第16話

 ヒューから情報をもらって私が調べたところ転校してきたばかりのアドラシアンに、わかりやすくでれでれしていた監督生はすぐに見つかった。


 スティーブ・レグナンというガッチリした体付きで、精悍な顔立ちの男子生徒だ。全方位に良い顔をしたい八方美人なアドラシアンに、とろけた顔で話しかけていたところを私はこの目で目撃した。かわいそうだけど、相手にされてない。


 私の鋭い女の勘などは、ここでは別に役立てる必要はなかった。


 スティーブの態度は見たまま「アドラシアン、君のためになら何でもするよ」と言わんばかりのとろけっぷりだったからだ。


 うーん……アドラシアンに恋をして、彼女の言うことを何でも聞いちゃうようになってしまったのかな? というか、こんなことになるのなら完璧ヒーローのエルヴィン・シュレジエン先輩とアドラシアンを出会わせておけば良かった。


 あの時のとっさの行動が、全部仇になってしまった。時を戻したい。後悔してももう遅い。


 そして、よくわからないアドラシアンの件と、最近もうひとつ増えてしまった悩み。


 私の両親が一時は命が危険な状態になってしまった娘に、もし学校で学びたいと言うのなら貴族令嬢がマナーを学ぶフィニッシングスクール、つまり貴族令嬢の仕上げ学校へと転校するように言って来たからだ。


 私としてはあんな作法とダンスしか学ばない学校なら行きたくないし、ディミトリが居ないのなら私にとってはもう学校に行く必要なんてない。


 なんなら、彼らがディミトリとの仲を認めてくれないと言うのなら、ドミニオリア高等部を卒業したその足で、駆け落ちすることも辞さない覚悟ではある。


 ディミトリは自分を認めてもらえるように頑張りたいとは言っていたけど……なかなか、偏見や差別というものは根深くてなくならないもの。だから、大きな社会問題としてどの時代でも論議されるのだ。


 私の両親は貴族夫婦としてスタンダードな感性で、特に先進的な教育なども受けていない。だから、子どもの頃からの考えを全て塗り替えられるとするなら、相当な彼の努力が必要なはずだ。


 私は正直に言えば、そこまでしなくて良いと思っている。


「あ。ディミトリ! 今もう帰るところ?」


 放課後の寮への帰り道に見つけた周囲から際立って目立つ後ろ姿に、私はうきうきしながら駆け寄った。もう絶対に、この人がこの国で……っていうか、世界で一番格好良いんですけど。


「……シンシア?」


「なんだか、悩んでる? 何かあったの?」


 私は愛する推しの表情を読むことにかけては、とても得意な自信がある。なぜかというと、ディミトリの顔を見ていた時間はこの世界で一番長い自信があるので。


 自分をパッと見ただけで悩んでいることを私に言い当てられたと思ったのか、ディミトリは苦笑して頷いた。


「うん……シンシアには、敵わないな。今日は大学の教授に呼ばれていたんだけど、このまま希望通りに軍学校に進学するか、自分の推薦を受けて大学に進むか。そう言われたんだ」


「……すごい! 物凄く狭き門でしょう。何を、悩むことがあるの?」


 学術都市ドミニオリアは初等部から大学院まであるんだけど、実のところ高等部で卒業して就職するケースは多い。なぜかというと、それだけでも十分に高い教育を得られるからだ。


 大学への進学を薦められると言うのは、今までのディミトリの努力を認めてくれていたということでもあった。


 そっか……ディミトリが普通の学生生活を送れていれば、こういった明るい未来があったんだ。やっぱり自分勝手ヒロインアドラシアン……許すまじ。


 今はディミトリは私のことを好きだけど、もし彼女を好きになっていたら、彼は今までの苦労も何もかもぶち壊しになるところだった。


 監督生スティーブとアドラシアンには、これから要注意しておかないと……絶対に、私がこの手でディミトリを幸せにするんだから。


 私が固く手を握りしめて決心しているところに、ディミトリは話しにくそうに言った。


「いや……お金が、かかるから。今は育ててくれた人が残してくれたお金があるけど、学費は奨学金でなんとかなっても、寮のお金がね……」


「ディミトリ。私、誰だと思ってるの?」


「え? シンシア・ラザルスだけど?」


 純粋なディミトリは、普通に私の名前を返した。違う違う。私が言いたいのは、そこじゃなくて。


「私。ラザルス伯爵の娘だから、シンシア・ラザルスなのは知ってるでしょう? こう見えても、貴族のお嬢様なの。ディミトリの進学に掛かるお金に使いましょう」


 やっと私の言わんとしていることを知ったのか、ディミトリは首を横に振った。


「……駄目だ。シンシアにお金を、出してもらうなんて……」


 ディミトリはそれはいけないと顔色を変えて否定しようとしたけど、私は彼の腕を取った。


「どうして。未来に私の旦那さまになるのだから、手堅い投資だわ。二人で駆け落ちするにしても、ディミトリに良い職業に就いてもらった方が私も助かるし」


 私が真剣にそう言ったら、ディミトリは一瞬固まってみるみる内に顔を真っ赤にした。


「旦那さま!? シンシア……何を」


「だって、私たち好き同士で両想いなのよ……もしかして、私と結婚する気がなかったの?」


 真面目なディミトリがそんな訳ないよねと私が余裕な顔でそう言えば、彼は何度か首を横に振った。


「あ。そんなつもりでもない……けど……あまりに、急展開過ぎる。シンシアは俺の寮費を出して、将来性を買うつもりなのか?」


「そう。そうして、私と順風満帆な生活を送って欲しい! ディミトリには、幸せになって欲しい。私が居れば、きっと大丈夫だから」


 ディミトリは歩みを止めて、私と向かい合った。そして、手を握って頷いてくれた。


「シンシアが居たら、なんでも出来そうな気がする」


 きらきらと艶めく黒い目。なろうと思えば闇の組織を率いるラスボスにだってなれてしまうのに、今はスペックが高過ぎるだけの真面目な男子生徒。


 ディミトリが巻き込まれる物語の結末を知っている私なら、きっと彼を幸せに出来るはず。


「まず……ディミトリには、最初に私以外の言葉を信じないようにして貰いたい」


「どうしてだ?」


 本当に言葉の意味もわかっていなくて怪訝そうなんだけど、この年齢で人付き合いを避けていたツケを払いたくはないよね?


「絶対、悪い人に騙されそう。心配だから。何かあったら、私に相談して」


 年下の女の子から頼りないから私の言うこと聞きなさいと注意されたのに嬉しそうに頷いたディミトリを残して……死ななくて、本当に良かった。

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