第7話

 私は次の授業が前世の学校でいうところの体育のような体を使う系の授業、魔術実技の時間だったので、教室へと着替えに行こうと思ったら、汚れても良い用の体操服を女子寮に忘れていた……。


 異世界ファンタジーな世界観なんだけど、日本人の作者が作り上げた小説の世界だから、私にも慣れ親しんだワードに出会えるという場合は多い。


 こんなにも厨二病感漂う魔法の授業だってある学術都市で、名称が『体操服』だよ!


 しかし、体操服を別のクラスの友人に借りに行こうにも、そろそろ別の教室へと着替えに行こうと女子達は移動を始めていた。


 そんな彼女たちの様子に慌てた私は、同じ教室内に居る男子のヒューに助けを求めることにした。


「あ。ヒュー! 次の授業。男子って、座学だったよね?」


 私に呼びかけられたヒューは、驚いた顔をして頷いた。


「うん。そうだけど……シンシア。どうしたの?」


「体操服って、今日は持ってきてる?」


「シンシア。忘れたの? 良いよ。僕の持っていって」


 用意の良いヒューは使ったら洗濯してまた置いているのか、自分は今日の授業で使わないはずの体操服を、準備良く持って来ていて私へと手渡してくれた。


 魔術実技だけは、身体能力の違う男女で分けられるので、ヒューが同じクラスで本当にラッキーだった!


「わー! 助かる! ありがとう! ヒュー!」


「はいはい」


 いつもように私の調子の良い言いように苦笑したヒューに手を振って、私はこういう時のために空けられている教室まで行って手早く着替え、校庭に向かおうと廊下に出た。


「……ディミトリ!」


 なんとそこには私の推しが移動教室の帰りなのか、ブックバンドをした教科書を片手に持って微笑んでいた。


 同じ授業を受けているクラスメイトは、彼を遠巻きにはしているものの、孤高感を漂わせているディミトリを親しげに呼んだ私に驚いているようだ。


「シンシア。もしかして、これから、魔術実技?」


「うん。今から授業に行くところで……えっ……もう。なんなの。なんだか、移動中も絵になり過ぎて眩しいです」


 彼へと完全に推し開示してからというものの、向かうところ敵なしになってしまった私の言葉に、前世から続く愛に推しは心から駄々漏れるような言葉を聞いて顔を赤くした。


 彼は正気に戻ろうとするかのように、首を何度か横に振って微笑んだ。


「うん。ああ……シンシアは、俺の顔が好きだったんだった。なんだか、そんな風に女の子に好かれていると思うと、不思議なんだ。俺みたいな人間を好きな女の子が存在するとは、本当に思ってなくて……」


「え。なんで、好きです」


 ディミトリの前で恥ずかしいという感情を忘れてしまった私は、すかさずこう言って、悲しい過去を持つ推しの存在を全肯定することにした。


 だって、私もうすぐ死んじゃうし……出来るだけディミトリの気持ちを上げてあげたい。


「えっ……たとえば、どこが?」


 私の話を聞いて顔を赤くして戸惑ったようなディミトリ、ここは挿絵に描かれていてもおかしくない。むしろ私がどうにかして出世払いでお金を出すから、神絵師にカラーで全ての場面を描いて欲しい。


 あっ……何言ってるの。そうだった。そんな必要なかった。


 ……だって、彼は私の目の前にいるもの。


 闇堕ちしたディミトリの成長した姿を愛でていた身としては、彼の短い学生時代の若い姿を見ていることもご褒美でしかないし……序盤と終盤にしか出てこないと言っても、どこも切れていない立ち姿すら何もかもが素敵なのよね。


「……もうっ……いちいち、格好良くてなんかムカつく!!」


「えっ……!」


「何してもいてもどんな顔をしてても、世界で一番格好良いのに、本人は全く自覚ないの……本当に、ムカつくー!!!」


 私が両手を握りしめてそう言えば、ディミトリは動揺して後退った。


「え……? え? それが、シンシアにムカつかれる理由……? 俺はどうすれば、ムカつかれないの?」


「無理です!」


「えええ!」


「だって、何をしても素敵なことには変わりないし、どうしてそんな尊い存在なの……! 神様ご両親、ディミトリを生み出してくれてありがとうー! って、思っちゃうから仕方ないです」


 普通なら、こんなのその人本人を前にして言えるはずもない言葉。


 けど、もうすぐ彼の前から居なくなると思うと、心から思って居ることを言っても、全然恥ずかしくない。


 ほら。明日死ぬかのように生きろっていう……あの、言葉。私、今それを実践している。


「いや……うん。そんなこと言われるのは、人生初だから、どう言って反応して良いのか、全くわからないけど……とりあえず、ありがとう?」


 私と話している間に鳴り出した予鈴に気がついたディミトリは困ったように微笑んでから、私に軽く手を振って去って行った。



◇◆◇



「はーっ……尊い尊い。推しが何気なく下校している姿見れるとか、本当に、天国でしかないわ。あ。ヒュー。体操服は洗濯して返すから、今日は私が持って帰るねー」


 三階の窓から、見下ろして見える背筋の伸びた後ろ姿。


 今日も今日とて、近くで会えたディミトリを反芻して思い出しながら、放課後一緒に教室に残っていたヒューに言った。


「別に良いよ。明日も使う実技あるから、僕が持って帰って洗っとく。シンシアが忘れられたら、僕も困るし」


 真面目っぽい雰囲気をかもしだしているのに、たまにうっかりしてしまう私の性格を知っているヒューは、そう言って貸してくれていた体操着の入った袋を手に取った。


「あ。そう? ごめんね。ありがとうー! お礼になにか、奢るから! 今度、何か食べに行こう」


「別にそんなの、気にしなくても良いよ」


 そう言ってヒューは軽く肩を竦めたので、体操服を貸したくらいで驕られたくないみたい。


 うーん……お礼はしたいし、今度美味しそうなお菓子でも持ってくる事にしよう。


 そして、一人で帰って行くディミトリの後ろ姿をぼーっと見送りながら、私は『君愛歌』の前日譚のエピソードを、なんとなく思い出していた。


 作者はこの壮大なファンタジー世界観を形創るエピソードの数々はメインとなる小説の本筋以外にも多数出版されていて、前日譚や後日談、はたまたIFストーリーを描いた外伝なども存在する。


 前日譚でディミトリは、確か顔に傷が出来てしまうだけではなくて……授業中に、何かの事故が遭って、何人かが怪我をするんだけど……それはどうしようもなく仕方のなかったはずの事故なのに、彼のせいにされてしまったことがあった。


 それは、ディミトリが顔を怪我してしまった直後だったような……気がする。


 うーん。それもこれも、ディミトリ自身が思い返しているような語り口調だったから、それがあった時期に詳しい記述がなかった。


 ……だから、いつ起こるかっていう、特定は難しいんだけど。


 何もしていないというのに授業での事故の責任を取らされたディミトリは、彼の孤独の深さに拍車を掛けてしまう。


 そして、もうすぐ現れる聖女アドラシアンの優しさに、唯一の安らぎを求めるようになるんだ。


 そういえば、アドラシアンって、いつ物語に現れるんだろう……出てきて欲しくないな……。


「どうしたの? シンシア。帰らないの?」


 考え事をしていた私に、ヒューは声を掛けた。


 じっと見て居たディミトリの後ろ姿だって、もう見えなくなってしまっているのに、窓際に佇んでいた私が不思議だったんだろう。


「うん。ヒュー……魔法薬担当のエドケリ先生って、確かドニミオリア高等学校の学長の甥だったよね?」


 確か、事故の原因は魔法薬の配合のせいだったはず……間違えて薬を入れたら、爆発して……だとすると、魔法薬の授業が一番可能性が高い。


「……そうだけど。何なの、シンシア。次は年上の教師にでも、興味を持ったの?」


 私にとってディミトリは特別な推しなんだけど、不思議そうなヒューにその理由を説明する訳にはいかない。


 ヒューは私がただ単に、ディミトリが持つ素晴らしい外見を見て、ろくに話したこともないのに、恋に恋していると思っているらしい。


 だとしたら、違う外見の良い男性に惹かれたっておかしくはないよね……エドケリ先生も美男と言えなくないし。


「別に……そういう訳ではないけど! ……そっか。だから……」


 ヒューの言葉で、私は確信を得た。


 学園の中での政治的な話で、権力を持つ学長の甥だから、偶然の事故を何の関係もないディミトリのせいにすることだって、可能だったんだ。


 エドケリ先生は自分の責任になりたくなかったから、不遇な立場でそういう悪い話を押し付けやすいディミトリのせいにしたってこと……?


 ひどい……酷すぎだよ。


 あんなにも人の役に立ちたいと勉強を頑張っているのに、差別なく教育をすると謳う学術都市で評価して貰えるはずの教師からもそんな酷い扱いをされて……ディミトリは、どんなにか無念だったことだろう。


 けど、それを知っている私がそうは、させないけどね……!


「だから? どうしたの。シンシア。君が変わっているのは、前からだけど……最近、本当に不思議なことを言うね。あの……倒れた時から、本当におかしいね?」


 心配そうなヒューは私が隠していることが何かあるなら話して欲しいと、そう言いたげだった。けど、普通に考えて前世の記憶があって……なんて、信じてもらえるなんて思えない。


「えへへ。そっかな……ヒュー。私、ディミトリと話せるようになって、すごく舞い上がっているんだよ。きっと」


 無理して明るく笑った私を見て、ヒューは複雑そうな表情で首を傾げた。


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