でもありました?」と首を傾げて見せた。

 ちなみにアガサは給仕をしてから同席しているが、一応まだ侍女モードのようで口を開かない。


 僕は皆の反応を見てから「今日の歴史の授業は少し偏りがあったね」と返した。


「そう、そうなんだよ。ふと耳に入ってきた内容がちょっと変な流れだな、と思って聞いていたんだけど……」


 トバイフは言葉を選ばずに「まるで戦時中のプロパガンダみたいだなって」と言った。


「そうね、私も同じ印象を受けたわ」


 ウルザがトバイフに同意する。

 笑顔だが目が笑っていないのが怖い。


「まあ、そうだったの? 気づきませんでしたわ」


 頬に手を当てておっとりと応えたのはジュリィだ。

 とぼけているのか、本当に聞いていないのか、分からない反応だ。


「どうでもいいが、とりあえず食事を始めないか」


 エドワルドが話題を切りたがっている、ように見える。

 ともあれ「そうだね、食事が冷めちゃうか」とトバイフは気にせずに「食事を始めよう」と自ら振った話題を一旦、棚上げする。


 食事中とて会話はできる。

 しかし今日の皆は口数がいつもより少なく感じられた。


 食後にお茶を飲み、昼食休憩は終わる。

 結局、トバイフは話題を蒸し返さなかった。

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