第5話 死にゆくまでの旅路#3

 アイアンベア――一言で言えば、装備を付けた熊である。

 Aランクの魔物であり、体長は三メートルを優に超える巨体を持つ

 下顎は鉄の装甲が装着されたように毛皮の一部が硬化している。

 両手は人間がつけるガントレットのようになっており、爪は触れたもの全てを切り裂くように鋭い。

 まず、おおよそ冒険者が相手にする魔物ではない。


「なんでAランクの魔物が......Aランクですら勝率は五分なのに」


 ユトゥスはDランクの冒険者だ。つまりは論外。

 ユトゥスが勝てないのは当然のことだが、理由ははそれだけではない。

 それは冒険者ランクと魔物のランクは必ずしも一致しないということだ。


 というのも、冒険者ギルドのランク設定が少し複雑なのだ。

 例えば、コボルトは個体としてはEランクの魔物である。

 しかし、実際戦う際に冒険者ギルドから推奨される冒険者ランクはDランク以上だ。


 それはコボルトが基本群れで狩りをする魔物である理由だったり、他の低ランク魔物より素早いだったりなど様々な理由がある。

 しかい、より決定的な理由は冒険者が集まればギリギリ倒せるランクであることだ。


 つまりコボルトの場合、Eランク冒険者が複数人集まれば、ギリギリコボルト一匹を倒せるという理由から設定されているということである。


 なぜそんな理由になっているか。

 それは冒険者ギルドは基本パーティを組んで挑むことを勧めてるからだ。

 一人では突破できない困難も複数人いればどうにかなるかもしれない。

 それにもし強大な敵が現れたとして、誰か一人でも逃げ切って帰れれば、その情報を基に対策を立てれるという利点もある。


 それらの理由から冒険者ギルドはパーティで依頼を受けることを推奨している。

 その推奨を無視してソロプレイをするのは個人の自由であり、ギルドがとやかく言うことは無い。

 ただし、当然ながら全て自己責任である。


「グオオオオォォ!」


「っ!?」


 見上げるほど大きな熊が威圧するように咆哮をあげる。

 大気を震わすその声はユトゥスの骨身をビリビリと震わせた。いや、実際少し痺れている。

 不味い、死ぬ、とユトゥスにそう思わせるには十分すぎる声だった。


 現在、ユトゥスには二つの選択が迫られている。即ち、”生”か”死”か。

 しかし、目が合ってしまった以上、”生”の確率はもはや絶望的だ。

 ユトゥスの背後から死神の影が忍び寄る。 


「ふぅー.......ふぅー」


 ユトゥスの呼吸が浅くなる。

 ビビるな、ビビるな。悟られたら殺される、とユトゥスは自分を賢明に鼓舞する。

 幸いアイアンベアは好戦的という魔物ではない。故に、すぐ襲ってくることはない。

 

 アイアンベアは魔物であるが、同時に動物なのだ。

 この世界では動物に魔力を持つ個体を魔物と呼んでいるが、逆に言えばそれだけであり、習性は熊そのもの。


 熊は警戒心が高い動物だ。例え、相手が人であろうと自ら戦いを回避しようするほど。

 だからこそ、人であるユトゥスは自分が相手より弱いことを悟られてはいけない。

 もちろん、それはユトゥスの目の前にいるアイアンベアが人の血を覚えてなければの話だが。


 アイアンベアは様子を伺っている。どうやら人の血は知らないようだ。

 つまり、その知識の分だけユトゥスは”生”の確率を上げた。

 アイアンベアという魔物の習性を知っていたユトゥスの一度目の勝利である。

 ユトゥスはそれを利用して少しずつ、少しずつ動き始める。


 ズサッ......ズサッ......。

 足を地面から離さないようにしながら、後ろ足の踵をズリズリ動かす。

 その後は前足をゆっくり、ゆっくりと動かし、アイアンベアから距離を作る。

 重要なのはとにかく目を離してはいけないこと。

 目を離した瞬間、アイアンベアには弱いと認知される。

 ビビっちゃいない――ユトゥスはそれを証明し続ける。


「グガッ!?」


 その時、突然アイアンベアの頭が横の壁に打ち付けられた。

 ドスンと大きな音がし、その魔物の頭はそのまま壁に押し込まれる。

 ユトゥスはその光景に唖然とし、立ち止まった。

 何が起こったか分からない。未知の情報に頭が混乱する。


 落ち着け、とユトゥスは一度大きく深呼吸した。

 ぐちゃぐちゃの毛糸のようだった思考は先端の紐を見つけ、スルスルと解かれ始める。

 思考がクリアになった。伊達に修羅場をくぐったわけじゃない。

 ユトゥスは目の前の状況を冷静に分析した。


 まず初めに理解できることは、アイアンベアが自主的に頭を壁に打ち付けたわけじゃないということ。

 アイアンベアとユトゥスはずっと睨み合っていたのだ。

 つまり、互いの状態は互いが一番理解していたことになる。

 

 ユトゥスはアイアンベアと目を合わせていたが、その間にも周辺視野で周囲の状況はわかる。

 その時にアイアンベアに近づく魔物は存在しなかった。また、魔法が放たれた可能性もない。

 仮に、魔法が放たれたとすれば、それに最初に気付くのはアイアンベアだ。


「グォオ......」


 アイアンベアが苦しそうなうめき声をあげる。

 両手は首元へ移動していくが、その手も途中でビタッと止まった。

 ユトゥスはその行動がよくわからなかった。

 しかし、少し目を凝らせば違和感に気付いた。


「アイアンベアの首の毛が凹んでる......?」


 アイアンベアはまるで何かに首を絞められてるように、首元の毛並みが自然じゃない。

 また、両手も同じようになっている。

 それが表す答えは一つ――見えない何かがそこにいる。

 そのことにユトゥスはドッと冷や汗が噴き出る。

 動こうにも動けない。恐怖の錘が足にくっついているかのように足が重い。


「ニャオ」


 突然、猫のような声が聞こえた。同時に、“それ”は目の前に現れる。

 真っ黒な猫がアイアンベアの隣からスッと姿を現わした。

 大きさは約三メートルほどで、尻尾には三匹の蛇を飼っている。

 その三匹の蛇がそれぞれアイアンベアの首と両手を締め付けているようだ。


「三又の大猫......スメィヤパンサー」


 スメィヤパンサーはAランクの魔物である。

 加えて、Aランクパーティでも全滅する可能性が高い魔物と名高い強者だ。

 その魔物の特徴として猫の姿で三匹のヘビがいることもさることながら、一番厄介なのは周囲に体を溶け込ませる能力があること。所謂、透明化というやつだ。


「逃げないと......!」


 ユトゥスはようやく思考と体がリンクする。そして、脇目もふらず走り出した。

 スメィヤパンサーは狩りを楽しむ好戦的な魔物だ。睨み合いによる交渉の術はない。

 つまり、現状で立ち止まっていたところでエサになるだけ。


 現状、スメィヤパンサーはアイアンベアに注目している。

 チャンスは今しかない、とユトゥスは持てる力を脚力に注いで足を動かした。

 そんなユトゥスの後ろでスメィヤパンサーがスーッと姿を周りに溶ける。


「がっ!?」


 瞬間、ユトゥスの背中に巨大な物体が激突した。

 背中がメキメキと音を立て、勢いのままに吹き飛んでいく。

 ユトゥスは車に引かれたように体を乱回転させながら地面を跳ねた。

 そして、衝突位置から数メートル離れた所でうつ伏せに倒れる。


 ユトゥスは動けなかった。足の感覚が無い。背骨が折れた影響だ。

 ユトゥスの口から血がゴパッと噴き出す。きっと内臓もやられただろう。

 なぜなら、腹の底から血が逆流してくるのがわかるからだ。


「ニャオ」


 目の前で姿を現わしたスメィヤパンサーが様子を伺うかのように覗きんだ。

 まるで自分は小突いただけだぞと言わんばかりの顔であった。

 弄ばれてる、とユトゥスは自覚しながらも成すすべはない。


 ユトゥスの額から脂汗が滝のように流れ、頬を伝った。

 心臓は必死に活路を見出そうと激しく動く。

 それが余計にユトゥスを苦しめた。

 しかし、それは体が死ぬなと言ってるということだ。

 ユトゥスはギリッと歯を噛みしめ、意識が途切れないように堪えた。


 段々視界がぼやけていく中、ユトゥスは腰のポーチに手を伸ばす。

 そこから感触を頼りに凹凸が沢山あるガラス瓶を探す。

 激突の際、いくつかの回復ポーションはダメになっていた。

 だが、どうやらこれだけはあったようだ。


 神聖水。それがユトゥスが探し求めていたポーションだ。

 言うなれば、回復ポーションの最高級品。

 聖女が一日数個だけ作る激レアアイテムだ。

 当然、買うだけで目が飛び出るような出費になる。

 そんなものを持ってるのは、ずっと昔に過保護な仲間達からプレゼンとされたからだ。


 一番死にやすいユトゥスのことを憂いた行動だったのだろう。

 もっともこれまではずっと守られる立場で終ぞ使う機会がなかった。

 それを使う場面が来てしまうとは思ってもいなかったが。


「んぐっ.....ん......」


 ユトゥスは神聖水を喉に流し込む。

 濃い血と鉄の味がした。それが混ざり合って喉を通る。

 痛くて苦しくて飲み込むのもやっとだ。

 それでも生きるために足掻けるものは足掻く。

 幸いなのは、その光景をスメィヤパンサーが面白がって見てることか。


「ゴバァ......よし、体から痛みが引いた」


 ユトゥスは地面に両手をつくと、胃の中にあった血を大量に吐く。

 血はびちゃびちゃと赤い雫をまき散らし、地面には小さな水たまりができた。

 しかし、それは体が治っている証。


 全員が温かい何かに包まれ、全身の痛みや痺れが引いていく。

 足の感覚が復活する。体も不調は感じない。

 走れる。ただし、次はない。


 ユトゥスは今の状況を切り抜けるために考え始める、

 どうやってこのスメィヤパンサーから逃げるか。

 今は近くにいてすぐに動かせない。無理に動いても先ほどの二の舞になるだけ。

 どうする? どうすればいい? とユトゥスは焦りを募らせる。

 すぐ近くにいるスメィヤパンサーに気が散ってしかたがない。


 すると、スメィヤパンサーがユトゥスの腰ポーチに顔を近づけた。

 先の自分の行動でそのポーチに何があるのか気になったのだろう。

 相手は油断している。絶好のチャンスと言える場面。

 短剣で不意を突くか。いや、圧倒的なレベル差がある相手に付け焼刃なんて通じない。


「ニャッ!......ケフ、ケフッ......」


 その時、スメィヤパンサーが突然むせたように咳をした。

 瞬間、ユトゥスは似たような光景を目にした気がした。

 そう、あれはコボルトと戦った時の光景だ。

 あの時は多数対一の戦闘だったが、ズワスワの花で一対一にして戦った。


 これは対獣系の魔物特攻の粉末。

 スメィヤパンサーはその粉末が入った袋を嗅いでしまった。だから、咳をした。

 この結果は偶然の産物だが、これで逃げる時間は作れるはず。


 スメィヤパンサーがむせているうちに、ユトゥスは急いでポーチから袋を取り出す。

 同時に、クラウチングスタートのような姿勢を取り、スタートダッシュを決めて走り出した。


 少しして、スメィヤパンサーがユトゥスに気付いて追いかけ始める。

 後ろから気配を感じたユトゥスは後ろをチラッと確認した。

 すると、スメィヤパンサーは登場の時のように透明化を使っていなかった。

 もしかして、集中しないと使えないのか? とユトゥスは一瞬思考する。


「もう一発食らっとけ!」


 ユトゥスはズワズワの花の粉末が入った袋の口を開け、手を突っ込み粉末を握る。

 そして、一瞬後ろを振り向き、出来るだけ拡散するようにばら撒いた。

 スメィヤパンサーに対して、速さでは絶対に逃げきれない。

 逃げ切れる方法があるとすれば、立ち止まる条件を整えるしかない。


 それから、ユトゥスは粉末を使い切る勢いでばらまく。

 迷宮再構築が行われた影響で今は新規マップと同じ。どこが上の階層の階段かわからない。

 しかし、めちゃくちゃに走ったおかげかスメィヤパンサーの姿は見えなくなった。


 曲がり角を抜けた先でユトゥスはゆっくりと速度を落とす。

 やがて立ち止まり、両手を膝につけて大きく肩を動かした。

 使えるスタミナをフルに使って逃げたのだ。

 スタミナが回復するまでもはや一歩も動けない。


 そんなユトゥスであったが、幸いなことに呼吸が整うまで魔物と会うことはなかった。

 そして、スタミナが復活したところで、上半身を起こした。


「よし! これでなんとか――」


 瞬間、ズンッとユトゥスの左腕に強烈な痛みが走る。

 同時に、彼の目の前には鋭い何かが高速で飛んでいった。

 そのコンマ数秒後、ユトゥスの千切れた左腕が血でまき散らしながら吹き飛んだ。


―――ユトゥスが死亡するまで残り十五分

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