ウルザ・イーヴァルディ

 魔法大祭が終わり、夏が本格的に近づいてきた。

 王都の夏は暑いが、カラッとした気候なので汗をかいてもすぐに蒸発する。

 ともあれ女子にとって汗の臭いは気になるもの。

 だから好き好んで汗をかきたくはない女子、そして単純に暑さから男子も、魔導院では生活魔法の冷却魔術〈クールダウン〉の付与された護符を制服のポケットに入れるのが慣習となっていた。


 ちなみに魔導院の制服に季節の別はない。

 真夏でも丈の短いマントを羽織り、制服は生地の厚い長袖である。

 これは卒業後に城に務めることになる者の多い魔導院の生徒たちにとって、常に整った格好を強いられる環境に準じて敢えて夏用の制服を用意していないというもっともらしい理由があるのだ。

 ただしこの理由には諸説あり、季節ごとに制服を揃えることが財政的に難しい下級貴族や平民のために制服を分けなかった、という理由もあるのではないかと目されていた。

 閑話休題。


 さて〈クールダウン〉の付与された護符だが、これは王都の魔法具店で売られている。

 魔法具店には様々な魔法の道具が売られており、夏になれば件の〈クールダウン〉の護符が飛ぶように売れる。

 もちろん【付与魔法】のスキルを持った職人は数が多くはないから護符の値段は少々お高いのだが、それでも涼を金で賄えるならと購入する者は多い。

 貴族ならずともちょっと背伸びをすれば買える値段設定のものもあるし、一年で壊れるものでもないため、王都の民も購入していくのだ。


 魔法具店は王都に幾つかあるが、ここ貴族街にある『神秘の秘術工房』は格式において最高級とされている。

 その魔法具店の前に貴族の紋章が入った馬車が一台、停まった。

 紋章はイーヴァルディ侯爵家のものだ。

 騎士数名が周囲を徒歩で追随していることから、複数の貴人が乗り合わせているのだろうことが伺われる。

 実際、この馬車にはイーヴァルディ侯爵家のウルザの他に、ヘルモード侯爵家のジュリィも乗り合わせていた。


 時刻は魔導院の授業が終わった後だ。

 彼女たちは授業が終わった後、連れ立って魔法具店で〈クールダウン〉の護符を購入するべくやって来た。

 ただし馬車二台で来るにはいかにも邪魔なので、イーヴァルディ家の馬車に乗り合わせて来たのである。


 護衛騎士が扉を開けると、3人の魔導院の制服を纏った女子生徒が降り立った。

 ウルザ・イーヴァルディ、ジュリィ・ヘルモード、そしてアガサだ。

 3人は馬車内から雑談に花を咲かせながら、そのまま魔法具店『神秘の秘術工房』に入った。

 魔法具店の中はよく冷却の生活魔法が効いており、熱の籠もった制服を来ていた3人は思わず「涼しい」と声を揃えて言った。


「ようこそおいでなさいました、お嬢様方。何かお求めの品がおありでしょうか。差し支えなければ私に案内をさせて頂ければと思います」


 自然に歩み寄るのは女性店員のひとりだ。

 ウルザは割とこの店に来ることがあるので、店員の顔には覚えがあった。


「〈クールダウン〉の護符は取り扱いがあるかしら?」


 その言葉に店員は一瞬、身を固くした。

 そして深々と頭を下げる。


「申し訳ありません。実はすべて売れてしまいまして、入荷を待っているところなのです」


 3人は顔を見合わせた。

 どうやら出遅れてしまったらしい。


 ジュリィは「ひとつもないのですか?」と問うたが、高価な宝飾品に付与した護符すらも軒並み、売れていったというから本当にないのだろう。


「残念ね、他の店を当たりましょうか」


「こればかりは仕方がないですわね」


 3人の少女たちが店を出ようとしたところ、店員が「あの!」と勇気を振り絞って声を発した。


「本日のこの時間に入荷される予定があります。もしお時間にご都合がつくようでしたら、ゆっくりと店内を見て回りお待ちいただくこともできますが」


「あらそう? どうしようかしら」


「入荷してすぐなら選び放題ということでしょう? どうせ時間はあるのだし、待ってみてはいかが?」


 迷うウルザにジュリィが提案する。

 選び放題、という言葉にウルザは魅力を感じた。


「悪くないわね。そうしましょうか。アガサもそれでいい?」


「はい。ウルザ様とジュリィ様がお決めになられたことでしたら」


「……友人として来ているのだから、そんなに固くならないでもいいのに」


 ウルザは苦い顔になりつつも、店員に「じゃあ待たせてもらうわ」と告げた。




 アガサは魔法具店は初めてだったので、見たことのない魔法具をウルザとジュリィに解説されながら、30分ほど店内を見て回ったところで、店に入ってくる者が現れた。

 魔導院の制服を来た少年は「ご注文の品をお届けに参りました」と告げる。

 どうやら〈クールダウン〉の護符が入荷したらしいが、3人は聞いたことのある声に思わず店の入り口に視線を向けた。

 護符を届けに来たのは、同じ一年生のマシューだった。


「マシュー?」


 思わずアガサが少年の名を呟く。

 店内に視線をやったマシューは「やあ。ウルザたちはお買い物?」となんでもないことのように口を開く。


 ウルザは困惑を隠さずに「どうしてマシューがここに?」と問うた。

 マシューは自分の専属侍女と護衛騎士たちに運ばせていた箱を店に引き渡しつつ「クレイグ教授に頼まれて〈クールダウン〉の付与された護符を納品に来たんだ」と言った。


 ウルザは首を傾げる。

 クレイグ教授のことはもちろん知っているが、彼が何故、〈クールダウン〉の護符を『神秘の秘術工房』に納品するのか因果関係がまったく分からなかった。

 ウルザの認識ではクレイグは魔術全般に目のない教授であり、研究に没頭しがちで他のこと一切を些事と切り捨てている節があることも知っている。

 だから、かの教授が〈クールダウン〉の護符を作成して納品するという現実に理解が結びつかない。


 ジュリィもそれは同じことだった。

 師匠であるクレイグの言いつけならば、将来の王族であるマシューでも使いっ走りのようなことをさせられることは理解できる。

 だがその内容が結びつかない。

 〈クールダウン〉の護符をクレイグがマシューを使ってこの店に納品するという脈絡のなさに、思考がまとまらない。


 だから言葉に詰まっているふたりに対して、素直に何も知らないアガサが問う。


「クレイグ教授が護符を作って、マシューに運ばせたの?」


 その問いには即座に否定が返ってきた。


「いや。護符は僕が作ったんだ。教授には仕事を紹介してもらっただけで」


「マシューが? 護符を作ったって……【付与魔法】のスキルを持っているの?!」


「うん。一応ね」


 納品された品々は複数の店員たちにより鑑定の魔法具で速やかにチェックされ、マシューは受け渡し証にサインを貰う。


 素早く店頭に見やすさを優先して並べられる護符たち。

 最初にウルザたちに声をかけた店員が、「大変お待たせしました。〈クールダウン〉の護符が入荷いたしました」と告げる。


 その言葉にマシューが「あれ、みんな護符を買いに来ていたんだ?」と言った。


 ウルザは腕組みをして「マシュー、あなた【付与魔法】が使えるなんて聞いていないわよ。というかこの店に卸せるレベルだということよね?」と詰め寄った。

 マシューは「え? まあ……」と煮えきらない答えでウルザに応じる。


「どちらかと言えば、僕は【付与魔法】より【生活魔法】が得意でね。そちらの方で品質を上げているかな」


「ふうん」


 ウルザは配布された今年の闘技大会戦闘記録の冊子で、トバイフの〈ダイヤモンドダスト〉を【生活魔法】の〈ヒートアップ〉で無効化したという無茶な内容を思い出していた。

 なるほど、目の前の少年は【生活魔法】に並々ならぬ自信があると見える。

 そういえば二年前の初対面のとき、彼はステータスがまだなのに〈クレンリネス〉を習得していたのだったな、と思い出した。


 マシューはジト目になっているウルザが無茶を言い出さないうちに店を出ようとした。


「それじゃ3人は買い物を楽しんで。僕はもう帰るから」


「あら、帰ってしまわれるの? せっかくだからマシューくん、私たちに護符を見繕ってくださらない?」


 無茶はウルザではなくジュリィから来た。

 この店の〈クールダウン〉の護符は宝石をあしらったアクセサリに付与がなされているため、貴族の装飾品の延長線上にある。

 つまりジュリィは自分たちにアクセサリを見たてろと言っているわけだ。

 マシューとしてはできれば面倒事は避けたいな、と思い逃げ道を探る。


「ええと……自分で好きなのを選ぶ方がいいと思うけど。今なら選びたい放題だろうし」


「それはそれ。折角だしマシューくんに選んで欲しいです」


 ジュリィに逃げ道を潰された。

 アガサにも「私、魔法具のことはよく分からないから、マシューが選んでくれると助かるんだけど……」とさらに追い打ちをかけられる。

 救いを求めてウルザに視線を向けると、腕組みをしたウルザが「いいんじゃない? 制作者であるマシューが私たちにお似合いの護符を選んでくれるなんて素敵ね」と笑顔で言われた。


 3人に言われたらもう逃げる道はない。

 一応、王族教育で女性の装飾品の見立ては習っているから、酷いことにはならないだろう。

 運がなかったなあ、と内心で思いながら、マシューは店頭に並べられた護符から学生がつけて不自然でない値段帯のものを選び、髪や瞳の色などを参考にアクセサリ選びを始めるのだった。


 ◆


 第三章は明日11月23日から毎日更新です。

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