第6話 死にゆくまでの旅路#4
「ぐああああああぁぁぁぁっ!!」
ユトゥスはその場にしゃがみ込んだ。
あまりの痛みに右手で左腕を押さこむ。
左腕が軽くなったのと、血が流れ冷えていくのを同時に感じる。
視線を左腕に動かせば、肘から先がない。
さらにそこからドビュドビュと流れ出す血で地面の色が赤く変わっていた。
何があった!? とユトゥスの思考は一瞬で乱れる。
ユトゥスは正面を見た。
ユトゥスの左腕が前方数メートルの位置で地面を転がっている。
そして、その左腕があった場所はまるで弾けたような切り口をしていた。
苦悶の表情を浮かべるユトゥス。
とにかく、今は急いで止血しなければ。
これ以上の出血は命に関わる。
ヒタ......ヒタ......。
何かが近づいてくる。スメィヤパンサーだろうか。いや、それはない。
あの魔物だったら今頃怒ってあっという間に殺しにかかるだろう。
ならば、この仕業は他の魔物による行動でしかない。
ユトゥスはゆっくりと背後を振り返る。
背後にいたのは人型の狼だった。大きさは二メートル台。特徴的にコボルトと酷似してる。
しかし、通常のコボルトは大きくても一メートル弱程。つまり、別個体。
「......コボルトソルジャーか」
ユトゥスは脳内図鑑ですぐさま特定した。
コボルトソルジャーとは、コボルトが長年生きて戦いの知恵を身に付けてなる進化個体。
冒険者で言えば、ベテランハンターという立場だろう。
コボルトソルジャーは個体レベルだとBランクだ。
しかし、基本複数の小隊で動く魔物なので、冒険者ギルドではAランクの魔物として認定している。
つまり、ユトゥスの近くにはさらにコボルトソルジャーがいるかもしれない。
しかし、ユトゥスがコボルトソルジャーの周囲を確認しても、その魔物の仲間が現われることはなかった。
「単独で狩りをしてるか、はたまたはぐれたか......」
どちらにせよ、この状況が非常に不味いことはユトゥスにもわかった。
しかし、不幸中の幸いかズワスワ花の粉末もあと一回分ぐらいだろう。
つまり、逃げ切れるチャンスは一度きり。
ユトゥスはコボルトソルジャーの動きに注目しながらゆっくり後ずさる。
そして、地面に転がってる左腕の横に立った。
変わらず見ながら左腕から服の袖を回収する。
自分の腕の重さを感じることなるとは、とユトゥスは思いながら、その袖で左腕を止血した。
「......動かない?」
ユトゥスはコボルトソルジャーに困惑した。
コボルトソルジャーはいつの間にか止まっており、ユトゥスの行動を観察している。
普通ならユトゥスを殺してもおかしくない状況だ。
にもかかわらず、それを止めてまで観察に徹底している。
何を考えてるんだ、とユトゥスは思いながらも、すぐに殺されないことには僅かな安堵をした。
そして、体で右手を隠しながら、腰ポーチにしまっていた袋からズワスワ花の粉末を握りしめた。
ユトゥスがこの状況から逃げるには、この粉末を確実に当てる必要がある。
しかし、コボルトソルジャーとの間には距離があり、このままでは届かない。
ユトゥスはあえて自ら足を進めた。
なぜかコボルトソルジャーは動かない。
五メートル、四メートル、三メートル、二メートルとユトゥスは近づく。
そして、右手に持っていた粉末を投げる。
粉末は空中にばらまかれ、コボルトソルジャーの顔にかかった。
「キャインッ!」
コボルトソルジャーが怯んだ。同時に、ユトゥスは振り返り走り出す。
左腕が無くなってなのか走り方のバランスが悪い。妙にふらついてしまう。
そのことに気を取られていると、ユトゥスは足元にあると尖った石に躓いた、
ユトゥスは前のめりに倒れる。
刹那、ユトゥスの頭部の数センチ上を矢が通り抜けた。
それは先程左腕を千切ったものの正体だ。
その矢は今度ユトゥスの髪を千切った。僅かな髪の毛が宙に舞う。
直後、髪を雑に撫でるようにボワッと強い風が吹き抜けた。
これでは大砲か何かだ。到底普通の矢の威力じゃない。
「あっぶなぁ......! だが、どうやら悪運だけはあるようだ!」
ユトゥスは急いで立ち上がり走り出す。
少しずつ体が失った分の重心位置のズレを修正したようで、普通に走ることが出来るようになった。
ユトゥスは入り組んだ通路を右へ行ったり、左へ行ったり、とにかくめちゃくちゃに走り続ける。
―――ユトゥスが死亡するまで残り十分
逃げる時間が数分と続いたある時。
通路を走っていたユトゥスの体は突然進行方向と別の通路に吸い込まれる。
何者かに襟を掴まれ、引き寄せられたようだ。
捕まった以上、もうここから逃げる術はない。
終わった、とユトゥスは思ったが、それは違った。
「しーっ!」
引き寄せた人物はユトゥスより少し若い少年の冒険者だった。
その少年の周りには同じ年齢ぐらいの男女もいる。
そして、その少年は人差し指を唇に当て「静かにしろ」と、ユトゥスにジェスチャーを送った。
ユトゥスはその言葉にコクリと頷いて指示に従う。
すると、先ほどまで走ってた通路からキングボアが通り過ぎて行った。
あのまま通路を走っていれば死んでいた。
どうやらその少年は助けてくれたみたいだ。
ユトゥスを助けたのはトバンという人物だ。
彼は“夕陽の花”というCランクの冒険者パーティの一人で、シーフ職なのかフードを被った軽装をしている。
残りの二人は、リーダー兼剣士のコール、魔術師のバレッタ。
コールは一般冒険者のような胸当てやひじ当てをした服装で、バレッタはカーディガンのようなローブを着ている。
ユトゥスは三人がこの場にいる理由を聞いた。その質問にコールが答えた。
要約すると、この三人も迷宮で金稼ぎしてたら迷宮再構築に巻き込まれたらしい。
そして、三人がどこかにある上の階層に続く階段を探してる時、たまたまユトゥスの姿を見つけ助けたようだ。
「あの......あなたって“満天星団”のユトゥスさんですよね?
怪我してますけど、もしかしてお仲間とはぐれたんですか?」
コールがユトゥスに尋ねる。
その言葉にユトゥスの体がビクッと跳ねた。
この質問するということは大方”満点星団”に助けてもらうことを期待したのだろう、とユトゥスのその考えに後押しするように、バレッタが声を少し大きくして言う。
「なら、どこかに仲間を助けにいるかもしれないってことですよね!?」
「ってことは、俺達助かるかもしれないぞ!」
バッレタの後にトバンが続けざまに発言した。
三人の瞳が希望を見出しているように輝き始める。
それこそ先程まで固かった表情が緩んでいる。
生きて帰れることを確信している。
その反応に、あぁ、そうか......だから、この子達は俺を助けたのか、とユトゥスは納得した。
「......喜んでるとこ悪いけど、今日は俺一人だ。だから、仲間はいない」
ユトゥスは正直に言った。
どっちにしろ、虚勢を張ったところでAランクの魔物が跋扈するこの迷宮を抜けられる実力はない。
ならば、無様を晒して全滅のリスクをあげるよりか、正直に言って生存確率を維持する方がいい。
「そ、そうなんですか......」
三人の顔は一斉に暗くなって下を向いた。
もはや確かめる必要もなく三人に絶望の表情が浮かんでいた。
その反応にユトゥスの心はギュッと締め付ける。
弱いから選択肢が与えられない。弱いから誰も助けられない。
村が魔物で襲われた時もそうだった。あの時から何も変わらない。
「......ごめん」
ユトゥスはポロッと謝罪の言葉をこぼす。
その言葉に三人からの反応はない。お荷物が増えただけと思ってるかもしれない。
それならそれでいい。予想できたことだ。しかし、諦めるにはまだ早い。
幸い、あの時とは違うことがある。それは体力と情報力だ。
それを駆使してここから脱出する。諦めるのは最後の最後まで足掻いた時だけ。
ユトゥスはそう心に決め、言葉にした。
「とにかく、ここに固まってても意味がない。移動しよう。少しでも生き延びるために」
―――ユトゥスが死亡するまで残り五分
それから、ユトゥスは“夕陽の花”の三人とともに行動を開始した。
四人は足早に移動しながら色んなところの曲がり角を曲がっていく。
その都度、ユトゥスは頭の中にある地図で位置情報をアップデートしていった。
「ここはさっき通ってきた場所だ。さっきの場所を左に曲がろう」
「よくわかりますね。印もつけてないのに」
「頭の中にマッピングしてるから大丈夫」
ユトゥスの言葉にコールは見直したように目を丸くする。
すると、今度はバレッタが心配するような目でユトゥスに質問する。
「でも、大丈夫ですか? ユトゥスさんの左腕は簡易的に治療しましたけど、その体じゃ走るには辛くないですか? すぐに体力が尽きちゃいそうです」
「大丈夫、スタミナには自信があるから」
ユトゥスにとってスタミナの多さだけは仲間にも自慢できる能力であった。
例え
なぜなら、それだけは能力値に影響の寄らない能力だからだったからだ。
ランニングを週間としていれば、全く走らない人より長時間走れるのは自明の理。
だから、ユトゥスは走り続けてもそう簡単にはバテない。
二つとも長年の落ちこぼれからの脱却努力で身に付けた能力だ。
そんな四人の逃走劇も終わりが見えてきた。
ユトゥスは魔物がいるか調べるために右の曲がり角から通路を覗く。
すると、三十メートル先に上り階段を発見した。
つまり、ここを通り抜ければ、迷宮からの脱出に近づけるということだ。
「グオオオオォォォォ!」
その時、四人の背後からアイアンベアの咆哮が聞こえた。随分興奮した様子だ。
四人がそれに気づいた時、トバンが気になることを言った。
「あいつ、ここまで追いかけてきやがったか」
ユトゥスはその言葉の意味をトバンに尋ねる。
トバンはアイアンベアを見ながら答えた。
要約すると、コール、バレッタ、トバンの三人は迷宮再構築が起きてから少しして子熊に出会った。
その子熊は手強かったが三人は運よく倒せたらしい。
しかし、その子熊の近くに母熊がいた。
母熊は子育て期は非常に気性が荒い。子供を殺されれば当然怒る。
結果、その母熊は三人を追いかけてきた。
しかし、三人はズワスワ花の粉末で逃げ切った。
だが、その母熊が再び現れてしまった――それが現在だ。
「アイアンベアは敵対すれば執着心が強い! 狙われればどこまでも追いかけられ襲われる! 襲われる前に走れ!」
四人は一斉に走り出す。
「グオオオ!」
足音か、はたまたニオイか。どちらにせよ、アイアンベアは凄まじい勢いで走って来る。
ユトゥスは逃げた。目の前には若い冒険者三人の背中が見える。
時間が刻一刻と過ぎて行く度に、ユトゥスと“夕陽の花”の三人との間で差が開いく。
その原因は行動値の差だ。
「ま、待ってくれ......!」
ユトゥスは離れていく三人に声をかける。
その声にコールは後ろをチラッと振り向いてはるか後方にいるユトゥスに気付いた。
そして、彼はすぐさま戦闘を走るトバンに声をかけた。
「トバン! ユトゥスさんが遅れてる! スピード落として!」
「......」
「トバン!」
トバンは走る速度を緩めない。コールの制止を無視して走る続ける。
コールは定期的に後ろを振り返り、ユトゥスとの開きを確かめた。
すると、トバンはギリッと歯を噛み締め言った。
「あの人は......置いていく」
その言葉がユトゥスの耳に届いた。いや、聞こえてしまったというべきか。
ユトゥスは周囲からの罵詈雑言にも似た陰口を聞くたびに自分のことだと思った。
仲間が凄すぎるから、凄くない自分がよく浮いてしまう。
地獄耳になってしまった。嫌な言葉ばかり耳にこびりつく。
しかし、その言葉を聞くたびに、そりゃそうだよな、とユトゥスは納得していた。
結局、何者にもなれなくて、年下の仲間におんぶにだっこの冒険者生活。
言い返せることなんて一つもない。全ては弱いから。
この悔しさを覆すためには行動するしかない。
それが例え命を賭ける結果になろうとも。
ユトゥスは振り返る――右手には剣を持って。
コールがその行動に気付いて声をかけた。
「なにやってんですか!? ユトゥスさんに勝てるはずないでしょ!」
「勝てるはずない」――そういう評価なのはユトゥスもわかってた。
それがもしサクヤなら? ドンバスなら? アニリスなら?
言われるセリフはどうなってたのだろうか。違ったかだろうか。
それでも、ユトゥスは目の前で立つアイアンベアに向く。
「そんなことはわかってる! だけど、俺は手負いだ。いつまでも逃げれるわけじゃない」
その言葉にトバンが顔を伏せた。
ユトゥスはその様子を首だけ振り返って見ながら、言葉を続けた。
「安心しろ。君達は俺を置いてった薄情な冒険者なんかじゃない。
俺が囮を買って出て生き延びた冒険者だ。それなら風聞も悪くないはず」
「ですが.....!」
「うるせぇ! とっとと行けって言ってんだろうが!
俺は腐ってもAランクパーティ“満天星団”の一人だぞ!」
元、であるが。
「先輩の顔を立てろ。そして、生き延びてこの迷宮のことを説明しろ。いいな?」
「......はい!」
コールは泣いているのか声を僅かに震わせながら返事した。バレッタも泣いているようだ。
トバンは顔を伏せててわからないが、僅かに腕を動かしてるのが見える。
ユトゥスはそんな彼らの姿に目を丸くした。
こんな蛮勇でも泣いてくれる人がいるのか。
なら、意外と良かったかもしれない。
「走れ!!」
ユトゥスの後方から三人の足音が遠のいていく。
そして、ユトゥスの目の前にはアイアンベアがいる。
ユトゥスが死ねば、三人も死ぬ。
生き残すためには、少しでも時間を稼がなければいけない。絶対に追わせやしない。
―――ユトゥスが死亡するまで残り一分
「うおおおおおぉぉぉぉ!」
ユトゥスは足が震えないように気合で鼓舞した。
勝てないのは理解している。しかし、それも絶対では無い。
死にたくない。可能性の一パーセントでもあればそれに賭ける。
「俺はまだ終わってない!」
そして、ユトゥスは蛮勇でもってアイアンベアに襲い掛かった。
―――ユトゥスが死亡するまで残り零分
****
アイアンべアが口に咥えた獲物をとある場所に持っていく。
その獲物は左腕、右足が欠損している。
咥えられてている左足も変な方向に曲がっている。
引きずられるたびに血による赤いカーペットが出来上がった。
「グオッ」
アイアンベアは獲物を乱雑に投げ捨てる。
その獲物が捨てられた場所は小さな空間であった。
そこには同じように他の魔物の姿があり、いくつかは奇麗な骨になっている。
どうやらここはアイアンベアの巣穴もしくは貯蔵庫のようだ。
そして、その巣穴には少女の像が土壁から半分飛び出している。
その像はまるで慈愛の笑みを浮かべるような表情をしていた。
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