22.僕は内心で唖然としつつも、その手を取った。

 今日も丸一日、礼儀作法の授業だ。

 さすがに休日もなしに連日だと疲れる。

 朝の支度を終えて授業のある部屋へ向かう途中で、護衛の女性騎士と侍女を連れた女の子と会った。

 イスリス・アレクシス、クレイグの娘だ。


「おはようございます、マシュー様」


「おはようございます、イスリス様」


 年齢はちょうど僕のひとつ下くらいらしい。

 故にステータスはまだ開けていないが、クレイグの娘として魔術の腕前はしっかりと鍛えられているらしい。

 礼儀作法も僕より長い貴族生活の中で自然と身についているようで、もちろん礼儀作法の授業は受けているが僕よりゆったりなのに進度はイスリスの方が進んでいるという状態にある。

 僕に対して様づけを崩さないイスリスは、もちろん僕が王族であることを知っていた。


「マシュー様、私に様を付ける必要はありませんわ。父クレイグが魔術の才能があると拾い上げた内弟子です。私、マシュー様のことを兄上だと思ってお慕いしておりますのよ」


「イスリス様、それは過分な申し出です。僕はクレイグ様に拾われた身ですから、師匠のご令嬢を呼ぶのにイスリス様と呼ぶのは自然なことです。あと兄上だなんて……」


「あら、本当に兄がいたらいいのにと常々、思っていましたの。マシュー様のような優しくて魔術の出来る方なら、何も文句はありませんわ」


 可愛いなあイスリス。

 こんな妹がいたらいい、と僕も思わざるを得ない。

 しかしこのイスリス、クレイグの娘だけあってしたたかな一面を持っている。

 隙を見せたら喰い付いてくるのだ。

 会話を打ち切ってさっさと礼儀作法の授業へ……そんな内心を見透かしたように、イスリスは悲しそうな表情で「まあマシュー様。イスリスと話をするのはお嫌でしたか?」などと言い出す始末。


「いや、そんなことはないよ。ただ礼儀作法の授業があるから、そろそろ行かなければならないんだ」


「まあ。さすがマシュー様、真面目ですこと。……そうだわ、今日の礼儀作法の授業は私もご一緒しましょう。幸い礼儀作法の授業は私の方が先に進んでおりますから、マシュー様の良き手本となる淑女として振る舞いますわよ」


「いや、その気持だけで十分だよ。僕は男だからイスリスが手本になるかどうか判断がつかないし。男女の礼儀作法は割りと違うらしいじゃないか」


「まあまあ、マシュー様。それはそれ、これはこれ、ですわ。礼儀作法の先生にご一緒していいか聞けばいいではありませんか」


 そんなことを聞けば、雇われの身である先生は否とは言えないだろう。

 分かっていて言っているだろイスリス。


「ねえ、いいでしょう? マシュー兄上?」


 トテトテと近づいてきて腕を絡めながら耳元で囁くイスリス。

 温かい体温に脳がトロけるような可愛らしい声に、僕は危うく陥落しそうになるのを精神力で耐えた。


「貴族のご令嬢がはしたないのではないですか、イスリス様?」


「あらマシュー様は、兄上と呼ばれるのはお嫌い? 世の男性の中には年下の女性にそう呼ばせるのが趣味、という粋人もいらっしゃると聞きましたのに」


「それは特殊な人たちですね。生憎と僕にはそんな趣味は――」


「本当にありませんか? マシューお兄ちゃん?」


「っ、いやないです。ないからちょっと離れて……」


 パッとイスリスが離れてチラリと舌で唇を舐めた。

 イタズラっぽい眼差しで僕をからかう手口。

 ああもう、可愛いなあ!!


「それではお部屋までご一緒しましょう、マシュー様」


「あれ、礼儀作法の授業を一緒に受けるという話はまだ有効なのですか?」


「はい。本日のマシュー様の礼儀作法の授業の内容は、私を相手にお茶会でのマナーを指南されるそうですので、もともと私はご一緒する予定だったのです」


「は?」


「さあマシュー様。一緒に行きましょう。ああなんなら淑女をエスコートする機会を与えて差し上げてもよろしくてよ?」


 そっと手を差し出すイスリス。

 僕は内心で唖然としつつも、その手を取った。


「それでは不肖マシューがイスリス様をエスコートさせていただきます」


「ふふふ。よろしくマシュー様」


 僕はげんなりしつつも、やっぱりイスリス様は可愛いなあ、こんな妹がいたら良かったのに、と思わざるを得なかったのだった。

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