57.僕も休憩するかな。
友人たちが誤解したまま放課後になった。
僕とイスリスがいずれ婚約者になるという話は、確かに事情を知らない人からすればしっくりくる設定らしく、どれだけ否定しても取り合って貰えなかった。
ジュリィだけは僕の事情を知っているはずなのだが、難しい顔で黙りこくっていたから下手にフォローもできないくらいに信憑性のある話だったのだろう。
ともあれ僕は論文の完成を急がなければならないので、クレイグの研究室に向かわなければならない。
トバイフとエドワルドに挨拶をしてから、僕は教室を出る。
女子3人は授業が終わると早々に帰ってしまったので声をかけそびれた。
誤解されたままなのは気分が良くないものの何を言っても聞き入れられないので、挨拶をするだけになるのだが。
教室を出たところで専属侍女のカーレアと近侍のユーリとルカと合流する。
カーレアが持っている鞄には昨日、写し終えた古文書が入っている。
今日からは研究室で古代魔法文明語の解読作業だ。
と言っても解読はソフィアに任せればいいので、楽なものだけど。
研究室に入ると、クレイグが目の下に隈を作って煙草を吹かしていた。
この香りは薬草を刻んだクレイグ特製の眠気覚ましだろう。
どうやら昨晩は徹夜したらしく、気だるげにしている。
「クレイグ教授、昨日で古文書の写しが完成したので、今日から解読するんですが」
「そうか。順調そうで何よりだ」
「はい。それで……僕のギフトをアイリンダ先輩に見られることになるわけですが、問題ありませんか?」
「ない。アイリンダが見たものを吹聴するようなことはないだろうから、気にせずに作業を進めろ」
「そ、そうですか。分かりました」
僕はカーレアから鞄を受け取って、古文書の写しを机に置く。
そして現代語訳を書き留めるための紙を用意してから、ソフィアを召喚した。
「む、ここは……魔導院か? そういえば昨晩、聞いていたな。古文書解読をするのだったか」
「うん。ソフィアが頼りだから、よろしく頼むよ」
「任せておけ」
机の上に陣取るソフィア。
表題から訳してもらおうとソフィアの前に表紙の写しを差し出したところで、研究室にアイリンダが入ってきた。
「……こんにちは」
か細い声で僕に挨拶をしてから、僕の机の上のソフィアに目を留めて固まる。
口を小さく開けて目を真ん丸にして、「……猫?」と呟いた。
アイリンダはソフィアをジッと見つめて入り口から動かない。
彼女のことは未だ掴みどころがないので、行動の意味を図りかねる。
とりあえずソフィアのことを紹介することにした。
「アイリンダ先輩、この子は僕の相棒のソフィアといいます。研究室でちょくちょく見かけると思うので、覚えておいてください」
「……猫ちゃん、ソフィア。覚える」
「うむ、よしなにな」
ソフィアがアイリンダに声をかける。
するとアイリンダは「…………え」と声を漏らしてヒュゥと息を吸って固まった。
いきなり猫が喋ったので驚いたのだろうか、と思い僕は説明することにする。
「ソフィアは僕のギフトで契約した聖獣なんです。僕たち人間より賢いので当然、言葉も使います」
「……聖獣? え、猫の……聖獣?」
「そうです」
「…………はぅ」
いきなり自分の机のもとへと走り、アイリンダはカタカタと震えながら自分の論文を広げて執筆の続きを始めた。
相変わらずよく分からない人だ。
「アイリンダ先輩、大丈夫かな?」
「大丈夫じゃろう。儂はあの娘に同情する」
「え? ソフィアはアイリンダ先輩のことを知っているの?」
「無論。ところで最初に訳すのはこのページでいいのか?」
「あ、うん。お願い」
露骨に話題を逸らされた。
ソフィアが敢えて僕に伝えなかったということは、伝える気がないということの証である。
質問し直しても答えてくれないだろうから、とりあえず論文の準備を進めよう。
「むむ……喉が渇いた。マシュー、何かないか」
「ああ、喋りっぱなしだからね。ええと……」
僕は魔術で水でも出そうかとしていると、カーレアが「マシュー様。もしよろしければこちらでミルクをご用意しております」と声をかけてきた。
さすがカーレア、準備がいい。
「ソフィア、ミルクでいいかい?」
「うむ。苦しゅうない」
「じゃあカーレア、ソフィアにミルクを頼むよ」
カーレアは「かしこまりました」と言って、鞄から保温の付与がなされた容器を取り出し、平皿にミルクを注いだ。
甘い香りが漂う。
ソフィアはミルクをのんびりと舐めながら休憩に入った。
……僕も休憩するかな。
「カーレア、悪いんだけど僕にもお茶か何かを用意してもらえるかな?」
「はい。マシュー様」
カーレアは鞄から茶器を取り出してお茶の準備をする。
ちなみにカーレアの鞄には【時空魔法】の収納魔術が付与されており、容量が拡張されている便利なものだ。
俗に収納バッグなどと呼ばれる魔法具であり、購入しようとするともの凄いお高いらしい。
もちろん僕が付与して作成したのだが、僕が【時空魔法】を持っていることは今のところ秘密なので、アレクシス家の所有物ということになっている。
カーレアがお茶を用意した頃には、ソフィアがミルクを舐め終わっていた。
お茶菓子のクッキーに視線をやっているので、「食べる?」と問うとソフィアは「ミルクの皿にひとつ置いてくれ」と応えた。
言われた通りにすると、ちびちびと齧り始める。
のんびりした空気に浸っていると突然、アイリンダが立ち上がり、僕の傍に立った。
「アイリンダ先輩?」
「…………私のギフトも見せる」
「え?」
僕が疑問を発するも、アイリンダは覚悟の決まった目で鼻息荒く「……見てて」と告げた。
すると恐るべき速さでアイリンダの顔が変わっていく。
否、顔だけでなく全身の体格も変貌していく。
そして制服はそのままに、目の前にはウルザが立っていた。
「え、なんでウルザが……いやウルザになった?」
「…………これが私のギフト【変装】」
声までもウルザに酷似している。
しかしどこか全体的に、身近にウルザを見知っている僕としては違和感を覚えなくもない。
僕が面食らっていると、ソフィアが半眼で口を開く。
「【変装】のギフトはその名の通り、使い手が思い描く人物の顔と体格を無理ない範囲で再現するギフトでな、声ももちろん似せることができる。だがあくまで変装の域を出ない。自分の思い描くイメージに依拠するが故に、現実の人物と同じかどうかはその人物にどれだけ触れ合ってきたかに依存する」
「そうか、それで。僕の知っているウルザとどこか少し違うという印象を受けたのは、アイリンダ先輩の持つウルザのイメージと僕が持つウルザのイメージがズレていたためなんだね」
「そういうことじゃな」
ウルザに変装したアイリンダも小さく頷く。
そしてギフトの【変装】を解き、もとの姿に戻った。
僕は「なぜ急にギフトを見せてくれたんですか?」とアイリンダに問うた。
「……私だけ、知っているの、不公平」
「ああ、僕のギフトを知ってしまったから、自分のギフトを見せてくれた、ということですか?」
「……そう」
「なるほど。気にしなくても良かったのに。ギフトは研究室でしか使うつもりはないので。アイリンダ先輩は僕のギフトを他人に喋るような人じゃないですよね」
「…………だけど」
「いえ。でも嬉しいです。先輩が真面目な人で。僕もアイリンダ先輩のギフトを他人に吹聴するようなことはしませんから。あまり気にしないでください」
「…………あ、それは。分かっている、つもりだから」
か細い声で告げたアイリンダが視線を外して恥ずかしそうに言った。
その後、アイリンダにもお茶を勧めて一緒に休憩をとった。
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