第三章 論文査読会

54.さすがに僕にも無理なことはあると思います。

 夏の盛りを越えて、少しずつ涼しくなっていくようになったこの頃。

 特に何の変哲もない日々の積み重ねを経て、僕は魔術の腕を磨いていた。

 クレイグの指導は的確だが、彼が求める水準は極めて高いため苦労させられる。

 ただその分だけ課題を達成した際には魔法系スキルのレベルが上がったりして、着実に成長を実感できるのだった。


 魔法大祭以降、変わったことがあるとするならば、図書館通いが減ったことだろう。

 トバイフには悪いが、概ね興味ある書物を読み終えたため、今は得た知識を実践していくことに興味が移ったのである。

 そしてそれを読んでいたかのように、クレイグの研究室に度々、呼び出しを受けるようになっていた。

 研究室では主に【錬金術】の助手として様々な薬剤の配合をやらされたり、薬液への【付与魔法】による変質させた素材の準備、道具類の整備や素材の買い足しなどの雑用を含む様々なことを経験させられていた。


 夏の始めの頃には冷却魔術〈クールダウン〉を付与した護符の作成という仕事を貰ってきて、僕の【付与魔法】のレベル上げをさせられた。

 護符、と言っても付与対象は宝飾品であり、貴族が装身具として身につけてもおかしくない高級路線のものだったため、付与に求められる水準は厳しくて、出来の甘いものは納品前のチェックでクレイグに〈ディスペル〉されて付与のやり直しをさせられる。

 お陰であまり使う機会のないはずの【付与魔法】のスキルレベルが上昇したし、仕事代が出たため僕は自由に使えるお小遣いをも得たのだった。


 アレクシス家の世話になっているという体なので、僕自身に必要な出費はクレイグがすべて支払っている。

 もちろん王家から秘密裏にアレクシス家に僕の養育費が出ているのでクレイグに負担はないのだが、問題としては僕が自由に使えるお小遣いというものがなかった点である。

 それがこの仕事以降、【付与魔法】を使った仕事をクレイグがたまに取ってきて、与えてくれるようになったことで改善したのだ。


 これは個人的には嬉しい。

 成長期の身体はどうしても食事以外に間食を欲するので、それを自分のお小遣いで賄うことができるようになったのが嬉しく、また友人たちと一緒にする買い食いは楽しいものだった。


 僕が平民であり自由に使えるお小遣いがなかったため、友人たちは今まで休日に遊びに誘うことを遠慮していたらしく、収入源を得てからは月に1度くらいの頻度で遊びに誘われるようになった。

 アガサは侍女見習いだが、頑張って【生活魔法】を伸ばした結果、お給金を貰えるようになっており、僕同様にお小遣いを得られるようになっていた。

 だからいつもの面子で遊びに出かけることができるようになったのだ。


 田舎育ちの僕とアガサには王都は珍しいものが多く、侯爵家の4人に連れられて王都の様々な場所を観光することができた。

 侯爵家の4人はこのようなときには質素な服装に着替えて身分を隠して、庶民の生活を体験して見識を広げるのだそうだ。


 ちなみに遊びの誘いが月に1回程度というのは、別にそれ以外の休日の遊びに誘われていないわけではない。

 皆、魔術の自己鍛錬のために休日を使いたいので、その息抜きが月に1回程度というだけだ。


 闘技大会で僕が優勝したことで、一年生は皆、魔術の自己鍛錬を怠らない近年稀に見る真面目な学年となっていた。

 四侯爵家の関係者が揃っていることも大きいだろう。

 魔術師として城に務めるならば、四侯爵家いずれかの派閥に入る方が便利らしい。

 だから日常的に話しかけてくる者はほぼ皆無だが、実技の授業などでは実力をアピールしている者たちは少なくないのだ。




「論文査読会が近い。マシュー、何かひとつ用意して提出するように」


「はい?」


 僕はクレイグの研究室で唐突に言われた内容に思わず聞き返すように疑問の声をあげた。

 いやだって論文査読会は魔法大祭と並ぶ魔導院の二大イベントのひとつだが、一年生が参加するようなものではないからだ。

 あれは魔導院の三年間を費やした上で、教師や教授の弟子が提出するハイレベルなものであり、教授への数少ない道筋として設けられている。

 一年生がいくら首席とはいえ、ヒョイと論文を用意して参加できるようなものではないのだ。


 クレイグの弟子であるアイリンダが小さく口を開いて、哀れなものを見るような視線をこちらに寄越す。

 三年生のアイリンダはもちろん論文査読会のためにせっせと論文を用意してきている。

 途中途中でクレイグに助言を仰ぎながら、着実に仕上げていっているのを横目にしていた。

 というか本来、そういう進め方をして用意する論文を、わざわざ提出期限が近づいてから出せと言われても出せるわけがないのだ。


 さしもの僕としても今回の無茶振りはさすがにどうにもならないだろう。

 王族として恥ずかしくない実績作りとして魔法大祭であれだけ活躍し、普段も一年生の首席として座学・実技で他者を寄せ付けない実力を見せているのだ。

 締め切りの近い中で論文を捻り出すような能力まではさすがにないぞ。


「クレイグ教授、さすがに僕にも無理なことはあると思います」


「ふむ、確かに無理なことはあるだろう。だが論文提出は無理なことではないだろう?」


「いや、無理でしょうよ。アイリンダ先輩の顔を見てくださいよ。何を言っているんだこの教授って顔してますよ?」


 いきなり名指しされてびっくりしたアイリンダ先輩が顔を両手で隠した。

 指の隙間をちょっとだけ開けて僕とクレイグに視線を彷徨わせている。


 クレイグは「ほらいきなりお前が名前を呼ぶからアイリンダが挙動不審になっているぞ」と言った。


「マシュー。俺は一年生のときから論文査読会に論文を提出してきた。できないことはない、やれ」


「……いや、クレイグ教授。締め切りが迫っている中、何の準備もしていない僕に同じことを求められても困ります。せめて論文を提出させる気ならもっと早くから準備をさせてください」


「お前にそんな時間はないだろう? どうせ屋敷に戻ってからも訓練や課題があるのだから、短期間で仕上げろ。論文なんぞ内容が新しくて正しければ多少、雑でも通る」


「その目新しいお題目を探す時間と、それが正しいことを検証する時間が必要だと言っているんです」


「そんなもの、お前のギフトがあればなんとでもなるだろう?」


「…………はい?」


 クレイグは僕にギフトを使えと言っているのか?

 いや確かに聖獣ソフィアならば世間で知られていない魔術理論のひとつふたつ、知っていてもおかしくはない。

 しかしソフィアの知識の元ネタは、この世のあらゆる猫から得た情報だ。

 当然、その中には亜人種の王国の王族や重鎮だのが混じっているわけで。

 他国の国家機密を無断で借用してくるのは危険ではないだろうか?


 ギフトと聞こえてきたので、聞いてはマズいと判断したアイリンダが両手を使って自分の耳を塞いでいる。

 アイリンダは素直で真面目な性格をしているので、許可されてもいないのに僕たちの会話を聞いて僕のギフトを知ってしまうことを良しとしない。


「……クレイグ教授。ソフィアの知識は危険ですよ?」


「たまたま遠方で見つかった新しい理論をお前が同時期に発見するだけだ。危険はない。そろそろ自分のギフトを有効活用してみろ。あの猫の王の力はお前の実力の内なのだからな」


 言いたいことを言い終えたと言わんばかりに、クレイグは踵を返して自分の机に戻る。

 僕は長い長い溜め息をついた。

 会話が終わったのを見て取ったアイリンダは、耳から手をどけて、胸の前で両手を所在なく彷徨わせながら近寄って来る。


「…………がんばって」


 グッと両拳を作って上下させる。

 そしてそれだけ言うと、素早く自分の机に戻っていった。


 どうやらこの研究室に僕の味方はいないようだ。

 仕方がない、ソフィアに相談してみるか。

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