幕間

アガサ

「あなたはどうするの、アガサ」


「え? ええと……寮に戻りますけど」


 入学式の後の教室。

 ポツリポツリと学生たちが席を立ったそのとき、ウルザ様は席を立ちながらそう問いました。

 ウルザ様に問われた私は、ようやく侯爵家のふたりから解放される!! と内心で喜びました。

 しかし糠喜びだと知るのはこの直後でしたが。


「私はアガサちゃんに話があるから、ちょっと時間を貰えるかな?」


「え? は、はい」


 ジュリィ様が私に話?

 一体、どんな話だろうか。


 ウルザ様は「そう。なら私は先に帰るから」と立ち上がり、従者たちの方へ向かいます。

 ジュリィ様も「さあアガサちゃん、私たちも場所を変えましょう」と言われました。

 ふたりと一緒に教室を出て、ウルザ様はそのまま従者の方々と合流して「それじゃ、また明日」と告げて帰ってしまいました。

 ジュリィ様も従者と合流し、しかし私の腕を取ってどこかへ移動するつもりのようです。




 講堂の裏は人気がなく、密談をするのにうってつけのようです。

 オマケにジュリィ様の侍女と護衛騎士らが人が来ないよう見張らされているので、何かあっても助けに来てくれる人は来ないということです。

 私は貴族が怖い。

 例外は私の後援者であるラステッド男爵とその一家だけ。

 あの人たちは根が良い人たちだと分かっているだけに、怖さはありません。

 しかしそのラステッド男爵から耳にタコが出来るほど聞かされてきたのは、「上級貴族にだけは逆らってはいけないよ」という言葉でした。


 曰く、上級貴族の機嫌を損ねたら個人的な報復だけでは済まない、一族郎党に至るまで報復対象となるのだとか。

 曰く、関係が決裂した上級貴族との間の交易がストップして、領地の経済が滅茶苦茶になって治安が悪化したところが実際にあるのだとか。

 ともかく強大な権力を持つ上級貴族に逆らってはならない、そう言われてきました。


 だからジュリィ様とこのような形で密談するような状況は避けたかったのですが。

 一体、ジュリィ様は何をお話になるのでしょう?


 ジュリィ様は眼鏡のツルを直して、何気なく口を開きました。


「アガサちゃんはマシューくんのことが好きなの?」


「え?」


 それは意外といえば意外な質問でした。

 村では周知の事実でしたから、敢えて私がマシューのことを好きか、だなんて誰も聞いてこなかったからです。

 私は頬が熱を帯びるのを自覚しながら、正直に答えました。


「はい。私は、マシューのことが好きです」


「そっかそっか」


 ジュリィ様はニッコリと微笑み、そして言いました。


「諦めなさい」


「…………え?」


 それは耳を疑う程に温かな笑顔からは程遠い斬りつけるような冷たい言葉でした。

 私の持つほのかに淡い恋心に冷水を浴びせたのです。


「な、なんでそんなこと……」


「身分違いなのよ。マシューくんとアガサちゃんは」


「え? でもマシューはいくら伯爵家の後援があると言っても、平民ですよね?」


 ゆるゆると首を横に振って、幼子に言い聞かせるようにジュリィ様は告げます。


「マシューくんは七属性でしょう? それは侯爵家直系に等しい属性数なの。将来はどこかの貴族家の養子になるか、婿入りすることになるでしょうね」


「……そんなことは」


 でも確かに。

 マシューは入試の実技試験で七属性の魔術を操ったという噂を聞いています。

 いえジュリィ様がハッキリと七属性だと仰った以上、噂ではなく事実なのでしょう。

 ならば、私の手が届かないところにマシューが行ってしまう可能性は十分にあります。


「……でもマシューは、きっと私のことを好きで」


「2年も会っていなかったのでしょう? 本当にマシューくんはアガサちゃんのことを今でも好きでいてくれるのかな?」


「…………っ」


「まあ仮にマシューくんがアガサちゃんを好きだとしても、マシューくんにはどうすることもできないけどね」


「そ、それはどういう――」


「だって平民のマシューくんが貴族家への養子縁組を断れる? 貴族家への婿入りを拒める? 無理でしょう?」


「……そんな」


 そうです。

 マシューも平民、ならば貴族に逆らえないのは当然の道理。

 ジュリィ様はそっと耳元で囁きます。


「もしアガサちゃんがマシューくんのことをどうしても諦められないなら、ひとつ覚悟を決めるしかないね」


「……覚悟、ですか?」


「そう。マシューくんの侍女になって、傍に居続けるという覚悟」


「私が侍女に?」


「そうすれば、ずっとマシューくんの傍にいられるでしょうね。それ以外にはマシューくんとお別れする以外の道はないかなあ」


 私の心は震えました。

 マシューの侍女になる。

 マシューが誰か他の女の子と結婚しても、私はマシューくんの侍女としてお側に仕える?

 そんな状況に、私は耐えられるの?


 パッと身を離したジュリィ様が「やっぱり無理だよねえ?」と困ったように微笑みました。


 無理でしょうか。

 私は領主様のところで2年、王都の魔導院に入るために一生懸命に勉強しました。

 それは将来、領主様のところへ戻ってお仕えするためでしたが、本当は心の中ではマシューと再会するためだったのです。

 王都の魔導院に行けばマシューに会える、きっと魔術が大好きなマシューなら、魔導院に入学してくる。

 例えマシューが魔導院に入学してこなくても、きっと魔術に関わっていればどこかで道が交わる、そう信じていました。


 私は怯える心を無理やりに奮い立たせて、視線を上げました。


「もしもマシューが望んでくれるなら、私は侍女にだってなります。私はマシューのためなら、なんでもできます」


「…………そう」


 ジュリィ様の笑顔が消えました。

 機嫌を損ねたでしょうか。

 知らず、膝がガクガクと震えだします。


 でもジュリィ様は再び微笑みを浮かべて、「そこまで言うなら、ウチで鍛えてあげるけど、どうする?」と言いました。


「ウチで鍛える?」


「そう。ヘルモード家で侍女見習いとして、侍女の勉強をさせてあげる。どう、かな?」


「……なんで、そんなことを私にしてくださるんでしょうか?」


「将来のマシューくんのためになるからだよ」


「将来の? どういう意味――」


「私ね、マシューくんの元へ嫁ぐ気でいるの」


 何を言ったのか、意味が分かりませんでした。

 四侯爵家のお嬢様であるジュリィ様が、マシューと?

 いいえ、だってそんなはずはありません。


「そんな。ジュリィ様はご自分で仰ったじゃないですか。マシューは貴族家へ養子になるか、婿入りするって。ジュリィ様が平民のマシューに嫁入りすることはできないのでは?」


「そうでもないよ。マシューくんを一旦、どこかの貴族家に養子として入ってもらってから、私がそこへ嫁入りすればいいだけだし。いくらでもやりようはあるってこと」


 ザワザワと心がささくれ立つのを感じました。

 この人は、決してマシューと結ばれることのない私を憐れんでいるのでしょうか。

 だからあんな提案を?


「……本気で、マシューのことを好きなんですか、ジュリィ様は?」


「え? 違う違う。私の場合はただの政略結婚みたいなもの。七属性のマシューくんをヘルモード家が繋がりを持ちたいだけ。だから、マシューくんの心を繋ぎ止められる侍女がいると便利だなって思ったの」


「どういう意味、でしょう……?」


「私とマシューくんの間に愛情はないから、結婚はできても楽しいものにはならないの。でもマシューくんが好きなアガサちゃんが侍女としてマシューくんの心をいたわってくれるなら、アガサちゃんを私が侍女として躾けてあげるってこと。分かるかな?」


「マシューは、私のことを好きでいてくれているんですか?」


「多分ね。少なくとも数回しか会ってない私よりはアガサちゃんの方を好きだと思うけど」


「…………」


 ジュリィ様が本当にマシューと結婚するなら、そのとき侍女としてマシューの側に仕えられるのなら、それしか道がないというのなら。


「分かりました。侍女になる勉強をさせてください」


 私は目を細めて笑みを浮かべるジュリィ様にしっかりと視線を向けました。

 ジュリィ様は「なら寮を出てヘルモード家の邸宅で侍女見習いとして働いてもらうから」と言いました。


「ラステッド男爵だっけ? そちらの方にはヘルモード侯爵家から話を通しておくから。じゃあ今日からアガサちゃんはウチの侍女見習いね」


「はい」


 こうして、私は将来の道を決めたのでした。


 ◆


 次の更新は来週10月30日です。

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