第15話 人間に魅入られた魔物

 とある昔の話。

 多種多様な魔物が跋扈する森の中で一匹の魔物は生まれた。

 名前はない。あるのは種族名だけ。その名も「コボルト」。


 初心者冒険者に狩られるぐらいには、コボルトは弱い魔物だ。

 弱いからコボルトは集団で動き、狩りをし、生活する。

 強い魔物がいれば逃げる。勝てないから。

 だから、そのコボルトも同じように生活をした。


 しかし、そのコボルトには他の者とは少しだけ違うスキルを有していた。

 その名も<翻訳>。他種族の言葉が同自分の言葉のように聞き取れるというスキルだ。


 あいにく攻撃系のスキルではなかった。

 しかし、その能力があったからこそ、そのコボルトは違う考えを持つようになった。

 自分の種族ではない別の種族。

 その種族がどういう生き方をしているのか。


 コボルトの知能はゴブリンと同じ幼児ぐらいとされている。

 しかし、<翻訳>という力がそのコボルトに欲を与えた。

 俗に言う“知識欲”と呼ばれる欲だ。


 その欲は特殊な力を持つコボルトの思考に様々な影響を与えた。

 抱いた思考はやがて行動へと変化した。

 そして、行動すれば新たな知識欲を呼んだ。

 やがてその行動は週間へと変化した。


 それから長い月日が経過した。

 その間、そのコボルトは狩りの合間に色々な魔物を観察するようになった。


 例えば、鳥の魔物。

 その魔物は親鳥なのか、空を飛び始めた我が子に狩りの仕方を教えている。

 甲羅のある魔物をはるか高い空から落とし殺すという方法だ。


 例えば、猿の魔物。

 その魔物は尻尾の先がフックのようになっている。

 その特徴的な尻尾を使って川で釣りをしていた。

 どこかで捕まえた虫を釣り餌にし、食いついた魚を釣り上げるという方法だ。


 例えば、コボルトを襲いに来た冒険者。

 その冒険者は「人間」という種族だ。

 だが、各々に別々の名前がある。

 加えて、誰もがその別々の名前を呼び合い、認識している。


 そのコボルトはそんな色々な生き物の行動や習慣の中で知識を身に着けていった。

 知識を得たなら次は実践したくなるもの。

 成功も失敗も不可能もたくさんあった。


 だが、それは知識をさらに刺激した。

 とりわけ、そのコボルトが刺激されたのは「人間」だ。


 よく見かける森の中で冒険者。

 人によって顔も体格まるで違う。名前も全然違う。

 使う武器も、魔法も、知識も、果ては言葉遣いに至るまで。


 そのコボルトは遠くからバレないように、冒険者の狩りを観察し、食事を観察し、営みを観察した。

 そして、やがてそのコボルトは冒険者の真似をし始めた。

 魔物の皮を剥いで防具を作り、拾った弓で矢を打つ練習をしたりと色々やった。


 冒険者の狩りは実に効率的だった。

 数は限られるが、そのコボルトが自力で倒せる魔物も出てきた。

 それ以来、そのコボルトは集団で動くことを止めた――“自由”を知ったからだ。


 そのコボルトはソロで行動し始めた。

 すると、仲間だったコボルトが現れたイレギュラーを排除しようと動く。

 しかし、冒険者の知識を得たそのコボルトにとって敵ではなかった。


 そんな月日を過ごしているうち、そのコボルトの肉体はより効率的に動けるように巨大化した。

 コボルトソルジャーと呼ばれる特殊個体の誕生の瞬間だ。


 コボルトソルジャーは次なる知識の場を求めた。

 そして、知った――冒険者が潜っていく“迷宮”という存在を。

 コボルトソルジャーにとって知らない場所だ。

 ならば、知るしかない。それが群れを離れた理由なのだから。


 コボルトソルジャーが入った迷宮の名は「獣過の巣穴」。

 やたら獣系の魔物が出てくる迷宮だ。


 迷宮の魔物はこれまで戦ってきた魔物に比べればとても弱かった。

 それもそのはず、その時すでにコボルトソルジャーはAランク魔物相当の実力を有していた。


 コボルトソルジャーは長らく迷宮の中で暮らしてきた。

 しかし、迷宮はとても退屈で窮屈な場所だった。

 何も収穫が無かったわけじゃない。

 ただ、知識が刺激されることはなかった。


 故に、迷宮の外へ出ようとした時、コボルトソルジャーは体験する――迷宮再構築を。


 突然、地面が揺れたかと思えば、うねり、歪み、屈折して全く違う道を形成した。

 これにはコボルトソルジャーも大いに知識欲が刺激された。

 加えて、突如として現れたのはAランクの魔物ばかり。

 コボルトソルジャーはもうしばらく探索を続けることにした。


 迷宮再構築から数時間と経ったある時。

 コボルトソルジャーは曲がった先で背を向けて逃げる冒険者の姿があった。

 冒険者が持っている装備が美味しいことを知っている。


 コボルトソルジャーは仕留めようと矢を放った。

 とはいえ、あの冒険者は見る限り弱い。それこそゴブリンと同じぐらい。

 あんな弱い人間を殺すまでもない、とコボルトソルジャーは左腕を狙った。


 その冒険者は失った左腕を抑えて悶えている。

 コボルトソルジャーが荷物だけ回収しようとした時、その冒険者は妙な粉をバラまいた。


 痛かった。とても痛い。

 目に入っても、涙が出るほどに痛い。

 情けで生かした相手に手痛いしっぺ返しをされた気分だった。


 コボルトソルジャーは目を上手く開けられない。

 そんな中、それでも長年の経験による勘で矢を放つ。

 だが、上手く避けられたようだ。


 コボルトソルジャーはだんだんと腹が立ち、追いかけようとするがもういない。

 本来ならニオイを使って追うが、鼻が使えないためそれも不可能。

 その腹いせにコボルトソルジャーはしばらくAランクの魔物を狩り続けた。


 それからまたしばらくして、コボルトソルジャーは迷宮を歩き続ける。

 すると、曲がり角を曲がったところでキングボアが見つけた。

 あの魔物はとても美味しい。

 だから、仕留めることに迷いはなかった。


 コボルトソルジャーの矢がキングボアに当たるその時、別の矢が飛んでいることに気付いた。

 そして同時にコボルトソルジャーは気づく――近くに全く存在感が無かった男がいることに。


 銀髪で赤目の男は気配を感じない。

 生命力も感じない。

 まるで路傍の石のように希薄だ。

 それほどまでに弱い。

 まるで風が吹いただけで骨が折れてしまうような、そんな感じ。


 それが逆に、コボルトソルジャーの興味を引いた。

 また、ニオイが仕留めそこなった冒険者に似てることも気になった。

 そして、コボルトソルジャーは赤目の男に戦いを挑んだ。


 赤目の男は弱かったが強かった。

 訳が分からない気持ちがそれがコボルトソルジャーの気持ちだった。


 コボルトソルジャーの放った矢が魔物の姿で射線が切れた所で放った。

 それが読まれて避けられる。これはわかる。

 避けた先を狙って速射の矢を放った。それも躱されるまだわかる。

 三射目の矢が真っ向から跳ね返された。訳が分からなかった。


 三射目を狙った時、コボルトソルジャーは勝ったと確信した。

 しかし、自分が知らない技術で凌駕された。

 まるで躓いただけで死んでしまいそうな人間によって。

 だが、欲は刺激された。


 コボルトソルジャーは四射目を構える。

 赤目の男は愚かにも突っ込んできた。

 遅すぎる足。外さないわけがない。


 .......外した。直前で石が飛んできたせいじゃない。

 遅いはずの赤目の男がいきなり目の前から消えた。

 探してもどこにもいない。

 音と気配を感じ取った時には、赤目の男はすでに自分の頭上で弓を構えている。

 詰みだ。


 しかし、赤目の男がコボルトソルジャーを殺すことはなかった。

 後方からもう一匹のキングボアが突っ込んできたからだ。

 赤目の男は矢を放ったが、目に当たっただけで倒せてはいない。

 やはり弱い。今狙えば殺せる。


「.......」


 コボルトソルジャーは止めた。

 それは卑怯と思ったからじゃない。

 知識を失うのを恐れたのだ。


 赤目の男は弱い。あまりにも弱い。

 にもかかわらず、コボルトソルジャーは油断とは言い難い負け方をした。

 加えて、放った矢を真正面から弾き返す技術も驚くべきことだ。

 こんな知識を刺激する宝箱をやすやす見逃すことなんてあってはならない。


 だから、コボルトソルジャーが見逃せば勝手に腹ペコ判定された。

 確かに腹は減っていたが、なんとなくその反応は癪だった。

 とはいえ、もう別に敵意はない。あるのは興味。


 どうにかしてあの赤目の男と話せないか、とコボルトソルジャーは考える。

 幸い<翻訳>はある。だから、会話は可能。

 人の言葉も頑張って覚えた。


 しかし、コボルトソルジャーには話をするキッカケが無かった。

 それに何を話しても敵視されるかもしれない。

 当然だ、先程まで殺し合っていたのだ。

 同族同士でも殺し合った後で心開くのは簡単じゃない。


 そんな時にコボルトソルジャーは昔の記憶を思い出した。

 それは冒険者が仲間達と談笑していた光景だ。

 夜の森の中、焚火を囲い、一緒に食事しながら話をする。


 これだ。これしかない、とコボルトソルジャーは思った。

 焚火はないが、焚火のスクロールはある。

 これを使って誘い出そう。そうしよう。


 コボルトソルジャーはスクロールを地面に置き、魔力を流す。

 スクロールは使い切りの魔道具だ。

 代わりに誰でも使える代物でもある。

 コボルトソルジャーにとって貴重な物だったが、刺激知識の宝箱を逃すよりはマシ。


 ニオイに誘われたのか赤い男がのこのこやってきた。

 しかしまだ警戒している様子だ。

 その姿はさながら手負いの狼のようだ。


 コボルトソルジャーの本能が敵意に反応する。

 しかし、絶対に武器は構えてはいけない。

 今の男は弱い。それだけはわかる。


 赤目の男は座ってくれた。どうやら腹が減っていたようだ。

 すると、赤目の男はポーチから何かを取り出した。調味料だ。

 焚火のスクロースの上で焼いている肉に調味料をまぶしていく。

 なるほど、そう使うのか、とコボルトソルジャーは思った。


 調味料類はニオイがきつくて捨ててたが、これは美味そう。

 コボルトソルジャーのお腹がさらに空いてきた。

 なんという刺激的な良いニオイ。これは知らない。

 刺激欲と食欲が凄まじく刺激されていく。


 赤目の男が調理した肉をくれた。食べてみたた。

 やっぱ美味かった。肉に食らいつくたびに涎が溢れる。

 もっと次が欲しくなった。ただし、二個目はくれなかった。


 コボルトソルジャーは赤目の男と火を囲んだ。

 食事もしている。夜じゃないけど、薄暗い環境ではある。

 舞台は整った。であれば、今度はこちらの番だ。さぁ、俺の欲を刺激してくれ。


「......オマエハドウシテ弱イノニ強インダ?」


「貴様、しゃべれたのか」


 それがコボルトソルジャーの赤目の男との最初の会話だった。

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