第6話
「……ヒュー?」
ぼんやりとした視界の中に眼鏡を掛けたヒューの顔が見えて、私は彼の名前を呼んだ。
「あ。起きた? シンシア。廊下を急に走り出して、倒れるなんて……一体、何があったの?」
「っ……! あのっ……! ヒュー。待って。私。ディミトリのところに行かなきゃ……」
廊下で倒れたままだった私の体は、救護室に運ばれたらしい。慌てて上半身を起こした私を止めるようにして、ヒューは両手を上げた。
「ちょっと待って。落ち着いて。彼ならさっき馬術の授業で怪我人が出たそうで、校舎にまで帰って来ていた。シンシアを探していたけど、君がまだ意識を失っていると言ったら渋々だけど帰って行ったよ」
あ。やっぱり……あれは、夢ではなかったんだ。私は無事にディミトリのトラウマとなるはずだった、顔の傷を負うのを防ぐことが出来た。
「ディミトリの……顔に、傷はなかった?」
「さっき会った僕が見る限り、彼は君のお気に入りな綺麗な顔のままだったよ。それからは、知らないけど」
「はーっ……そうなんだ。本当に、良かった」
あきれたようなヒューの言葉を聞いて、私はほっと息をついた。
「シンシア。何かあったか……僕に、話す気はあるの?」
「えっ……えっと……その」
キランと光った、ヒューの眼鏡の奥の目にたじろいだ。
これは、まずいまずい。
鋭いヒューには良く当たる占いなんて手は、絶対に使えない。私が彼の危機を知っているという事実に、どういうなんていう言い訳すれば良いのか。
「何かの事情があって、何も……言えないの?」
私の理由を追求したい欲を抑えてヒューはどう言えば良いか困っている私に対し、助け舟を出すことにしたようだった。
ヒュー。決して相手を崖っぷちまで追い詰めずに、話のわかる良い男……きっと、彼が付き合う彼女は幸せだろう。そうなのよ。誰だって言いたくないことは、持っているはず。あまり踏み込まないであげて。
「うん……ごめん。ヒュー。秘密にしても良い?」
「……良いよ。誰だって、言いたくないことの一つや二つは、持っているものだ。僕はシンシアの、そういうちょっと変わったところも気に入ってるんだよね」
ヒューは眼鏡を外して、ガラス部分を救護室備え付けのガーゼで吹いていた。
「ふふ。変わっているのは、ヒューでしょ。けど、ヒューと話していると本当に楽しいから、私も気に入ってるの」
笑った拍子に不意にズキンと胸が強く痛んで、私は体を丸めた。
「っ……シンシア? 大丈夫?」
「うん……ごめん。一瞬だけ、胸が痛かっただけだから……心配しないでね」
私は心配そうなヒューを安心させるように、微笑んだ。
あの……彼と意識を共有することは、もしかしたら私の体に負担を掛けているのかもしれない。
けど、それで良かった。もうすぐになくなってしまう私の命を使って、少しでもディミトリが助けられるんなら、それで良い。
◇◆◇
倒れて運ばれた救護室から教室へと帰り、お行儀良く授業を受けて放課後になり、明日の宿題を済ませてから、私は窓際の自分の椅子に座りダラダラとしていた。
私はこういうなんとも言えないまったりとした学校の雰囲気が好きで、出来たら家より学校に居たい。
多分……それは前世でほぼ病室で育ち学校へろくに行けなかったという、感傷的な思い出が関係している。
「……あの。すみません。ラザルスさん……呼んで貰えますか」
「良いですよ。シンシア! シンシアー! 呼ばれてるよー!」
という学校であるあるな会話が聞こえて来て、私は驚いてそちらの方を見た。
「ディミトリ?」
夢まぼろしなんかでもなくて、本当に彼が恥ずかしそうに教室の扉に傍に立って居た。
私はまさか、ディミトリが私を探して教室に来てくれるなんて思わずに、本当に驚いていた。
ちなみに彼は迫害された種族ダークエルフの血を引き継いで周囲に遠巻きにされているとは言え、今のところ特段ひどい虐めなんかには遭っていない。だから、話しかけられたら皆だって普通に話すのだ。
ディミトリは、自分で壁を作っている。それは、彼が悪い訳でもなくて、何もかも彼の悲しい過去の出来事のせいなんだけど。
「シンシア。こっち来て」
私は手招きをされて、ディミトリの近くまで行った。昨日は座ったままで話したけど、一年上級生だし彼は特に高身長。顔を見上げて話すしかないけど、背の低い私を見下ろす目は高圧的でもなんでもなくて、とっても優しそうだった。
「ディミトリ。良かった。顔に傷が、ついてないのね」
ほっとして私が息をつくと、彼は自分の顎を触りながら言った。
「……顔? ああ。占いか。君は本当に俺の顔が好きなんだな」
「ええ。好きよ」
真顔の私はディミトリの呟きを、力強く肯定した。ディミトリが好き。全部好きなんだけど、顔も好き。
もう顔だけで好きになった変な女だと、思われていても別に良い。顔も、好きなのは確かだし。
前世に死んでしまった後で転生先にこの世界に来ることが出来たのも、きっと彼のことが好き過ぎるせいだと思うもの。
「……そ、そうか。倒れたと聞いて心配になった。あの心に呼び掛ける何かは体に負担になるなら、やらない方が良い。俺はそうそうのことでは、死なないから」
ええ。そうよ。そうなのよ。ダークエルフの血を持つ彼は、とても頑丈で強い魔力を持っている。だからこそ、彼らの祖先は世界中で名を轟かす悪魔のようになってしまった。
そして、闇堕ちしたディミトリは、主役二人に倒されたと思わせておいて……終盤で実は俺がラスボスでしたびっくりみたいな登場になるのよね。
「あれはっ……えっと、廊下を走って転んだだけで、あれが負担になった訳でなくて!」
「……あ。そうなのか。廊下は走らないようにしろよ。石で出来ているから、滑って危ない」
ん? 待って。またすんなり、私の言葉を信じたー!! え。嬉しいけどなんか、純真過ぎて思わず心配になっちゃう……悪い人に利用されない? 大丈夫?
私、ストーリーの関係でもうすぐ死んじゃうんだけど……こんな純粋で可愛い推しを残してなんて、無理。心配過ぎる。
「ねえ。ディミトリ……あ。ごめんなさい。私、いつもの癖で、ずっと呼び捨てだったんだけど……」
「別に構わないが、いつもの癖? どういうことだ?」
本来敬われるべき年上なんだけど寛大なディミトリは私が許可も取らずに呼び捨てしていたことも、許してくれた。優しい。
「あ。そうなの。いつも心の中で、呼んでたから」
「は? いつも……? あ。そうか……」
顔を真っ赤にしてしまったディミトリには、何の悪意もない。
そうよ。ディミトリは幼い頃に親を亡くして結構な辛い目に遭ってるけど、愛を教えてくれた育ての親には恵まれた設定なんだよね。
けど、それもこれも……ヒロインアドラシアンに、全て台無しにされるんだけど。
「ディミトリ、私……すごく貴方のことが好きなんで、不幸にならないでください! 私のために、日々幸せでいてください!」
私の心からの願いを聞いて、ディミトリは呆気に取られた表情になったと思ったら、初めての笑顔を見せてくれた。
「は? 何をいきなり、言い出すと思ったら……明け透け過ぎないか。うん。不幸になる予定はないが、シンシアがそう言うなら努力しよう」
「お願いします! 多分、私が死んでも死に切れないんで!」
「おいおい。その若さで、そんなこと言うな。何を言い出すんだか……」
ディミトリは呆れたようにして言って、大真面目な私の真剣な想いにはいはいと流すようにして頷いていた。
もうっ。本当に切実に、そう思っているんだってば! 私が死んで不幸になるなら、化けて出て来るからね!
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