女の機械人形

うつそら

女の機械人形

『記録 二〇四六年一〇月二八日』

「アンドロイドは、己がアンドロイドだと自覚することができないと、私は思います」

 朝食をっていると、垂れ流したテレビから何処かの国の偉い科学者がそんなことを心底真面目な顔で語っていた。

 ここ最近、人工知能を搭載したアンドロイドに関する話題で世間は飽和状態にある。三日に一度は何処かの放送局が似たような情報を流していて、面白い番組を探すのにも一苦労だ。いつしか、朝のニュース番組にも進出するようになったので正直鬱陶うっとうしい。

 人間の仕事がアンドロイドに奪われるとか、何処かのSF映画のように選民や人類の殺戮さつりくが起きるとか、そんな噂話が絶えず左右の耳を抜けていく。

 今を生きる人間が不安になるほどアンドロイドの浸透が早いのならば、ほとんどの車が十年も前に市販化された完全自動運転車に置き換わっているはずだ。

 だから、行く先々に溢れている噂話は俺には理解できない。

 科学者の話が煩わしく思った俺はリモコンを操作してチャンネルを変えたが、そこでもまた同じ内容を放送していて仕方なく電源を落とした。購入してから月日の経っていないテレビをまるで小さいオルゴールだと思った。

 空になった皿を流しに片付け、自室に引っ込んだ。自室と言っても、狭い部屋に付属している申し訳程度のさらに狭い部屋だ。住み心地は悪くないので気に入っている。

「さてと。着替えをどうするか」

 今日は午前中から半年ほど前から付き合っている彼女とデートに行く予定がある。だから今の俺には、アンドロイドの話題に割く頭は露ほどもない。

 クローゼットから持っている秋用の服を全て引っ張り出して、ベッドの上に系統毎に分類して並べた。けれど上下のセットで合計三着しかなく、三つのうち二つは同じ系統の服だった。迷う要素は殆どないと言っても過言ではないだろう。

 けれども迷ってしまうのが人の常で、俺は三十分近く熟考した後に決めた。

 ショルダーバッグの中身を確認してから肩に掛ける。スマホをポケットに放り込んだことを確認してから、音声認識で部屋の照明を落とした。


 集合場所は俺の最寄駅から六駅ほど先にある駅の駅前広場だった。幸い天候もよく秋風を感じながら外で待つことができた。

「お待たせ。待った?」

 唐突に俺の背後に現れたその人は、俺が振り向くのに合わせて顔を覗き込んできた。

「いや、全く」

「そ?」

 清水凛しみずりん。大学院に通っている二十五歳。俺の彼女だ。映画鑑賞が趣味で、故にデート先は映画館になることが多い。付き合ってからまだ一年も経っていないし、彼女は忙しいことの方が多いので他のことはあまり知らない。

「まだ十時だけどどうする?私は二つ見てもいいんだけど」

 そう言いながら俺の隣に腰を下ろした彼女は、鞄の中から小ぶりなペットボトルを一つ取り出して水分補給を始めた。

「俺も二つでいいかな。なんかそういう気分。見たいやつとかあるの?」

「ん?……あるよ、一つだけ。今日はそれと、もう一本は電車に乗ってる時に調べて興味が湧いたやつ」

「わかった。じゃあ行こうか」

 凛の返事を聞いた俺は少し重くなった腰を上げて、左手を差し伸べた。彼女は「ありがと」と言いながら手を取り、俺は流れるように俗に言う恋人繋ぎに変えた。人間の体温を指の間まで感じる。

 俺たちが向かった先は駅から歩いて十分ほどの場所にある映画館だった。この辺りでは一番大きい映画館で、その分設備も充実している。俺より二つ離れた駅が最寄り駅の凛がわざわざ来るのだから、相当気に入っているのだろうと思う。

 映画館に入ってチケットを二枚分購入。俺が支払おうと思ったけれど、凛が「いいよ」と短く言って済ませてくれた。その代わり二本目は俺が持つことになった。

 ポップコーンやらドリンク類は一切買わず、入場開始までの時間を大画面で垂れ流されている予告編を見ながら待った。隣に立つ彼女は心底楽しそうに予告編一つひとつに見入って、知っている映画が来た時には端的な解説までしていた。

 一方の俺は、実は映画のよさというやつがイマイチわかっていない。特に哲学的な内容の映画はよくわからない。しかし凛が薦めてくる恋愛映画は、自分が当事者だからか理解できないこともないので感想を訊かれても答えられなくもない。感受性というやつが低いのだろうと自分でも思う。

 今日の一本目は恋愛映画だから、上映後の昼食中に話を振られても問題ないと一人で胸をなで下ろした。

 十五分ほど待って入場し指定された席に着く。さらに数分を予告やら広告を見て過ごし、照明が穏やかに落ちた。


 上映開始一時間後

 電車の中、主人公の青年と、以前その青年と付き合っていた少女が並んで座っているという奇妙なシーン。

『もし、明日、私が死ぬとしたら、今日の意味はあるのかな』

 たぶんこの後の展開で死ぬであろう少女がそんなことを口にした。察しがよく感受性の高い凛ならば涙を浮かべるだろうが、俺は少女の台詞を咀嚼するので精一杯でそんな暇はない。


「いやー感動だったねー」

 映画館近くのレストランに入り、注文した料理を待っているところで凛がしみじみと間延びした声でそう言った。一方の俺は「んー」と返すばかりで、脳内ではぐるぐると映画の台詞が反芻している。

 遥か遠くに声が聞こえるのを感じながら考え込んでいると、目の前で手がひらひらと左右を行き来した。ふっと我に返って顔を上げると、凛が妙に真面目な顔で俺を見ていた。

「どうしたの?小難しい顔して」

「いや、さっきの映画でちょっと」

「引っかかるところでもあった?あるなら聞くけど」

 水を一口飲んだ彼女は、先程よりも一層真剣な顔をして俺をじっと見た。

「えっと……もし明日私が死ぬとしたら、今日の意味はあるのかな、っていう台詞の意味がよくわかんなくて」

「あー……あったね、そんな台詞。でもそれは、わかんないのが正常だと思うよ」

「そう?凛は理解してるけど、俺は理解してないみたいなことよくあるから、今回もそれなのかなって思ってたんだけど」

 信じ切っていない俺に、彼女は清々しいキメ顔で親指を立てて「今回は私もわかんなかったから大丈夫」という言葉を添えた。

「じゃあなんで泣いてたの?」

「え?それはー……」

「オ待タセシマシタ」

 凛が何かを言いかけたところで、自走型の配膳ロボットが割って入った。空気読みが下手なロボットだなと声に出さずに思いながら、ロボットなのだからまあ仕方ないのかと思った。

 それから俺たちは元の話題に戻ることもなく、昼食の感想を言い合いながら昼を終えた。

 再び映画館に戻り、凛がついでに見たいと言っていた映画のチケットを二人分買った。上映まで間もないのに席を選び放題だったから、面白くない映画だろうなと思った。おまけに、俺の嫌いなアンドロイドの話だ。

 今度も何も買わずに入場して席に着く。相変わらず人は指で数えられるほどしかおらず、余程人気のない映画だということを浮き彫りにした。

「それにしても人がいないね」

「面白くないっていうことかもね」

「さあ。私は面白いかもって思ったけどね」

 結局、本編が始まっても観客は増えも減りもしなかった。


 上映開始三十分後

 段々と退屈な気分になってきた俺は、凛にバレないように欠伸をすることに集中していた。

 映画の内容は入ってくるが、台詞も展開も演出も面白味を感じない。周りを見ると、スクリーンに映し出された映像の光に照らされて、寝ている人が何人も確認できた。感受性の低い俺以外でもつまらないということは、相当なのだろう。

『原田徹……いや、個体識別ナンバー三〇五七と言った方がいいかな』

 どういう成り行きでそうなったのかは知らないが、白衣を着た男と一人の男がごく普通の部屋で対峙しているシーン。妙に胸騒ぎがする。

『アンドロイドは、己がアンドロイドだと自覚することができないと、私は思います』

 今朝見たテレビに出ていた科学者の言葉が反芻した。

『もちろん、自分がアンドロイドだと自覚できるようにプログラミングすれば話は別です。ここで言っているのは、それすらも超越した限りなく我々人類に近い高度な自我を持ったアンドロイドのことです』

「あのさ……」

 心臓がドクドクと生々しく脈打つ音に映画の大音量が掻き消されていく中で、俺は声を絞り出した。鑑賞中に私語がご法度だと知っていても訊かずにはいられなかった。

「……ん?」

 凛が俺の方を向く気配がする。

「あー……もしかして、気付いちゃった?」

 恐る恐る横を見ると、薄暗闇の中で様々な光に照らされた彼女の笑顔があった。

 何かがプツンと切れるような気がした。

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